《第十節》組織の長
それは一瞬だった。
敵とサンの会話を、窓からこっそり眺めていた時のこと。
ふいに後ろから気配を感じて振り向いた途端、大きな布を頭に被せられて、そのままどこかへと連れ去られてしまった。
気がつけば、暗闇の中に一人で寝転がっている。
(あれ…ここ、どこだろう…?)
起き上がってあたりを見回してみるも、前後左右どこを向いても真っ暗で、ほとんど何も見えない。
時々、どこかで雫が落ちる音がするだけ。
(とんでもないところに来てしまったなあ…)
リヴは全く見えない天井を見上げて、苦笑した。
誰がここまで運んできたのか。
その人はどこへ行ってしまったのか。
そもそも、ここはどこなのか。
知りたいことはたくさんあるが、とりあえず明かりをつけようと、リヴは首にかけていたペンダントに向かって話しかけた。
「───…」
ぼうっという音とともに、あたりは温かい橙色に染まる。
ふうっと一息ついて、明るくなったあたりを見回すと、周囲は大きな高い岩の壁に覆われていた。
地面はぬかるんでおり、壁と同じ岩でできた天井から、不規則に水滴が落ちている。
(…ここ、もしかして洞窟?)
そう、リヴが連れてこられたのは、ガルシア王国のどこかにある洞窟だった。
しかも、風の音や鳥の声が全く聞こえないということは、洞窟の奥深くなのだろう。
とても静かな空間で、呼吸音さえも反響している。
状況確認が終わり、ようやく自分の体に意識を向けたリヴは、かなり長い時間寝転がっていたのか、髪や服が地面の泥で汚れてしまっていることにも気がついた。
しかし、今はこれだけの汚れを落とせる道具はない。
そうこうしているうちに、気持ちも落ち着いてきたため、リヴは早々にここから脱出する方法を考え始めることにした。
早速持ってきた鞄から、幸い泥まみれにはなっていない紙とペンを取り出して立ち上がる。
洞窟内を歩いて内部の構造を地図に書き起こしていけば、出口が見つかるかもしれない。
「───…」
リヴは再びペンダントに向かって何かを話し、それから洞窟内の探検を始めた。
♢♢♢
「駄目だ…。出口らしきものは見つからないや…」
探検を始めてから約一時間。
散々歩き回ったが、どんどん地図が出来上がっていくだけで、それ以外の収穫は何もない。
かなり広い洞窟のようで、なかなか地上には辿り着かない。
そもそも地上に向かっているのか、奥に進んでしまっているのかも分からないため、時間が経つにつれて不安ばかりが募っていく。
さすがに疲れてきたため、リヴは一度休憩をとることにした。
少し湿った地面に座って、何もない天井をぼうっと眺める。
(こういう時、兄さんならどうするんだろう…)
なんとなくゼロのことを思い出し、自分の無力さに少しだけ弱気になった。
きっと、ゼロならすぐに脱出できるのだろう。
くだらない劣等感が、胸の奥にじわじわと広がっていく。
ゼロが優秀なのは今に始まったことではないのに、慣れない場所にいるせいで、普段は気にならないことも気になってしまう。
「駄目だなあ、俺は」
一度思い始めると止められず、気がつけばそんなことを呟いていた。
やけに大きく響いてしまったため、少し恥ずかしく思っていると、
「何が駄目なん?」
ふいに頭上から知らない声が聞こえてきた。
(⁈)
驚いて顔を上げると、サンとよく似た銀色の髪に、透明感のある鮮やかな青緑色の目をした、人懐っこそうな青年がこちらを見下ろしていた。
あまりに予想外の出来事に、リヴは思わずその場で固まってしまった。
「なっ…え、ど…?」
混乱するリヴに、その青年は慌てて口を開いた。
「わあっ、ごめんごめん! 驚かすつもりはなかってん!」
「あ…えと…あの…」
「無理して話さんでええよ! まずは落ち着き? 深呼吸深呼吸!」
「すー…はー…」
青年に促されて深呼吸をしているうちに、ようやく落ち着きを取り戻してきたリヴは、改めて青年の方へと向き直った。
冷静になると、次々と疑問が湧いてくる。
ここは洞窟の中なのに、どうして人がいるのだろう。
探検家ならあり得るかもしれないが、服装は質素でとてもそんな風には見えない。
迷い込んでしまったのだとしても、こんなに暗い場所で、どうしてそんなに落ち着いていられるのか…。
聞いてみようかとも思ったが、リヴはとりあえず名乗ることにした。
「申し訳ございません。少し驚きすぎました…。私はリヴと申します。えっと…貴方は?」
「貴方…?」
「? 何かおかしなことを申し上げましたでしょうか?」
「いや、そういうことやなくて…。まあええわ、俺はオスカル。エスペクトロっちゅう組織の〝長〟をやらせてもろてる」
青年が自己紹介を始めるや否や、リヴは目を大きく見開いた。
それもそのはず。だってエスペクトロは、リヴたちがこれから解体しなければならない〝犯罪組織〟の名だ。
(しかも〝長〟って…)
リヴが明らかに知っているそぶりを見せたため、オスカルは少し驚いた顔で自己紹介を続けた。
「あれ、なんや知っとったん? そりゃ説明が省けて助かるわあ。…そんで、えーっと〝リヴ〟やっけ?」
「は、はい」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げると、綺麗な青緑色の目が儚げにきらりと光った。
「君をここへ連れてきたんは〝俺〟や。驚かせて…すまんかった」
「え……?」
思いもよらない告白に、リヴは思わず身構えた。
彼の言葉が事実なら、オスカルは間違いなく〝敵〟ということになる。
犯罪組織エスペクトロの長なのだから、こちらからすれば敵なのは当たり前なのだが、リヴが彼らの拠点にいたことがバレているのなら〝向こうも同じように敵だと認識しているはず〟ということだ。
最悪の場合、ここで戦闘になってしまうかもしれない。
そんなリヴの不安を察したのか、オスカルは優しい声で言った。
「悪いことしょうとか、そんなつもりはないんよ? ただ…リヴに一つ、お願いがあんねん」
「お願い…?」
驚かんといてや、と前置きをしてから、オスカルはポケットを漁って、中からクシャクシャになった紙を取り出した。
「それは…?」
リヴの問いに、オスカルはにこっと笑ってその紙を突きつける。
「これ、リヴの〝お兄さん〟やろ?」
「……⁈」
リヴは顔を近づけて、まじまじとその紙を見つめた。
リヴと同じ、茶色の髪と目。まるでお手本のような、完璧な笑顔。
(本当に兄さんだ…)
突きつけられた紙には、オスカルの言う通り、変装したゼロの似顔絵が描かれていた。
簡単な似顔絵だが、特徴はしっかりと捉えられている。
どうしてエスペクトロの長が、ゼロのことを知っているのだろうか。
リヴは明らかに動揺した顔でオスカルを見上げた。
「驚かんといてって忠告したんやけど…。その顔、どうやら〝当たり〟みたいやな」
「どうして…」
リヴがそう言うと、オスカルはゆっくりとリヴの前に腰を下ろした。
真正面からリヴを見据え、丁寧に頭を下げる。
「リヴ、一生のお願いや」
低く、感情のこもった声。
先ほどまでとは違う様子に、リヴは思わず肩を強張らせた。
「……君の〝お兄さん〟に、会わせてほしい」
♢♢♢
リヴが洞窟内で目を覚ます数刻前。
「サン、少し休みましょう…? このままだと倒れるわよ」
リヴの捜索を始めてから約一時間、一度も休憩を挟まずに探し続けるサンを、フィンが背後から呼び止めた。
全速力で走りながら、サンが後ろを振り返る。
フィンを捉えた彼の目は、少しの余裕もなかった。
一向に走るのをやめないサンに、フィンはさらに言葉を重ねる。
「サン。リヴの心配をするのはいいけれど…、それで自分のことを疎かにするのは違うわ。人を助けるなら〝まずは自分から〟って言うでしょう?」
「………」
「サン。このままだと、貴方が先に倒れるわよ」
「………」
「本気でリヴを助けたいなら、今すぐ体を休めなさい」
「………」
「…っもう!」
(!)
何を言っても止まらないため、フィンはサンの手を引っ張って無理矢理止まらせた。
「ねえ、さん…」
「人の話は聞きなさいよ…」
ずっと走り続けていたため、一度止まると疲れがどっと押し寄せてくる。
それと同時に目眩も襲いかかり、二人はその場に倒れ込んだ。
「はっ…はあ…はあっ…しんど…」
「もう…貴方が…っ無理…するから…」
「…すまない、姐さん…」
「…はあ。まったくもう…」
古びた大きな屋敷の屋根の上で、二人は仰向けになって雲一つない空を見上げた。
疲れてもう一歩も動けないけれど、眼前に広がる空は変わらず青い。
サンは顔だけを横に向けて、フィンに話しかけた。
「…ありがとう、姐さん。あのまま走り続けていたら、俺は危なかった…」
サンからの感謝の言葉に、フィンは目をぱちくりさせる。
「あら、そういうことは全て終わってから言うものよ?」
「…いいや、今も言わせてくれ。本当に助かった。ありがとう」
サンの誠実な姿勢に、フィンは目尻を下げて微笑んだ。
「…そう。お役に立てたのなら、良かったわ」
誰もいない町の中を、柔らかな風が通り抜ける。
上空を旋回する鳥をぼーっと眺めながら、サンはため息混じりに呟いた。
「…こういう時、あいつならどうするんだろうな」
「さあ…。まあ少なくとも、リヴがさらわれることはなかったでしょうね」
「そうか…情けないな」
「考えても仕方のないことよ」
「それもそうか…」
そう言いながら、サンはふと、七年前に解決した事件のことを思い出した。
ルリ・サピロス結成のきっかけとなった、とある事件。
「うーん…」
「どうしたの?」
「ああいや…姐さん、七年前の〝クランツ〟の事件を覚えているか?」
サンは低い声で切り出した。
澄み切った青空とは対照的に、少しだけ空気が張りつめる。
問いかけられたフィンはすぐに頷いた。
あの事件を、覚えていないはずがない。
当時十一歳だったフィンにとって、非常に記憶に残る事件だった。
「ええ、もちろん。…その事件がどうかしたの?」
フィンが静かに問い返すと、サンはそっと近づいて口を開いた。
「これはあくまで俺の推測なんだが…──」
サンが耳元で何かを伝えると、フィンの眉が僅かに動いた。
「……まさか」
投稿が遅れてしまって申し訳ございません。この十節からいよいよ四章となります。引き続きお楽しみいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。




