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英雄強化計画

登場人物

カケル

種族:人間

主人公。異世界に召喚された青年。


リリア

種族:サキュバス

魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。


セレナ

種族:メデューサ

アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。


ヴァネッサ

種族:ヴァンパイア

とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。


ライア

種族:リザードマン

流浪の剣士。エルザとは幼馴染。


エルザ

種族:サイクロプス

鍛冶職人。ライアとは幼馴染。


エリシア

種族:エルフ

精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。


トーラ

種族:ミノタウロス

ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。


俺の名はカケル。

魔王アビス様の、ほんの出来心――いや、好奇心のおかげで、俺は現代世界からこの異世界に召喚された。


元の世界に帰るために、俺は魔物娘たちと旅を重ねてきた。

数々の町を巡り、時に人の闇と向き合い、時に魔の力に呑まれそうになりながらも、仲間たちと共に歩いてきたんだ。


そしてついに、諸悪の根源である先代魔王ヴァルギルスを打ち倒した。

選んだのは元の世界へ帰る道じゃない。この世界で、仲間と共に生きる未来だった。


戦いは終わった――けれど、旅は終わらない。

一つの場所に腰を落ち着ければ穏やかな日々が待っているのかもしれない。

けど俺は……まだ見ぬ世界を、この目で確かめたくて仕方がないんだ。


ありがたいことに、そんな俺のわがままに仲間たちは笑ってついてきてくれる。

新しい旅路は、まだまだ続く。


そしてそんな俺には今、新たな試練が待ち受けていた。

それは、命懸けの戦いでもなければ、世界の命運を左右する戦いでもない。

だが俺にとっては、ある意味それ以上に厳しいものだった。


「うぐっ!」

俺は木剣で弾き飛ばされ、砂地に背中から転がった。

容赦なく振り下ろされる木剣を、ぎりぎりで受け止めながら息を荒げる。


「どうしたカケル!しっかりしろ!」

鋭い声が飛ぶ。目の前には真剣そのものの表情をしたライア。

そう――これはライアとの剣の稽古だった。


「あれ、剣ってこんなに重かったっけ……?」

思わず情けない声が漏れる。

握っている木剣が腕にずしりと食い込んでくる感覚に、俺自身が一番驚いていた。


「動きが鈍いぞ!そんなので私の相手が務まるか!」

ライアの叱咤が鋭く飛んでくる。

木剣の一撃は重く正確で、容赦がない。


「仕方ないだろ?もう俺はただの人間なんだから……」

俺は苦笑交じりに返す。


そう。かつての俺にはヴァルギルスの闇の力が備わっていた。

肉体強化、驚異的な再生能力、そして瞬間的な転移……数多くの力が俺を支えていた。

だがヴァルギルスを倒した今、その闇の力は跡形もなく消滅している。


言わば俺は元の世界にいた時と同じ、ただの一般人。

普通の人間に戻ったんだ。


「甘ったれるな!私はそんな軟弱な男についてきた訳じゃないぞ!」


ライアは息一つ乱さず、木剣を俺の胸元へ突きつけた。

その切れ長の目には容赦がなく、真剣勝負さながらの鋭さが宿っていた。

耳に突き刺さる叱責に、俺は思わず目をそらし、苦笑いを浮かべる。


「わかってるって……でも、どうすればいいんだろうな」


ライアは木剣を下ろし、組んだ腕に視線を落としながら、静かに言葉を探す。


「剣筋や、相手の動きを読む力自体は悪くない。それは闇の力に頼ったものではなく、経験で得た力だ」


そして目を細めて俺を見下ろす。


「だが今のお前は、剣に身体がついてきていないんだ」


その言葉は痛いほど正しかった。

力を失った今の俺は、動きが鈍く、振るう木剣が鉛のように重く感じる。

焦るほどに身体は思うように動かず、ただ情けなさだけが胸を満たす。


「ん~…じゃあ、どうすれば…」

俺がため息交じりに漏らすと。


「お~お二人さん!精が出てるじゃねぇか!」

突然、背後から豪快な声が響いた。

振り返ると、肩で息をしながらトーラが戻ってきていた。

汗に濡れた額が光り、獣脚で地面を鳴らすその姿は、むしろさっきよりも元気に見える。


「トーラ、どこ行ってたんだ?」


「軽く走ってきたんだよ!あーいい汗かいた!」


軽く?その汗と息遣いで?

俺は心の中で思わずツッコむ。どう考えても軽くじゃないだろ、それ。


「それでこっちはどんな塩梅よ」

にやりと笑ってトーラが問いかける。


「全然だ。相手にもならない」

ライアは腕を組み直し、あっさりと断じた。


「うっ……そんな率直に言わなくても」

俺は肩を落とし、情けなく空を見上げた。


「はっはっは!まぁ今まで闇の力に頼りすぎてたってことだろ!」

トーラは楽しそうに笑い飛ばす。その笑顔は悪意がない分、余計に心に刺さる。


「それで、カケルを成長させるにはどうしたものかと考えあぐねていてな」

ライアが真顔に戻り、静かに言う。


「そんなもん、まずは肉体作りからだろ」

トーラが即答した。


「…………ん?」

俺は思わず聞き返す。嫌な予感しかしない。


「なるほど、筋肉がないから動きが鈍いのか」

ライアは顎に手を当て、すぐにうなずく。


「カケルってひょろいもんな~」

トーラは肩をすくめて笑う。


ライアがふとトーラに歩み寄り、耳元に口を寄せる。

声は低く抑えられていて、俺の耳には届かない。

ただ、二人の口元には同じ企みめいた笑みが浮かんでいた。


「トーラ、じゃあこうしよう」

「おっ、それはいいな!楽しくなりそうだぜ!」


拳を軽く打ち合わせて笑い合う二人。

その表情を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。


「お、おい。お二人さん?まさか…」


砂の上で一歩下がる俺に、戦士二人の視線が同時に突き刺さる。

次に待っているのは、きっと地獄のような特訓に違いない。

そんな予感が確信へと変わっていくのを、俺はごまかせなかった。


◇ ◇ ◇


「まずは素振り千回だ!」

ライアが木剣を差し出し、まるで当然のように言い放った。


「せ、千回!?」

俺は目を剥いた。千回って、それはもう修行じゃなくて拷問だろ!?


「何を驚いている。剣士にとって素振りは基本中の基本だ」

ライアは腕を組み、涼しい顔をしている。


「いいか!剣を振りたいならまずは体力をつけろ!」

そこにトーラが腕をぐるぐると回しながら豪快に笑った。


「死ぬぅぅ……!」

俺は木剣を振り上げながら情けない声を上げた。

振るたびに肩と腕が悲鳴をあげ、額からは滝のように汗が流れる。


――百回目。腕が重い。

――三百回目。足が震える。

――五百回目。もはや木剣が丸太にしか感じられない。


「おい、数えてるだろうな?」

ライアの冷たい声が背後から飛んでくる。


「ひぃぃ……!」


横でトーラは腹を抱えて笑いながら檄を飛ばす。


「もっと声出せ!“俺はやれる!”って叫びながら振るんだよ!」

「お、俺はやれるぅぅ……!」

必死に叫んでみるが、声は裏返って情けなさ倍増だ。


――そして夕暮れ。

「千回……終わった……」

地面に突っ伏した俺の全身は汗でびしょ濡れ、息を吸うたび肺が焼けるようだった。


◇ ◇ ◇


翌朝。

「ぐ、ぐあああ……!体が……動かねぇ!」


目覚めと同時に全身に走る激痛。

起き上がることすらできず、俺は両腕を突き出しながら呻いた。

筋肉痛――その言葉の真の意味を、俺はこの身で味わうことになったのだった。


「おっし、二日目はアタイの番だな!さぁカケル、これを担げ!」

ドンッと俺の前に置かれたのは、太い丸太。

人ひとり分はあるんじゃないかってくらいの重さだ。


「ま、丸太……?」

昨日の素振りでまだ全身が筋肉痛だというのに、今度はこれか。


「ほらほら、ぐずぐずすんな!筋肉は裏切らねぇんだ!担いで走れぇぇ!」


「う、うわぁぁぁぁっ……!」


俺は必死に丸太を持ち上げる。肩にずしりと食い込み、思わず膝が笑った。


「もっと背筋を伸ばせ! 腰を落とせ! そうだ、そのまま走れ!」


「はぁっ、はぁっ……無理だぁぁ……!」


全身が悲鳴をあげる。

昨日の素振りのダメージも相まって、足を一歩踏み出すだけで地獄の苦しみ。


だが、前を行くトーラは笑いながら振り返った。


「ほら、いい顔してんじゃねぇか!その苦しみが成長に繋がるんだよ!」


「ぐっ……くそぉぉ……!」


俺は歯を食いしばり、ただがむしゃらに足を前へと進めた。

――額から汗が滝のように流れ、呼吸は荒く、視界が揺らぐ。

けれど、不思議と心は折れなかった。


「やれる……俺はやれる……!」


昨日のライアの檄、トーラの熱い言葉が耳に残っていたからだ。


「その調子だカケル!限界はいつだって、自分が決めてるもんだ!ぶち壊せ!」


トーラの声が胸に響く。

気づけば、俺は倒れ込む寸前の身体で走り続けていた。

丸太と共に、汗と共に。


「はっはっは!よくやったなカケル!」

トーラの笑い声が砂混じりの風に響いた。

汗に濡れた丸太が俺の肩から転がり落ちると同時に、背中へ彼女の大きな手がバシバシと容赦なく叩き込まれる。

鉄槌のような衝撃に、肺の奥に残っていた空気が押し出され、喉の奥から変な声が漏れた。


「も、もう無理……」

ゴール地点で膝を折った俺は、その場に突っ伏す。

砂と汗が混じった匂いが鼻を刺し、全身が鉛の塊になったように動かない。

腕も足も、俺のものじゃないみたいに震えている。


「まぁ…なにか面白そうなことをしてると思ったら」

涼やかな声が降り注ぎ、顔を上げるとリリアが立っていた。

陽射しを背に、長い髪をなびかせ、腕を組んで俺を見下ろす。

その微笑はどこか小悪魔的で、俺の疲労困憊な様子を楽しんでいるようにさえ見えた。


「アンタ達、一体何やってるのよ」

続けてセレナが現れる。腰に手を当て、きらりと光る瞳で俺をじろりと射抜く。

その表情には呆れが滲みつつも、心配を隠しきれない色が微かに揺れていた。


「特訓だ。カケルを強くするためのな」

ライアが堂々と胸を張り、誇らしげに答える。


「強くなる前に死にそうになってない?」

セレナがため息交じりに吐き捨てるように言い、俺へ冷たい視線を落とす。


「大丈夫さ、この程度じゃ死なないぜ。なぁカケル!」

トーラが陽気に笑うが、その声が遠くに聞こえる。


「うぅ……」

俺は呻くしかなく、言葉にする余裕すらなかった。


「はぁ…まったく、これだから熱血バカは」

セレナが肩を落とし、深々とため息をつく。

その声音には呆れと、ほんの少しの安心が混じっていた。


「カケルさん、大丈夫ですか?」

柔らかな声が耳に届く。

エリシアがそっと駆け寄ってきて、膝をつき、覗き込むように心配そうな眼差しを向けてくる。


その澄んだ瞳が映すのは、泥と汗にまみれた俺の情けない姿。

それでも、彼女の声は優しかった。


「……エリシア。だい……じょうぶだ」

喉を絞り出すように言葉を返すと、エリシアは小さく微笑み、ほっと胸に手を当てた。


「……がんばって、えらいえらい」

控えめな声が後ろから届いた。

エルザが大きな瞳を潤ませながら立っていた。


彼女はぎこちなく近づき、短い言葉で俺を労う。

その表情は少し照れくさそうで、けれど確かな優しさがこもっていた。


俺の胸の奥がじんわり温かくなる。

疲労で重くなった身体も、不思議と少しだけ軽くなった気がした。


「自分磨きか。うむ、よい心がけだな」

最後にヴァネッサが歩み寄る。

陽を反射する銀の髪が揺れ、どこか舞踏会の一幕のような気品を漂わせる。

彼女は涼やかな表情で俺を見下ろすと、まるで余興を眺めているような口ぶりで言った。


「お前らもカケルを特訓してみるか?」

トーラが周囲を見回し、にかっと笑う。

その声は豪快で、場を一気に盛り上げる力を持っていた。


「なんでそうなるのよ。私達は肉体派じゃないのよ?」

セレナが即座に反論し、肩をすくめる。


「なにも肉体作りだけが特訓じゃねぇ。各々得意なことを教えればいいのさ!」

トーラが歯を見せて笑い、力強く言い放つ。

その場の空気がぐっと熱を帯びるのを感じた。


仲間達のざわめきと視線が一斉に俺に集まる。

砂塵に包まれた空気の中で、俺は嫌な汗を流しながら確信する。

――どうやら、特訓はまだ始まったばかりらしい。


◇ ◇ ◇


三日目はヴァネッサによる護身術の特訓だ。


夕暮れ時の訓練場。柔らかな赤が差す中、ヴァネッサはマントを翻しながら静かに立っていた。

その佇まいは戦うというより舞うようで、まるでここが舞踏会の舞台であるかのように錯覚するほどだ。


「さあ、始めようか。剣も魔法もない時、人はどう身を護ると思う?」


「え、えっと……殴るとか、蹴るとか?」


「ふふ、乱暴だね。答えは…」


一歩、二歩と彼女が近づいてくる。

その足取りは優雅で、ほんのりと香る薔薇のような気配すら漂っていた。

だが、次の瞬間、彼女の手が俺の手首をすっと絡め取り、流れるような動きで体勢を崩される。


「うわっ!?」


ふわりとした感覚のまま、気づけば背中が砂の上に落ちていた。

痛みよりも、その動きの美しさに目を奪われてしまう。


「力ずくではなく、相手の力を利用する。そうすれば、華奢な女でも大男を倒せるのだよ」


彼女は淡々と、しかしどこか誇らしげに言う。

その声には叱咤の鋭さはなく、舞踏の手ほどきをするような優しい調子が混じっていた。


再び向き合うと、彼女は軽く会釈をしてみせる。


「構えてごらん。これは舞踏会ではないが……余と踊る気持ちで挑めばいい」

そう言って差し出された手を取ると、気付けばまた地面に転がされていた。


「……!ぜ、全然勝てる気がしない!」


「当然だろう?だがいずれは余の動きを読み、受け流せるようになるはずさ」


砂埃にまみれる俺に、ヴァネッサは微笑んで手を差し伸べる。

その姿は、厳しい教師というよりも優雅な舞姫。


その後も何度も何度も投げ飛ばされる。

でもその度に、ヴァネッサは「呼吸を乱すな」「力を抜け」「相手の重心を読め」と、優しくも厳しい指導を続ける。


叩きつけられてばかりなのに、不思議と心地よい余韻が胸に残っていた。


◇ ◇ ◇


四日目はセレナによる魔法の特訓だ。


森の奥、朝焼けが湖面を黄金色に染め始める頃。

吐く息はひんやりと冷たく、鳥のさえずりが目覚めの合図を告げていた。


湖畔に立つセレナは、ターコイズブルーの髪蛇を揺らし、鋭い金色の瞳で俺を見つめる。


「いい?魔法は雰囲気に酔って使うものじゃないの。冷静に、論理と制御よ」


「……で、どうしてこんな時間にやるんだ?」

俺が欠伸を噛み殺しながら尋ねると、セレナはちらりとこちらを見やり、唇を尖らせた。


「魔力の流れは夜明けが一番安定してるの。理由?そんなの、感覚でわかるでしょ」


わざと説明を放り出すような口ぶりに、俺は肩をすくめるしかなかった。

セレナはそんな俺を気にも留めず、夜明けの空を見上げて小さく息を吐く。


「とにかく今は扱いやすいのよ。この時間を逃すのは勿体ないわ。さあ、集中して」


差し出した俺の手に、セレナはそっと自分の魔力を流し込んできた。

まだ冷たい空気の中、その熱は鮮烈に伝わってくる。だが荒々しくはない。

規則正しい鼓動のように、しっかりとしたリズムがあった。


「感じなさい。この世界そのものの息吹を」


「……ああ、確かに、動いてる……」


「そう、それを無理やり押さえつけるんじゃなくて、受け入れて、同調するのよ」


彼女の真剣な声音に、俺は息を呑む。

けれど、その横顔にはどこか不器用な揺らぎも見える。


俺は深呼吸をして魔力を操る。

湖面に映る炎の灯火は、最初は小さく揺らめき、やがて拳ほどの火球に成長する。


「よし、できた……!」


「まだ!」


セレナが指を弾くと、湖から冷たい風が立ち上り、火球を煽った。

たちまち炎は不安定になり、消えかける。


「ほら、この程度じゃ自然の干渉に負けるわ。もっと強く意志を込めて!」


必死に集中し、炎を安定させる。

再び火球が赤々と輝きを取り戻した。


セレナは腕を組み、わずかに顎を上げて言う。


「……ふん。まぁ、今のは合格点ね」


「本当か!?やった!」


「はぁ…仕方ないわね。…でも、よくやったわよ」


その小さな一言は、静かな朝の空気に溶けて、確かに胸に届いていた。


◇ ◇ ◇


五日目はエルザによる鍛冶の特訓だ。


何故鍛冶を?と思うだろう。

俺にもよくわからないがエルザがするというのだから従うしかない。


鍛冶場に足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑んだ。

炉から立ちのぼる熱気が肌を突き刺し、汗がじわりと滲み出す。

鉄を打つ乾いた音が壁を震わせ、ここが俺にとって未知の場所だと告げていた。


「……持って」


不意に差し出されたのは、俺の身長ほどもある大槌だった。

エルザの腕に収まっているときは自然に見えたが、いざ自分の手に握ると、想像以上に重くて膝が笑いそうになる。


「ま、まさか…これで、叩けってのか?」


エルザは小さく頷いた。


「……叩く。何度も。……形になるまで」


彼女の声音は淡々としている。

けれど、その眼差しは真剣そのもので、逃げ場を許さない。

俺は覚悟を決め、赤く焼けた鉄の前に立った。


――カンッ。


一打目。全身に響く衝撃で腕が痺れた。思わず体勢を崩しかける俺を、エルザが横から静かに支える。


「……もっと腰を入れて。……力は込めすぎないで。流す」


「な、流すって…!言うのは簡単だけどさ…!」


歯を食いしばって二度、三度と振り下ろす。

そのたびに肩が悲鳴をあげ、握力がじわじわと奪われていく。

炉の赤が視界にちらつき、熱で頭がくらくらする。


鍛冶場の熱気は容赦なく俺の体力を奪っていく。

大槌を振り下ろすたび、肩に重みが食い込み、全身の筋肉が軋んだ。

息を吐くたびに喉が焼けるように乾き、額からは絶え間なく汗が滴り落ちる。


「……まだ」


短く、しかし強い響きのある声で、エルザが言う。

俺の腕はもう限界を訴えていたが、彼女は妥協を許さなかった。


「なぁエルザ……俺、本当に形になってんのか、これ?」


情けなくこぼした問いに、彼女は少しだけ間を置いてから、炉の赤に照らされた横顔を向けた。


「…大事なのは、形じゃない」


「え…?」


「…何度も叩く。崩れても、また叩く。…続ければ、強くなる」


不器用な言葉。でも、その真っ直ぐさが胸を打った。

俺は思わず苦笑する。


「要するに…根気ってことか」


「…そう。鍛冶は、焦らない。続けて…見えるものがある」


そう言って、彼女は俺の手元に視線を落とした。

赤熱した鉄は、さっきまで無秩序に広がっていたのに、

打ち続けるうちに少しずつ筋が通り、かすかな輪郭を持ち始めている。


「…お前…俺に、何を見せようとしてるんだ?」


問いかける俺に、エルザはほんのわずかに微笑んだ。


「…集中すること。…諦めないこと。…それが、強さに繋がる」


その一言が、疲労で霞んでいた視界を鮮やかに照らした気がした。

確かに俺は闇の力を失った。ただの人間に戻った。

けれど――こうして地道に、ひとつひとつ積み重ねれば、また別の強さを掴めるかもしれない。


「……そっか。わかったよ、エルザ」


力尽きそうな腕をもう一度振り上げ、俺は鉄に大槌を叩きつけた。

カンッ、と澄んだ音が鍛冶場に響く。

それはどこか、自分の胸の奥まで澄み渡るように感じられた。


何度目かの打撃を終え、息も絶え絶えになったとき。

エルザがそっと近づいてきて、小さな声で呟いた。


「…がんばってる…偉い」


その一言で、胸の奥に熱が灯った。

きっとこれが、エルザなりの励ましなんだろう。


腕はもう棒のようで、目の前の鉄も思うように形にならない。

けれど、不思議と投げ出したくはなかった。

火の赤に照らされた彼女の横顔と、その言葉に支えられて。


◇ ◇ ◇


六日目はエリシアによる世界と調和する特訓だ。


……正直言うと、俺にはもう「特訓」と聞いても何をさせられるのか、さっぱりわからなくなってきていた。

剣を振ったり、丸太を担いだり、鉄を打ったり――までは理解できた。

けれど「調和する特訓」って、一体どういうことなんだ?


夜の森は、昼間とはまるで別の顔をしていた。

月明かりが木々の間から差し込み、どこか幻想的な光景を生み出している。

その中で俺とエリシアは、静かに立ち止まっていた。


「目を閉じてみてください、カケルさん」

彼女の柔らかな声に従い、俺はゆっくりと瞼を下ろした。


「……閉じたけど、何をすればいいんだ?」


「周囲の音に耳を澄ませてください。風の流れ、葉の揺れる音……きっと色々と聞こえてくるはずです」


言われるまま耳を澄ます。けれど――。


「ただの虫の声しか聞こえないぞ」

思わず口にすると、エリシアが小さく笑った。


「いいえ、それも森の命の歌です。ほら、草木のざわめき、夜鳥の羽ばたき…すべてがこの世界を形づくっている」


命の歌。彼女の言葉を反芻する。

ただの物音としか思えなかった音が、途端に意味を持ち始めた気がした。

風の流れが肩を撫で、遠くの水音が呼吸のように感じられる。


「……不思議だな。少し、落ち着く」


「そうでしょう?」

彼女の声が、森そのものに溶け込むように響いた。


「剣や力だけでなく、こうして心を澄ませることも大切なのです。

気配を読むというより……仲間や自然を信じること。それがあなたを強くします」


静かに目を開けると、月明かりに照らされたエリシアの横顔があった。

その碧い瞳が、どこまでも澄んで見える。


「俺は……まだまだだな」


「大丈夫です。私が隣にいますから」


その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。剣を振るうことだけが強さじゃない。

エリシアが見せてくれたこの静かな力を、俺も胸に刻んでいこう――そう思った。


◇ ◇ ◇


七日目はリリアによる特訓だ。

…とはいえ、彼女のことだから、まともなものになるとは最初から思っていなかった。


夜の帳が下り、空には丸い月が浮かんでいる。

宿の裏手、小さな中庭。


静けさの中に虫の声が響き、木々の葉がそよ風に揺れていた。

そこに、リリアは腰掛けて俺を見上げていた。


月光を浴びて輝く藍色の髪と、妖しく赤い瞳――その姿は、夜の闇と溶け合うように艶めいて見えた。


「さぁ、カケル。目を閉じて。私の声だけを頼りにするのよ」

意味深に微笑むリリアにそう言われ、俺は恐る恐る従う。


閉じた瞼の裏で、耳に熱を帯びた吐息が落ちてきた。


「……っ!」

思わず肩が震える。


「ふふっ、集中力を養うの。私の誘惑に負けず、精神を保てるかどうか…」

甘やかな声が月夜に溶けるように響く。背筋にぞわりとした感覚が走る。

リリアの指先が、夜風に冷えた首筋をそっとなぞったのだ。


「カケル…私のこと、好きでしょう?」

「な、なに言ってんだよっ!?」

思わず声が裏返る。心臓は暴れ馬のように跳ね、顔が熱くなる。

月明かりに照らされ、彼女の影がすぐそばで揺れていた。


「さぁ、耐えられるかしら? ほら……」

背後から腕が回り、柔らかな感触が背中に寄り添う。

月下の花が香るような甘い匂いに頭がくらくらした。

唇が首筋に触れそうになる距離で囁かれる。


「もっと甘えても、いいのよ?」

「~~っ、無理無理無理!」

必死に振りほどこうとするが、リリアはしなやかに絡みつき、まるで夜の影のように離れてくれない。


「カケル、顔が真っ赤よ?かわいい」

「っ……!」

夜風に冷まされるどころか、熱は増していく一方だった。


その時――

「こらリリア!なにやってんのよ!」

鋭い声が中庭に響く。

腕を組んで立っていたセレナの顔は、月光に照らされて真っ赤に染まっていた。


「アンタ、特訓って言ってたじゃない!どこが特訓なのよ、それ!」


「どう見てもご褒美だろ、これ!」

トーラが豪快にツッコミを入れる。


「……ずるい」

エルザは小さく呟き、単眼を潤ませながらじっとこちらを見ていた。


「カケルさん、真っ赤ですわ…」

エリシアは両手で頬を覆い、目を逸らしてしまう。


「ふむ…これは特訓とは呼べぬな」

ヴァネッサは涼しい顔を崩さず、けれど口元は愉快そうに歪んでいた。


「えぇ~?みんなわかってないわねぇ。これも立派な精神鍛錬なのよ?」

リリアは小悪魔のように笑い、俺の腕にさらに絡みついてくる。


仲間達の呆れや非難の視線を一身に浴びながら、俺は心の中で叫んだ。

――これを特訓と呼んでいいのか!?


◇ ◇ ◇


七日間に及ぶ特訓は、まさに地獄だった。

けれど振り返ってみれば、それは俺にとってかけがえのない宝物のような時間だった。


鋭い眼光で剣を振るい、容赦なく斬り込んできたライア。


豪快な笑いと共に丸太を担がせ、汗まみれのランニングに付き合わせたトーラ。


一歩ごとに優雅さを纏いながら、隙のない体術を叩き込んできたヴァネッサ。


夜明けの冷たい空気の中で、魔力の流れを感じろと半ば強引に迫ったセレナ。


鍛冶場で火と鉄に向き合いながら、根気と集中力を教えてくれたエルザ。


静かな声で、世界と調和する心を諭し、柔らかな光のように寄り添ってくれたエリシア。


そして――「特訓」という名の甘やかしで、俺を包み込んでしまうリリア。


全員の姿が、次々と脳裏に浮かぶ。

身体は限界を超えて、筋肉は軋み、腕も足も棒のように動かない。


けれど胸の奥には、確かな温もりが残っていた。

俺はもう闇の力を持たない。ただの人間に戻った。


それでも、こうして支えてくれる仲間がいる限り――俺は何度でも立ち上がれる。


「……ありがとう、みんな」


ライアは腕を組み、誇らしげに笑った。

「おう、これからが本番だぞ!」


セレナはわざとらしくツンと顔を背ける。

「次はもっと厳しくするわよ!」


ヴァネッサは口元に余裕の笑みを浮かべる。

「ふふ、今夜はゆっくり休むことだな」


エルザは大きな瞳を潤ませながら、小さな声で呟く。

「……もっと、頑張ろうね」


エリシアはそっと微笑み、柔らかな声をかけてくれる。

「大丈夫ですよ、きっと」


リリアは意味深な赤い瞳で俺を見つめ、からかうように囁いた。

「……あら、次はどう誘惑しちゃおうかしら」


その瞬間、他の仲間達が一斉に突っ込んできた。


「いい加減にしろ!」


リリアは小悪魔のように肩をすくめ、唇に笑みを浮かべた。

「あら、嫉妬かしら?」


大爆笑と大騒ぎの中、俺は苦笑しながら天を仰いだ。

――やっぱり、この仲間達と過ごす日々は最高だ。

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