《第二節》憩いの時間
「疲れた…」
ポリュイの町は予想以上に遠かった。
戻ってしばらく経つが、まだ足がじんじんしている。
ふと窓の外を見ると、遠くに浮かぶ夕日がオレンジ色に輝いていた。
僕たちは現在、王宮から離れた辺境地へ視察に来ている。
国境の高い山々に囲まれた、緑豊かな土地。
自然が織りなす雄大な景色が特徴で、その洗練された美しさから、別名〝光の地〟とも呼ばれている。
この地には複数の町があり、その一つが先程までいた〝ポリュイ〟。
最も貧しいとされる町で、今いる旅館からは六キロメートル近く離れている。
行き帰りの往復だけでも、かなり疲弊してしまった。
今回はお忍びでの視察ということで、上流階級用のホテル(王族や貴族が泊まる)ではなく、麓にある一般の旅館(一般市民が泊まる)に滞在している。
いつも豪勢な建物ばかり見ている僕にとっては、何もかもが新鮮だ。
国民と同じ立場で過ごすのは、後学のためにも良い経験になると思う。
『コンコンコン…』
突然、誰かが扉を叩く音がした。こんな時間に誰かが来るのは珍しい。
誰だろうかと思っていると、「兄さん、入ってもいい?」という声が聞こえた。
「あれ、リヴだったんだ。どうぞ?」
扉を開けると、バスケットを持ったリヴがそこに立っていた。
「休憩しているところごめんね。ちょっと提案があって…」
そう言うと、リヴは持っていたバスケットから、紅茶の茶葉とクッキーの入った袋を取り出した。
「さっき王宮から差し入れが届いたんだ。〝視察は進んでいるか? たまには息抜きもするんだぞ〟だってさ。折角だからサンと姐さん(=フィン)も誘って、これからティータイムにしない?」
王宮からということは、おそらく陛下が用意してくださったのだろう。
本当に、陛下は聡明な御方だ。
見えないところまで、抜かりなく配慮が行き届いている。
疲れていたから、とてもありがたい。
「いいね。早速誘いに行こうか」
「うん!」
そうして僕たちは、サンとフィンのもとへ向かうことになった。
「二人はこの旅館の一階でお土産を見ているらしいよ」
どうやら一階にはお店があるようだ。
この地方にちなんだものがたくさん販売されているらしい。
差し入れのお礼に、何か買って帰るのもいいかもしれない。
「兄さん、ここだよ」
リヴが指差した先には、色とりどりの商品が並べられていた。
聞いていた通り、よく見るとこの辺りでとれる食材や、有名な料理にちなんだ商品がたくさん販売されている。
しばらく店内を回っていると、ベレー帽くらいの大きさの袋に入った〝チーズチップス〟というお菓子を見つけた。
いくらだろうかと値札を見ると、銅貨二枚…。
一瞬、目を疑ってしまった。
こんなに大きな袋なのにお手頃な価格だ。貴族でなくとも手軽に購入できる。
「あれ、ゼロじゃないか。その商品が気になるのか?」
「サン! いや、値段に驚いて…」
そういえば、サンとフィンはこの店にいるんだった。
商品に夢中ですっかり忘れていた。
「確かにお前、旅館にも驚いてたくらいだ。こういう店にも来たことないんだろう」
「サンこそ、来たことあるの?」
「そりゃあゼロ。王族でもない限り、貴族でもお忍びで来たりするからな。お前は知らないだろうが、貴族も意外と庶民なんだぜ?」
なるほど、そういうものなのか。
やはり初めて知ることが多くて本当に新鮮だ。
こんなに何も知らなかったのかと気付かされる。
「…まあとはいえ、お前は王族にしては来てる方だがな」
「そうかな? でもこういうお店に来るのは初めてだよ」
そんな調子で、その後もサンと店内を見て回っていると、何か購入したらしいフィンがやって来た。
両手いっぱいに大きな袋を持っている。
「あらゼロ、来てたのね」
「何か買ったの?」
「ほとんど家族へのお土産よ。それと、さっきリヴがティータイムに誘ってくれたから、紅茶に合うお菓子を選んできたの」
「あっ…」
「? そういえば、サンも誘われてたわよ」
「本当か? なら俺も何か買わないとな…。少し見てくる」
サンはそう言うと、すぐに店の奥へと戻っていった。
しまった…。夢中になってすっかりティータイムのことを忘れていた。
そういえばリヴはどこへ行ってしまったのだろう。
気になって辺りを見回していると、急に誰かの手が僕の視界を遮ってきた。
「にーいーさーん」
「うわあっ‼︎」
手の正体はリヴだった。
彼はいつのまにか背後に立っていたらしい。
振り向くと、驚き方が面白かったのか、僕の顔を見てくすくす笑っている。
「びっくりした…。驚かさないでよね、リヴ」
「あははっ、ごめん兄さん。全然気づいてなさそうだったから、つい」
「つい、じゃないよ!」
ごめんごめんと言いながら、リヴはお腹を抱えて笑っている。
そんなにおかしかっただろうか。
「はー…笑いすぎた。ねえ兄さん、俺たちも何か買っていかない?」
「いいけど、たくさんあって選べないんだよね」
「うーん、それなら…」
♢♢♢
僕の部屋では、早速ティータイムが開かれていた。
机の上には、紅茶が注がれたティーカップとクッキー。
フィンからはマカロン。サンからはマドレーヌ。
そして僕とリヴからはフロランタン…と盛り沢山のスイーツが並んでいる。
「このマドレーヌ美味しいわね」
「クッキーは手作りか?」
「多分ラグが作ってくれたんだと思う」
「この紅茶、マカロンにすごく合うね」
皆口々に感想を言い合う。
どれも美味しくて、幸せな気分になる。
先程までの疲れが嘘のように吹っ飛んでしまった。
差し入れを送ってくれた陛下と、ティータイムを提案してくれたリヴ、それからスイーツを持ち寄ってくれたサンとフィン。
みんなには、感謝しかない。
そうしてしばらく堪能していると、フィンが唐突に質問を投げかけてきた。
「そういえば、今夜は何をするつもりなの?」
昼間にあれだけ食い下がったのだから、気になってしまうのは仕方がない。
伝えたほうがいいのだろうか。
答えに迷って押し黙っていると、サンが僕の肩にポンと手を置いて話し始めた。
「まあまあ姐さん、気になるのは分かるが、ゼロだって隠し事の一つや二つはあるんだ」
どうやら庇ってくれるようだ。
サンがこちらを見てウインクをする。
〝任せろ〟と言う声が聞こえたような気がした。
「でも夜に出歩くなんて、サンだって心配でしょう。それに、あの町に行くわけだし…」
「同行は許可してくれたんだ。目的はいずれ分かる。それに、何かあったとしても、ゼロには傷一つ付けさせやしないさ」
そう話すサンの表情は真剣だった。
さすがのフィンも、抵抗するのを諦めたようだ。
「そう、なら頼んだわよ」
サンのおかげで、以降この話題が出てくることはなく、その後はすぐに話が切り替わった。
たわいもない会話が続いていく。
ふと窓の外を見ると、空が少しずつ暗くなってきていた。




