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♦︎伝説の槍は、僕を殺せない♦︎  作者: Blueberry
『第四章』迫り来る影
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《第十三節》差し伸べられる手

 どこからか、泣いている声がする。

 心地の良い爽やかな風と、透き通るような空。

 気がつけばリヴは、どこまでも広がる草原の上に一人寝転がっていた。


(あれ…ここ、どこだろう?) 


 起き上がってあたりを見回してみるも、リヴ以外には誰もいない。

 蝶やバッタなどもおらず、他の生き物すらいないようだった。

 何もないのかと落胆しかけたその時、遠くに大きな影が見えた。


(あれは…屋敷?)


 目を凝らしてよく見てみると、霞んだ視界の向こうに大きな建物が立っていた。

 王宮にある建物に負けないほど立派で、どこか見覚えがある。

 無意識に、足はそちらに向いていた。

 歩いても歩いても距離が縮まらないような気がしたが、やがて景色がふっと切り替わるように、リヴは屋敷の前に立っていた。


 改めて屋敷を目の前にすると、それはジョーカー公爵家に酷似していた。

 門の造りも、窓の並びも、幼い頃から見慣れたものと同じだった。


(どうして、こんな場所に…)


 思わず胸がざわつく。

 ここが現実でないことは分かりきっているのに、懐かしさが込み上げてくる。

 その時だった。


「ぐすっ……」


 目を覚ます前に聞こえた、誰かの泣き声が聞こえてきた。

 とても小さく、押し殺すような泣き声。

 しかし、どこかで聞いたことのある声だった。


(誰……いや、行かなきゃ)


 考えるよりも先に、足が勝手に動き出していた。

 広い屋敷の周りを壁伝いに進んでいく。

 裏庭へ回り込むと、倉庫の影に小さな子どもが膝を抱えて座っていた。

 フードを深くかぶり、肩を震わせるその姿に、リヴは思わず顔を曇らせる。


「あ、あの…大丈夫?」


 声をかけると、その子どもはびくりと肩を震わせ、おそるおそる顔を上げた。

 フードの下からのぞいた瞳は涙で濡れていて、その目を見た瞬間、リヴは言葉を失った。


「にい、さん…?」


 泣いていた子どもは──間違いなく、ゼロだった。

 月のように輝く金色の髪に、透き通った青色の目。

 体は今よりも小さく、七歳くらいに見える。


「だ、誰…っ⁉︎」


 ゼロはリヴを見るなり、怯えたように震え始めた。

(ど、どうしよう…。未来の弟だよ、なんて言っても信じてくれないだろうし…)

 リヴは考えた挙句、新しく入った使用人を装うことにした。


「申し訳ございません、名乗り遅れました。今日からここで働かせていただくことになった、使用人のダイと申します」

 幼いゼロに、リヴはしゃがみ込んで手を伸ばした。

「えっと、ゼロ殿下…ですよね?」

 怖がらせないように優しく問いかけると、ゼロはまた瞳を潤ませながら頷いた。


「ごめんなさい…。人前では泣かないって決めてるのに…」


 ゼロの声はひどく震えていた。

 大きな雫がとめどなく頬を伝い、抱えた膝の上に次々と落ちていく。

 そんなゼロの姿に、リヴは思わず目を見開いた。

 幼いゼロの涙など、今まで一度も見たことがなかったからだ。


 ゼロは〝人前では泣かない〟というこだわりを、昔から見事に貫いていた。

 弟であるリヴに対しても、それは例外ではない。

 ゼロが初めて人前で涙を見せたのは、リヴが六歳になってからだった。

 だから、幼いゼロがこんな風に一人で泣いていたのかと思うと、リヴは胸が締め付けられる思いになった。


「…謝らないでください。泣きたい時は、泣いていいんですよ」


 リヴはゼロを抱き寄せながら、どうしようもない悔しさを覚えていた。

 ゼロが泣いていたことを、自分は何一つ知らなかった。

 自分の前ではいつだって笑顔で、どうしようもないほど優しくて、誰よりも頼れる存在でいてくれた。

 その背中があまりにも眩しくて、ゼロといるだけで勇気をもらえていた。

 けれど今、腕の中にいるゼロは、自分よりも小さくてか弱くて、必死に涙を堪えながら震えている。

「……気づいてあげられなくて、ごめんね」

 喉の奥から、絞り出すように言葉が漏れた。


「ダイさんは、リヴとそっくりだね」


 ゼロは顔を上げて、穏やかに微笑んだ。

 目尻に残る涙の粒が、陽の光にあたって宝石のように輝いている。


「え…?」


「僕の大切な弟だよ。よく抱きついてくるんだけど、リヴといるとすごく安心するんだ。ダイさんみたいにね」


「!」

 その言葉は、リヴの胸を真っ直ぐに突き刺した。

 視界が滲み、頬を熱いものが伝っていく。

 雫が草原に落ちた瞬間、世界がかすかに煌めき、遠くの空が淡く色づいた。


 とっくの昔に過ぎてしまった時間。

 目の前にいる幼いゼロを助けることは、もうできない。

 けれど、自分の存在が少しでも兄の支えになっていたのなら。

 まだ、諦めなくてもいいのかもしれない。


「…ダイさん」


 ふいに名前を呼ばれ、リヴは顔を上げた。

 涙をぬぐった幼いゼロは、目尻を下げて微笑んでいた。

 その笑顔はどこか大人びていて、不思議と今のゼロが重なって見える。

 その瞬間、リヴは唐突に全てを思い出した。


(そうだ。俺はオスカルに…)


 ここが夢の中だと分かった途端、真っ白な光が世界を包み込み始めた。

 リヴはもう一度小さな体を抱きしめ、静かに囁く。


「…さようなら、小さな兄さん」


 草原も屋敷も、次第に光に包まれていく。

 幼いゼロの体も、もうわずかに消えかかっていた。

 思わず寂しそうな顔をするリヴに、小さなゼロは最後にはっきりと告げる。


「ありがとう、リヴ」


 ゼロの目は、まるで幼い頃のリヴを見るような、とても優しい目だった。

 ゼロの体はみるみるうちに光に包まれ、リヴの意識も次第に遠くなっていく。


(そういえば、名前…)


 気がついた時にはもう、リヴは現実へと引き戻されていた。


♢♢♢


「兄さん…」


 リヴはかすれた声でそう呟きながら、重たいまぶたを開けた。

 視界に飛び込んできたのは、苔の生えた岩の天井。

 夢で見た草原とはあまりに違う光景に、どこか切なさを覚えた。

 しかし、隣にオスカルがいたことを思い出し、おそるおそる顔を横に向ける。


(良かった、気づいてはいないみたい…)


 オスカルはこちらに背を向けて、何やら真剣に作業をしていた。

 ひとまず安心していると、ふいに頭の中から声が聞こえてきた。


『おはよう、リヴ』

「兄さん⁈ ……はっ!」


 反射的に声を上げてしまい、慌てて口を押さえる。

 おそるおそるオスカルの方を見ると、彼はこちらの声に気づいた様子もなく、黙々と作業を続けていた。

(ど、どうして…?)

 困惑するリヴに、頭の中の声が楽しそうに笑った。


『ふふっ、リヴの声は聞こえないようにしているから大丈夫だよ』

「そうなんだ…」


 声が聞こえていない理由は分かった。

 けれど、頭の中に響く声は夢の中と同じで。

 幼いゼロの姿がどうしても頭から離れず、リヴはしばらく言葉を失った。

 黙り込む弟の様子に気づいたのか、ゼロは少し急ぐような調子で言う。

『あまり時間がないから、手短に言わせてね』

 ゼロの言葉に、リヴはごくりと唾をのんで耳を澄ませた。


『今、サンとフィンがリヴの元へと向かってる。道は教えたから、もう少しで来てくれると思うよ。サンとフィンのことだから大丈夫だと思うけど、万が一のこともある。だからリヴは、隙があれば逃げられるようにしてて』


「…分かった」

 リヴが短く答えると、ゼロはペンダント越しにふっと微笑んだ。

『僕はこれから少し休むけど…』

「……?」 


『どうか、無事に帰ってきてね』


 その声はどこまでも優しく、温かかった。

 

♢♢♢


「……っ! はぁ…はぁ…」

 瘴気の制御をやめて意識を元に戻した途端、全身の力が一気に抜けてしまった。


「殿下!」


 サイラスの叫びと同時に、強い腕が僕の体を支えてくれる。

 お陰で顔から倒れるのは免れたが、体は鉛のように重くなっていた。

(思った以上に消耗してるな…)

 視界は霞み、息を吸うのさえも苦しい。


「もう、無茶しすぎっすよ」


 隣に跪いたルイが、困ったように笑う。

 けれどその目は笑っていなくて、じっと僕の顔色を伺っていた。

「ルイ、水を持ってきてくれるか?」

「分かりました」


「殿下、体を起こせますか?」

 サイラスが心配そうに問いかける。

 けれど、首を横に振るのがやっとだった。

 答えた瞬間、吐き気が込み上げてきて、僕は咄嗟に口元を押さえる。

 指の隙間からにじむ赤……。

 それを見た途端、サイラスの顔色が変わった。


「殿下⁈」


 サイラスの声が震えている。

 体を支える力がさらに強まった。

 駆け戻ってきたルイが、水筒を手に膝をつく。


「…飲めますか?」


 差し出された水筒を受け取ろうとしたが、指が震えて掴めない。

 仕方なく首を横に振ると、ルイが蓋を開けてそのまま傾けてくれた。

 冷たい水で、乾いた喉が一気に潤っていく。

 しかし、再び喉の奥から込み上げてきたものを抑えきれず、僕は咄嗟に赤黒い液体を吐き出した。


 もう、限界だ…。

 視界が揺れ、冷や汗が頬を伝う。

 それでも、少しでもリヴたちの力になれたのなら、やり残したことはない。

 そう思うと、自然と指先から力が抜けていった。


「殿下⁈」

「ちょっ、しっかりしてください!」


 ごめんね、二人とも。

 僕は少々無理をしすぎたみたいだから、また今度ゆっくり話そう。

 リヴたちが無事に帰ってきたら、僕の代わりに盛大に労ってあげてね。

 みんなはものすごく、頑張ったから。

 心の中でそう伝えた瞬間、視界はゆっくりと霞み、音も次第に遠ざかっていった。


(……静かだ)


 けれどその静けさの向こう側で、誰かの声が響いているような気がする。

 おそらくルイとサイラスの声だ。

 けれど、僕にはもう、遠すぎてよく聞こえない。

 〝大丈夫だよ〟と言いたいけれど、それも叶わない。

 それでも、不思議と心は軽やかだった。


 ──みんなが無事なら、僕はそれでいい。

 そう思いながら、僕は静かに意識を手放した。

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