《第十四節》繋がる断片
真っ暗な視界、雫が落ちる音。
どこか不気味さを感じる洞窟の中で、サンとフィンはとある曲がり角の陰に隠れ、向こうの様子を伺っていた。
目線の先には暖かな明かりがあり、すぐ近くで何やら真剣に作業をしている男と、奥の方でちらちらと目を開けながら寝たふりをしている少年がいる。
オスカル・マーフィーと、リヴ・ジョーカーだ。
ゼロの的確な道案内のおかげで無事に彼らの元に辿り着いたのは良いが、どう出るべきか分からず、二人してその場で立ち止まっていた。
しかし、このまま何もせずここに居続けるわけにもいかない。
サンとフィンは顔を見合わせ、意を決して暗闇から一歩踏み出すことにした。
ガサッという足音が響き、作業に夢中になっていたオスカルが顔を上げる。
リヴは二人をちらりと見て、再び寝たふりを始めた。
「あれ、サンじゃ〜ん!」
オスカルは目をキラキラと輝かせて言った。
つい先程までの真剣な表情からは想像のつかない明るさに、サンは耐えきれずに顔をしかめた。
いかにも嫌そうな顔である。
その実、サンは彼のことが嫌いであった。
サンとオスカルは五歳差の兄弟だが、オスカルはサンを〈いないもの〉として扱う家族の一人だった。
とはいえ、彼がサンに対してそのように接していたのは、決してサンの才能を疎ましく思っていたからではない。
単に興味がなかっただけだ。
オスカルは昔から錬金術が大好きで、卑金属を貴金属に変えることを目標に、暇さえあれば何かしらの作業を行なっていた。
そのため、サンのことなど眼中にもなかったのだ。
そんな彼が、今はサンを見て満面の笑みを浮かべているのだから、サンからすればもう、違和感を通り過ぎてもはや恐怖であった。
「…ここへ何をしにきたんですか」
サンは低い声で問いかけた。
嫌悪感を隠そうともせず、拳を強く握りしめる。
オスカルはそんなサンの様子を楽しげに見つめ、軽い口調で答えた。
「ええ? それわざわざ聞く必要ある? お前を連れ戻しに来たに決まってるでしょう。久しぶりに会えたというのに、つれない弟だね〜」
オスカルの発言に、サンはますます顔をしかめた。
しかし、サンが怒りを露わにするほど、オスカルはとても嬉しそうに笑う。
それがなんだか歯痒くて、うっとうしい。
今まで自分のことなど少しも興味がなかったくせに、今さら兄弟面をするオスカルに、サンの苛立ちはそろそろ限界を迎え始めていた。
「連れ戻して、貴方に利はあるんですか?」
サンが訝しげに聞くと、オスカルは「よくぞ聞いてくれました!」とでも言いたげな顔で答える。
「父上が『お前を連れて帰れば、優秀な錬金術師を我が家へ招待しよう』と言ってくれたんだよ。ああ、本当になんて優しいんだろう! 家を出ていったサンの気持ちがまったく理解できないな」
最後に余計なひと言を付け足し、嬉しそうに卑金属に頬擦りをするオスカル。
その様子があまりにも滑稽で、サンは呆れたような表情を浮かべた。
「…理解できなくて結構。私はあの家に戻る気など、微塵たりともありません。どうかお引き取りください」
力強いサンの言葉に、オスカルの眉がぴくりと動く。
頭を乱暴にガシガシと掻き、光のない目で顔を上げた。
「はあ…本当、つれない弟だなあ。私よりあの〝殿下〟がいいと…」
オスカルはサンの襟首を掴み、顔を近づける。
突如、サンの耳に冷たい息が吹きかかった。
「〝俺がリヴ殿下を殺せば、殿下はどんな顔をするかな?〟」
口の端を吊り上げ、不敵に笑うオスカル。
信じられない発言に、サンは咄嗟に声を上げた。
「ふざけないでください! 貴方なんかにリヴ殿下は殺…奪わせません!」
「おお〜、怖い怖い。でもさ…」
サンの心からの叫びに、オスカルはわざとらしく怖がり、半ば呆れたように息を吐いた。
「だったら大人しく戻ってきてくれないかな? お前が来てくれれば、俺は何もしなくて済むんだ」
「そ、れは…」
黙り込むサンに、オスカルはさらに追い打ちをかけるように、地面に横たわるリヴの方へと近寄った。
しばらく目を開けていたリヴは、慌てて寝たふりをする。
「リヴ殿下、少し痛みますよ」
オスカルはリヴのすぐ側でそう言うと、腰に下げていた鞘から素早く剣を引き抜き、リヴの肩に突き刺──そうとした。
しかし、その剣がリヴに刺さることはなく、代わりにオスカルは目を大きく見開く。
「…起きていたのですか」
突き刺そうとした剣は、既の所でリヴの手によって止められていた。
掴んだところが切れ、手のひらから腕へと鮮血が伝っていく。
リヴは顔色ひとつ変えずに、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……っ!」
光のない茶色い瞳に、オスカルは咄嗟にリヴから目を逸らす。
先程リヴが怒った時から、彼はこの目が苦手になっていたのだ。
リヴは穏やかな性格だからか、怒ると非常に怖い。
ちなみに、変装をしていない時は特に怖いようで、よく見ているサン曰く、普段は宝石のように輝いている赤い目が、怒ると光が消えて血の色に見えてくるから余計に怖いのだそう。
「…起きていたら、何か問題でも?」
リヴは幸い怒ってはいなかったが、どこか不満げな表情を浮かべていた。
オスカルが自分を剣で刺そうとしたこと──ではなく、オスカルが自分を餌に〝ゼロを誘き寄せようとしていたこと〟に。
オスカルは初め、〝ゼロに謝りたい〟と言っていた。
しかし、よく話を聞いてみれば、本来の目的はサンだということが分かった。
───果たして本当にそうだろうか?
彼はサンが知っている通り、錬金術にしか興味のない人間だ。
それにオスカル曰く、彼の父と〝サンを連れて帰れば、優秀な錬金術師を招待する〟と約束していたようだが、彼はそもそも父親と不仲であった。
代々王家の騎士団を率いる家系だというのに、ろくに仕事もせず、毎日錬金に没頭していたからだ。
父親は彼のことを疎ましく思い、彼もまた親にはまったく興味がなかったため、二人の距離が縮まることはなかった。
当然、二人で何かを約束するような仲ではない。
そう考えれば、彼の行動は色々と引っかかるところがある。
本当に彼の目的はサンなのだろうか?
リヴは少し考え込む仕草をすると、思いついたように顔を上げた。
「オスカルさん。貴方の目的は〝錬金術〟なのではありませんか?」
リヴの質問に、オスカルはゆっくりとリヴの方へ顔を向ける。
「…なぜ、そう思ったのですか?」
リヴは赤色に染まる剣先から手を離し、徐に起き上がって静かに話し始めた。
「八年前──まだ貴方がジョーカー家で働いていた頃、兄が〝瘴気による錬金術〟を試みたことがありましたよね」
「……‼︎」
リヴの言葉に、オスカルの体がわずかに強張る。
しかし、リヴはそんなことはお構いなしに話を続けた。
「その時。兄は見事、卑金属を貴金属に──鉛を金に変えてしまいました。貴方はきっと、そのことに嫉妬したはず。毒を盛ったのもそのためでしょう。そしてジョーカー家から逃走後、貴方は兄の技術を〝自分のものにしたい〟と思うようになった。ああそうか、ポリュイの大火災の〝黒幕〟は貴方ですね?」
リヴがさらりとそう言うと、オスカルだけでなく、フィンも大きく目を見開いた。
サンだけは、どこか納得したような表情をしている。
なぜここで〝ポリュイの大火災〟が出てきたのか。
理由は単純だ。サンは例外だが、ゼロのことを最も理解しているリヴならば、すぐに導き出せること。
つまり、ゼロにとって〝最悪なこと〟を考えれば良い。
一つは八年前の〝あの日〟の記憶、もう一つは〝リヴがいなくなる〟ことだ。
オスカルは、ゼロを自分のものにすることさえできれば、ゼロのもつ類稀な錬金術を独り占めできると考えていた。
だから、ゼロの弱みを握り、ゼロを徹底的に洗脳しようとした。
洗脳する上で大切なのは、相手の視野を限りなく狭くさせること。
ゼロは客観視が非常に得意であるため、極端な内容に引っ張られることはない。
だが、そんなゼロにも致命的な弱点があった。
それは、自分が〝犯罪者である〟という強い認識だ。
〝僕には生きる価値などない。罰を与えられるべき存在だ。みんなはきっと、僕を恨み嫌っている。いつか必ず捨てられる日が来る。どうか、そうあってほしい。僕なんてこの国に、この世界にすら必要ないのだから。〟
あの日からずっと、ゼロはそう思い続けている。
本当は皆、ゼロのことをとっくに許し、心の底から愛しているとも知らずに。
オスカルがどのようにゼロを洗脳したのかは分からない。
けれど、その思い込みが仇になったことは間違いないだろう。
何らかの方法でゼロを洗脳し、犯罪者に仕立て上げることで王位継承権を剥奪させ、爵位のなくなったゼロを自分のものにすることが、オスカルの〝真の目的〟だったのだろう。
だが、自分のものにするためには、一時的な洗脳だけでは足りない。
「…だから、私をさらったのでしょう?」
「………」
「俺が死んだら、兄さんは確実に壊れる。だって兄さんは……」
あの日、リヴの大切なものを奪ってしまったゼロは、八年経った今もなお、自責の念に囚われ続けている。
罪の意識が、己を押し潰してしまいそうなほどに。
もう二度とリヴからは何も奪わないと、リヴだけは絶対に誰にも奪わせないと、そう心に誓っている。
リヴを奪う者に、自分も含めて。
だが、オスカルはゼロの弱点を知っているとはいえ、ゼロの強さはほとんど知らない。
ふとその事実の重要性を実感し、リヴは意を決して顔を上げた。
「私は貴方を許すことはできません。ですが、貴方は一度兄──ゼロ殿下に会ってみるべきです。そうすればきっと、嫉妬に狂った己の愚かさを思い知るでしょう」
「「「⁈」」」
リヴの発言に、その場にいた誰もが驚愕した。
「ほ、本当にいいのか? 何が起こるか分からないんだぞ?」
「そうよ。いくらなんでも危険すぎないかしら」
サンとフィンが慌てて止めようとするも、リヴの意思は変わらなかった。
その代わりに、ゼロとそっくりな笑顔を二人に向ける。
「いいや、兄さんには必ず会ってもらう。そうしないと、俺の気が済まないから」
そういうリヴの目は、宝石のように光り輝いていた。
サンとフィンはその目から固い意志を感じ、仕方なく口を閉ざした。
数秒間の沈黙の後、今度はずっと黙り込んでいたオスカルが話し始める。
その声は先程とは違ってどこか興奮気味で、まるで錬金術に没頭している時のようだった。
「そういうことでしたら、早速殿下の元へ向かいましょう! なに、もうあなた方に手出しはしませんよ」
オスカルはそう言うと、鞄から細長い布を取り出した。
リヴの手をそっと持ち上げ、傷口にその布を巻きつけていく。
「……これは?」
「敵対していたとはいえ、私が傷つけてしまいましたから。専門知識はございませんが、せめて応急処置だけでもさせていただきます」
オスカルは手慣れた手つきで布を巻き終えると、最後に布の両端を絡み合わせてきつく結びつけた。
「はい、できましたよ」
「ありがとう、ございます…」
顔を上げると、オスカルは最初に洞窟の中で会ったときのように、とびきり優しい笑顔をリヴに向けていた。
その笑顔はあまりにも綺麗で、消えかけていた昔の記憶と合わさる。
(もしかしてこの人…)
ふと、リヴは何かに気がついたが、すぐにふるふると首を横に振った。
「オスカルさん、洞窟の入り口まで案内していただけますか?」
「かしこまりました」
オスカルは手早く荷物をまとめると、大きなランプを手に持った。
早速先頭に立って進み始めると、リヴは髪や服についた泥を軽く払い落とし、立ち上がってサンとフィンの元へと駆け寄る。
そして、オスカルに気づかれないよう、こっそりと耳打ちをした。
「二人とも、助けに来てくれてありがとう」
いつも通りのリヴの声に、サンとフィンは安心したように頬を緩めた。
「「どういたしまして」」




