《第二十一節》無名の天才研究者
太陽がすっかり隠れ、夜空の星々がわずかに輝き始めた頃。
王宮の建物のとある一室では、一人の青年が何かの実験を行っていた。
青年は、襟と袖口に金糸の刺繍があしらわれた黒色のシャツに、光沢のある深紅のダブレットを着ており、襟元のブローチには、丸みを帯びたカボションカットのパイロープガーネットが煌めいている。
見るからに上級貴族の装いをしたこの者の名は、リヴ・ジョーカー。この国の第二王子である。
彼は机の上に置いた二つの小瓶を見つめながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「マンドレイクとベラドンナの根を組み合わせたら…毒性が増強するけれど…あれを使って毒素を抜けば…」
聞こえてくるのはどれも悍ましげな内容だが、当の本人はとても楽しそうにしている。
時々「ふんふ〜ん♪」と鼻歌が聞こえてくるのは、決して気のせいではない。
幼い頃から木や草花を眺めるのが好きだった彼は、いつしか〝自然の力〟そのものに興味を持つようになり、五歳の頃には毒や薬の研究を始めていた。
そして十四歳となった今では、数々の画期的な新薬を生み出す〝無名の天才研究者〟として、王国の医学を支えている。
次期国王を任された王子でありながら、研究者としても活躍しているのだ。
「えーっと、まずは…」
リヴは少し考えた後、二つの小瓶の蓋を開け、中の液体をもう一つの大きな瓶に注ぎ入れた。
混ざり合った二種類の液体は、濃い茶色に染まる。
リヴはその状態に満足そうな表情を浮かべ、両手をそっと瓶にかざした。
しばらくすると、どこからか銀色の光が瓶を包み込み、あたりを明るく照らし始めた。
濃い茶色の液体が、みるみるうちに透明になっていく。
ほんの一瞬、光が眩しく瞬くと、瓶の中には無色透明の液体だけが残った。
わずかに光の粒が残っており、見ているだけで不思議と心が洗われるような感覚になる。
「よし! 成功!」
リヴは大きくガッツポーズをして、瓶を両手で持ち上げた。
月明かりに反射して、光の粒がキラキラと輝く。
「わあ、綺麗だね」
あまりに美しい様子に見惚れていると、突然、すぐ耳元で聞き慣れた声がした。
「うわあっ⁈ 何⁈ 誰⁈ 何⁈」
驚いて椅子から落ちそうになるリヴを、後ろから誰かの手が支える。
心臓の高鳴りが治らぬまま、顔を上げて後ろを見ると、そこにはリヴと同じ金色の髪をした少年──ゼロが立っていた。
リヴの顔を真上から見下ろして、可笑しそうに笑っている。
「ふふっ、驚いた?」
ゼロはリヴと対照的な白色のシャツに、紺色のダブレットを着ていた。
襟元には同じカボションカットの、ブルーサファイアのブローチが付けられている。
リヴは今にも倒れそうな体勢を立て直し、改めてゼロの方へと振り返った。
「驚いたも何も、心臓が飛び出るかと思ったよ…」
「あははっ、何回も呼んだんだけどね。また何か作ってたの?」
「うん…。まあ、一応…」
「…もしかして、行き詰まってるの?」
ゼロの質問に、リヴは俯きながら頷いた。
分かりやすく肩を落とすリヴに、ゼロは短く息を吐いて頭を撫でる。
しばらくして少しだけ落ち着いたリヴは、ぽつりぽつりと小さな声で話し始めた。
「現代の薬は遅効性のものしかないから、速効性の薬を開発しようと思ったんだけど…」
「速効性か…それはまた革命的な薬だね」
「うん。…兄さんは、この国で使用されている薬が、全て〝自然由来のもの〟だってことは知ってるよね?」
「うん、もちろん」
「自然由来の薬はね、その症状に効く成分だけを抽出できるわけではないから、有効成分が体内に吸収されるまでにどうしても時間がかかってしまうんだ。現代の薬が遅効性なのは、それが原因で…」
「なるほど…」
「つまり、有効成分だけを取り出すことさえできれば、速効性の薬が作れると思うんだけど…。それがどうすればいいのかさっぱり分からなくて…」
リヴは頬をかきながら、困ったように笑った。
「そっかぁ。でも、そんな薬があったら、たくさんの命が助かるだろうね」
「うん。俺もそう思う」
速効性の薬があれば、命に関わる急変を止められるかもしれない。
症状の進行を遅らせることだってできるし、苦痛をすぐに和らげることで、心理的に落ち着かせることもできる。
(まるで夢のような薬だな…)
リヴは瓶の中を覗きながら、「そういえば…」とゼロの方を見た。
ずっと頭を撫でていたゼロは、驚いたように背筋を伸ばす。
「兄さんは、ここへ何しに来たの?」
「へ? あー…えっと…」
ふいに問いかけられたゼロは、数秒間その場で静止していたが、やがて動き出すと、机の上へそっと手のひらをかざした。
小さく何かを唱えると、そこから黒色の気体が放出され、机の上に中央で真っ二つに折れた矢が現れる。
矢の先端に透明の物質が塗られており、ゼロはそれを指差して言った。
「これが何か調べてほしいんだ」
「これ…?」
リヴは戸惑いながらそう言うと、ゼロの横顔をちらりと見た。
視線を感じ取ったゼロは、リヴの方へ顔を向けて首を傾ける。
「どうしたの?」
「あ…えっと、兄さんはこれを…どこで手に入れたの?」
一瞬、その場の空気がひどく張り詰めたような気がした。
不思議に思ったが、ゼロの表情はいつも通り。
しかし、気のせいかとホッとしたのも束の間、ゼロの口からとんでもない事実が告げられた。
「…王都で何者かに狙われたんだ」
「えっ⁈」
ゼロは徐に頬を押さえると、残念そうに下を向く。
「傷口から毒の判別をすれば良かったんだけど、すぐに治してしまったから分からなくて…。せっかく擦り傷を付けられたのに、勿体ないことをしたよ」
「・・・え?」
明らかに殺されかけた人の態度ではないゼロに、リヴはポカンと口を開けた。
「えっと…陛下にはもう伝えたの?」
「うん、もちろん」
「じゃあ、陛下が自分で調べなさいって?」
「いいや? これはただの興味本位だよ」
「興味本位って…。自分勝手の間違いでしょ」
リヴは呆れたようにゼロを見た。
しかし〝毒の判別〟という頼みに、研究者としての血が騒ぎ始める。
「はあ…分かった。少し待ってて」
そう言うと、リヴは花瓶から一輪の白百合を取り出し、それを別の細長い瓶にそっと挿した。
矢尻に塗られていた透明の物質を、細長いガラスの棒に擦り付け、それを白百合の根元へ薄く塗り広げる。
すると、塗った部分から次第に色が抜け落ち、白百合は息を止めたようにしおれてしまった。
「この反応は…血液の流れを止める毒だね。はっきりとは分からないけれど、おそらく蛇毒の類じゃないかな」
「蛇毒か…」
「ペースト状にするには知識と手間がいるから、向こうには相当優秀な専門家がいるのかもしれないね」
「そっか…。ありがとう、助かった」
「どういたしまして」
使った瓶を片付けようと手を伸ばした時、リヴはふと左手に鋭い痛みを感じ、咄嗟に右手で押さえ込んだ。
「リヴ?」
見ると、巻いていた包帯が血で赤く滲んでいる。
数日前の任務で、敵の攻撃を止めた際に負った傷だ。
かなり深い傷だったため、陛下から治るまで療養するよう命じられていたのだが、リヴはつい実験に没頭してしまい、そのことをすっかり忘れていた。
実験をしている間は何も感じなかったが、手を止めると途端に痛みが襲いかかる。
「リヴ、大丈夫?」
「う、うん…えっと、新しい布…」
痛みに耐えるリヴの代わりに、ゼロが戸棚から必要な道具を取り出し、血で染まった布を新しいものに巻き直した。
両端をきつく結び終えると、ゼロはリヴの顔を心配そうに覗き込む。
「本当に、瘴気で治さなくても大丈夫なの?」
実は数日前から、ゼロは彼に瘴気による治療を提案していた。
しかしリヴは、なぜか昔から瘴気を避けており、今回も頑なにゼロの提案を断り続けていた。
そして今日も案の定、ゼロの問いに力強く頷く。
「うん。これくらい、自力で治すよ」
「そっか…」
(俺に〝こんな力〟さえなければ、治してもらえるのにな…)
リヴは真っ白な布へ視線を落とし、静かにため息をついた。




