《第三節》ポリュイの町 後編
ゼロが町の方へ走って行ってしまった後、サンはひたすら物陰に隠れていた。
もうかれこれ一時間以上経つが、ゼロが帰ってくる気配は全くない。
彼はさすがに心配になっていたが、様子を見に行って作戦が失敗した…なんてことは起こってほしくない。
そう思って、動くことができずにいた。
とはいえ、これだけ遅いと何もないという可能性の方が低い。
もしゼロの身に何かあったらと考えると、やはり行った方が良いのかもしれない。
そんなことを考えながら、サンは初めてゼロと二人で任務をした時のことを、少し思い出していた。
────七年前────
はあ…はあ……
サンは激しい戦闘を繰り広げていた。
今回の任務は、犯罪組織〝エデン〟を解体し、エデンのメンバー全員を収容所へ送ること。
そして今まさに、エデンの拠点に来ている。
サンは正面から堂々と突入し、得意の剣術で敵と戦っている。
しかし、敵の数は総勢五百四十名。
いくらサンが剣術に長けていると言っても、さすがにこの数の相手は厳しい。
百名ほど倒したところで、もう既に息が上がり始めていた。
(ゼロはいったい何をしているんだ…。俺一人では無理だぞ…)
早く来てくれと願うが、結局サンはその後も一人で戦い続けていた。
しかし、さらに三十名程倒した頃、突然辺り一面に黒い気体が充満し始めた。
なぜか器用にサンを避け、拠点の建物の内部だけに広がっていく。
予想外の出来事に、サンは驚いてその場で固まってしまった。
それからしばらくして、謎の黒い気体がサッと消えると、そこにはさらに目を疑う光景が広がっていた。
建物にいたはずの敵が誰一人としていなくなっていたのだ。
彼らが持っていた武器すらも消えている。
サンは何が起こったのか全く分からず、相変わらず固まったまま目を大きく見開いていた。
─────ドオオオオン……
その時。部屋の奥の壁が大きく壊れ、土煙が舞った。
煙に気を取られていると、ふいにサンの横から端正な顔が覗きこむ。
「待たせてごめんね。怪我はない?」
元々固まっていたサンは、まるで石像のようになってしまった。
全く動かないサンを見てニコニコと微笑んでいるのは、サンを覗き込んだ端正な顔の持ち主。
そう、ゼロだ。
しばらくしてようやく再起動したサンは、横に立つゼロに気づき顔を向ける。
「ゼロ…」
この頃のサンはもうすでに、ゼロに対して恭しい態度ではなくなっていた。
サンがゼロを呼び捨てで呼ぶようになったのは、二人が七歳の時。
彼がジョーカー家の養子になって、まだ間もない頃のことだ。
「あの…さっきのは何なんだ?」
さっき、というのは黒い気体が現れて敵がいなくなったこと。
サンはなんとなく、ゼロなら知っていると思ったのだ。
「そういえば、サンは見たことがなかったっけ?」
サンの予想通り、ゼロはやはり知っていたようで、黒い気体が瘴気であること、敵が武器もろともいなくなったのは、そのせいだということを説明してくれた。
サンは内心〝やっぱり瘴気は怖いな〟なんて思いながら、ゼロの説明を静かに聞いていた。
ゼロが瘴気を扱えること以外、あまり深くは知らなかったのだ。
しかし、サンには一つ引っかかることがあった。
今回の任務の最終目標は、〝エデンのメンバー全員を収容所へ送る〟こと。
だがゼロの説明では、敵は瘴気によっていなくなってしまった。
どこか別の場所に転送でもしたのだろうか、それとも…。
どちらにせよ、このままでは彼らを連れて帰ることはできない。
「あの、敵は…? まだ四百人以上いたよな…?」
疑問に思ったことを素直に聞くと、ゼロは目尻を下げて下を向いた。
なぜかものすごく気まずそうにしている。
「えっと、どうかしたか…?」
サンは慌てて心配するが、ゼロは首を横に振って渋々口を開いた。
「えーと…すごく言いにくいんだけど…」
サンは不思議そうに首を傾げる。
その後に続く言葉は、全く想像できなかった。
「全員、殺しちゃった…」
「え…?」
サンは呆然とし、ゼロはますます下を向いた。
彼にしては珍しくしょげている。
「いや、あの、えっと、え?」
「瘴気は…僕以外の人間は皆、触れただけで死んでしまうんだ」
「あー…そういえばそうだったな…」
ゼロの説明に、サンはすぐに納得したようだった。
「それに、瘴気は猛毒の気体だから、亡くなった人は骨すら残らない…。全て僕の責任だから、サンは気にしないで」
そう言って、ゼロは地面に座り込んだ。本当に申し訳なく思っているようだ。
だが、これでは任務失敗。
どうしたものかとサンは思ったが、どうすることもできないのはもう分かっていた。
「…まあ、仕方ないさ」
黙り込んで小さくなっているゼロに、サンはそう声をかけた。
♢♢♢
「懐かしいな…」
サンがポツリと呟いた。
彼の横を、夜風がサーっと通り過ぎる。
……………。
…………………。
………………………ん?
サンはいきなり立ち上がり、辺りを見渡した。
風が吹いたにも関わらず、自分の髪が全く揺れていないことに気づいたのだ。
「間違いない、これは…‼︎」
サンは全速力でポリュイの町の方へ駆け出した。
────通り過ぎていたのは〝瘴気〟だった。
♢♢♢
「貴様、その名は嘘だな」
なぜバレた? というよりも、このままではまずい。どうにか修正しないと。
「…お言葉ですが、紛れもない本名でございます」
「必死に取り繕っても無駄だ。そのくらい、顔を見れば分かる」
どうしよう。
今から何を言ったとしても、もう信じてくれないだろう。
頭をどれだけ回転させても打開策が思いつかない。
やはり僕には、犯罪者と会話なんてできるわけがなかったんだ。
僕が黙り込んでいると、しばらくして彼が困った顔で言った。
「…残念だ。できれば生かしてやりたかったが、嘘をつかれてはな」
ああ、これは本当にまずい。
言われた通り殺さずに済んだけど、代わりに僕が殺される。
失敗してしまった…。
トーマスという男は腰に携えていた鞘から、ゆっくりと剣を引き抜いた。
そして……
───────グサッ。
剣は真っ直ぐに僕の腹部を貫通した。じわじわと衣服が赤く染まっていく。
「さらばだ、少年」
彼はそう言い捨てて、剣を引き抜いた。
「……どうしてこの町を燃やした?」
まだ、死ぬわけにはいかない。
せめて彼から話を聞き出して、犯罪者に対する考えを変えてからだ。
「なぜ貴様に話さなければならない」
「どうせ、僕は死んでしまう……話を聞いたところで、誰かに伝えることも、覚えておくこともできない…から……」
話しているうちに、保ち続けていた笑顔も崩れてしまった。
先程までは大丈夫だったが、刺された痛みで気をつけるどころではなくなってしまったのだ。
「態度の悪い奴は嫌いだ」
予想通り、トーマスはまたひどく不機嫌になってしまった。
今から口調を戻しても、話してはくれないだろう。
なら、もう最終手段に出るしかない。
「……僕の名は、ゼロ・ジョーカーだ」
これまでの会話で、彼の観察眼が非常に優れていることは分かっていた。
そして、彼が僕を刺したのは、僕が嘘をついたせいだ。
だとすれば、本名を言えば少なくとも状況は変わる。
もっとも、絶対に教えてはいけないのだが。
案の定、彼はひどく驚いた表情になって僕の目を見た。
「……嘘ではないのか」
僕の口調に厳しかった彼は、その名が嘘ではないと分かっても態度を変えることはなかったが、ぽつりぽつりと話し始めた。
トーマス・ポリュイは、先代の領主の息子として、この町で生まれ育った。
彼はポリュイの町が大好きだった。
そして、大好きな町に住む領民の皆のことが大好きで、何よりも大切だった。
彼がポリュイの領主になったばかりの頃、町は現在よりもとても貧しかった。
生活の糧となる野菜や果物が、あまり採れなくなってしまっていたのだ。
彼はこの状況を打開するために色々と手を尽くしたが、一向に効果は得られなかった。
そんな中、流行病も蔓延し、町はますます大混乱に陥ってしまう。
しかし、何とかしないとと焦る彼に、突然〝ある組織〟から声がかかる。
その組織は、ポリュイへ大量の食糧と優秀な医者を、無償で提供してくれるとのことだった。
〝これは、天からの恵みだ〟
そう思った彼は、藁にもすがる思いでその組織に支援を要請した。
────それが、運の尽きだった。
支援を要請してから十日後。
いつまで経っても支援が送られてこないため、トーマスは怪訝に思い、直接組織を問い詰めた。
しかし、組織側はなぜかまともに取り合ってくれず、それどころか逆ギレされる始末。
最終的には町に爆弾を仕掛けるとまで脅してきたため、彼は仕方なく支援のことは諦め、他の解決策を考えることにした。
だが、そんな彼に組織はさらに追い打ちをかけてくる。
〝町全体を自分たちの支配下に置く〟と言い出したのだ。
そのことを聞いた彼は、もうどうすることもできないと感じてしまった。
裏切った組織に渡ってしまうくらいならば、死んだ方がマシだ。
そう思った彼は、ポリュイがポリュイでなくなってしまう前に、己の手で町を滅ぼしてしまおうと考えた。
そうして今夜。
彼は町の至るところに油を引き、マッチを擦って一気に着火させた。
町は瞬く間に炎に包まれ、気づけばあっという間に火の海になってしまった。
彼は燃え盛る町を目の前にして、ようやく自分が犯した罪の重さを実感し、恐ろしくなってとうとう逃げ出してしまった。
彼は己を恨んだ。領民を助けられなかった己の不甲斐なさ、領民と共に死ねなかった臆病な自分、その全てを恨んだ。
そして、もう一度この町に戻ってきた。
町を燃やし、領民を皆殺しにした〝犯罪者〟として。
まだいるかもしれない、生き残りを殺すために。
───これが、彼が話した全て。
「私のせいで町は滅んだ。私は生きている資格がない。本来死ぬべきなのは私だというのに…」
話終わった彼は、目に大粒の涙を浮かべていた。
僕には彼ほどの観察眼はないが、彼の話が嘘でないことは、言うまでもない。
彼の姿はもう、犯罪者ではなかった。
そこにいたのは、一人の〝人間〟だった。
「助けたかった…本当は、生きててほしかったんだ……」
彼の目からポタポタと地面に涙がこぼれ落ちる。
「……少しだけ、貴方のことが理解できた気がします」
少なくとも、いつものように殺してしまうなんてことはない。
自分でも驚くほど落ち着いていた。
「けれど…それなら何も燃やす必要はなかったのでは……? もし組織の手に渡ってしまったとしても…生きてさえいれば、必ず立ち直れる日は来ます。領民たちは貴方と同じように…この町を大切に思っていたはずですから……」
初めて、犯罪者の前で微笑んだ。
〝会話をすれば、何かが変わる〟。
ガロのアドバイスは正しかったようだ。
トーマスは僕の顔を見て、静かに頷く。
「そうだな…」
ふいにどこからか人の声がして振り向くと、未だ燃え盛る炎の奥から、援軍と思わしき王都の騎士団の姿が見えた。
おそらくサンが呼んでくれたのだろう。
これから彼は、王都の収容所へ運ばれるのだ。
「それでは…貴方を拘束する前に……」
必ず行わなければならないことがある。
〝記憶の改竄〟だ。
先程教えてしまったゼロ・ジョーカーの名前を、適当に考えたレイ・ロペスへと変換する。
「…失礼。私が良いと言うまで…しばらく目を閉じていただけますか……?」
「え? あ、ああ…」
トーマスは不思議そうにしながらも、快く目を閉じてくれた。
僕は軽く息を吐いて、彼の頭へ手をかざす。
「Alteration」
ガロの火傷を治した時と同じように、彼の頭の周りを無毒化した瘴気が覆い尽くし、そのまま脳内へと入っていく。
しばらくして全ての瘴気が入ると、彼は意識を失ってその場で倒れてしまった。
とりあえず、成功したようだ。
倒れた彼を、隠し持っていたロープで縛る。
数分ほどで騎士団が到着し、そのうちの何人かが、縛られた彼を町の外へと運んで行った。
彼らはこれから、すぐに王都の収容所へ向かう。
残りの部隊はというと、懸命に町全体の消火活動にあたっていた。
…それと、遺体の回収も。
ひとまずこれで、僕の任務は全て終了。
あとは王宮に帰って、陛下に報告をするだけだ。
「おーい! ゼロー‼︎」
サンが向こうから全速力で走ってくる。
「ゼロ、よくやったな」
隠れていたガロも、どこからともなく現れた。
僕がきちんと任務を遂行したことに、安堵の表情を浮かべている。
しかし、僕の腹の刺傷を見たガロは、すぐにひどく驚いた表情に変わる。
「おいおい、重症じゃねえか」
会話に気を取られて忘れかけていたが、そう言えば死にかけていた。
思い出した途端、激痛が襲いかかる。
「………ゴフッ‼︎」
今まで普通に話せていたのが信じられないくらい、一気に口から血が溢れた。
胃か何かの内臓をやられていたようだ。
「おい、おいゼロ! しっかりしろ‼︎」
ガロが切迫した表情で叫ぶが、なんだかもうそれどころではない。
「どうした⁈ 何があった⁈」
駆けつけたサンも、僕の様子を見て慌てている。
一国の王子がこんなところで死ぬなんて情けないが、任務は達成できた。
国民を一人でも生かせられたのなら本望だ。思い残すことはない。
……なんて思っていたら、サンとガロが二人してじっとこちらを見つめてきた。
「……っ何」
「ゼロ、いい加減にしてくれ」
「ああそうだ。こっちは知ってるんだからな」
「…………」
そうなんだよね。
僕は物理攻撃なんかでは死ねない。
だって、瘴気が刺された箇所を複製してしまうから。
「あーあ…今度こそ死ねると思っ…たのに……」
僕がそう言うと、二人とも困った表情になった。
「そんなこと言うなよ。それ聞いたら、リヴやフィンが悲しむぞ? もちろん俺たちも」
「だって……」
僕の身体には、瘴気がある。
そして、瘴気は僕の身体を蝕む代わりに、なぜか必ず複製してくれる。
食べ物を口に入れてから、吐き出しているような感じだ。
つまり、僕は不死身なのだ。
神話に登場する精霊〝エルフ〟とは違い、病気や他殺などで死ぬことはない。
手足が引き裂かれても、頭が潰れても、猛毒に冒されても、絶対に死ぬことはない。
必ず複製される。
僕は、そんな自分の身体が大嫌いだ。
リヴやサン、フィンにガロ───大切な人たちと、同じ時間を生きられないから。
普通の人間であれば、何もせずともいつかは必ず死が訪れ、死のうと思えば心臓を刺すだけで簡単に死ねる。
けれど、僕の場合はたとえ人類が滅亡したとしても生き続けられる。
何百、何千、何億人もの様々な人の死を見届け、それでもなお生き続けなければならない。
そして、追いかけたくても死ぬことはできない。
それはきっと、僕には耐えられない。
だから僕は、日々自分が死ねる方法を模索している。
皆と同じ時間を、共に生きられるように。
「ゼロ、とりあえず治したらどうだ。勝手に治るとはいえ、痛いのは嫌だろう?」
確かにそうだ。大分深く刺されたからか、瘴気による自然治癒は遅い。
正直、痛すぎて本当に死にそうだ。それはないんだけど。
「Reproduction」
そう唱えると、みるみるうちに傷口が塞がっていく。
それとともに、死にそうなくらいの痛みも綺麗さっぱり無くなってしまった。
改めて、瘴気のもつ性質の異常さを実感する。
刺傷があっという間に治るなんて、普通はありえない。
やっぱり瘴気は大嫌いだ。
〝死〟というものは、本来克服するべきものではない。
いつか死んでしまうからこそ、人は〝今〟を一生懸命生きられる。
こんな瘴気、なくなってしまえばいいのに。
……そんな思いを隠すように、僕は勢いよく立ち上がった。
「よし。それじゃあ、旅館に戻ろうか」
「そうだな」
僕は「そういえば…」とガロの方を見る。
「ガロも来るよね?」
「ああ、すまねえな。屋台も家も、燃やされちまったからな」
僕たちは未だ消火活動を続ける騎士団をおいて、旅館の方へと歩き出した。




