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♦︎伝説の槍は、僕を殺せない♦︎  作者: Blueberry
『第三章』距離
10/15

《第八節》悪夢

 どこまで続いているかも分からない、暗闇に包まれた、何もない空間。

 気がつけば、僕はそんな場所にいた。

 つい先程まで夕食を食べていた記憶はあるけれど、部屋に戻ってから何をしたのかは覚えていない。

 ここは一体、どこなのだろう。

 少なくとも、王宮にこんな場所はない。

 あったとしても、こんな暗い場所に迷い込むはずはない。

 それにしても、気味の悪い空間だ。

 早く出口を探さないと……


「ゼロ」


(⁈)

 歩き出そうとした瞬間、背後から僕の名を呼ぶ声が聞こえた。

 妙に聞き覚えのある、懐かしい声。


「そこに誰かいるのですか?」


 真っ暗で何も見えないが、声のした方へ話しかけると、しばらくして再び同じ声が聞こえてきた。


「ゼロ。待っていたよ」


 やはり僕は、この声を昔どこかで聞いたことがある。

 よく思い出せないが、僕はこの声の主を知っている。

 誰だったっけ…


 頭の中をものすごい速さで回転させて記憶を辿っていると、ふいに暗闇の中から、ぼんやりと白い人影が見え始めた。

 体を奇妙に揺らしながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 得体の知れない何かに、僕はどうしようもない恐怖を覚えたが、なぜかその場から逃げ出すことはできなかった。

 奇妙な人影は、やがて僕の目の前まで来ると、手と思わしき部分で、僕の頬にそっと触れた。


(⁉︎)


 僕はあまりの恐怖に、言葉を失った。

 触られて、こんなに気色悪い感覚になるのは初めてだ。

 できることなら、一刻も早くここから逃げ出したい。

 しかし、そんな僕の思いとは裏腹に、その手は突然僕の体を引き寄せ、今度は顔と思わしき部分が間近に迫ってきた。

 予想外の出来事に、僕は引き寄せられたまま力が抜けてしまった。

 不本意だが、得体の知れない誰かに支えられる。


 かろうじて、息をするので精一杯だった。

 しかし、得体の知れない影は、一向にその手を離してくれない。

 恐怖と不安が渦巻く中、頭上からまた同じ声が聞こえてきた。


「ゼロ。私が分かるか?」 


 思い出せそうで思い出せない、聞き覚えのある声。

 少なくとも、ここ数年間は聞いていない。

 けれど、妙に聞き慣れている。


「思い出せないのか? なら、これを見てくれ」


 僕の気持ちを察したのか、奇妙な人影はそう命令すると、僕の顔を反対側に向けた。

 いきなり動かされたため、首が悲鳴をあげそうになる。


 されるがままに目を開けると、暗闇の向こうに何かが動いているのが見えた。

 青色と赤色が混じったような、ごちゃごちゃした何か。

 少しずつ、こちらへ近づいてきている。

 目を凝らして見てみると、それは次第にはっきりと見え始め、最終的に僕の目の前に現れた。

 それを見て、僕は思わず悲鳴を上げた。


 目の前に現れたのは〝あの日〟の光景だった。

 足元には、体の半分が消えてしまっている男女。

 その後ろには、怯えた顔をした〝ミネルヴァ騎士団〟の団員たち。

 彼らには特に外傷はないようだが、男女の方はすでに亡くなっており、消えたところから大量の血が流れ出ている。

 血液の水たまりが、僕の足元まで広がってきた。


「あ…いや……あ…」


 震えが止まらない。

 頭が真っ白になって、何も考えられない。

 こんなに最悪な気分になるのは、随分と久しぶりだ。

 …まるで、あの頃のよう。


「ゼロ。私が誰か、思い出したか?」


 おかげで、全部思い出した。

 目の前の光景とすぐ近くの脅威によって、僕の頭は限界を迎えていたが、それでも思い出さずにはいられなかった。

 横たわっている男性は、僕を支えているこの影と同一人物。

 八年前、僕が〝殺〟してしまった、僕とリヴにとって大切な……


「父…上……」


「そうだ」

 未だにはっきりとは見えない父上の影は、その名を呼ぶと、僕の体をいきなり地面に放り投げた。

 ぐちゃっと言う音がして、僕は地面に叩きつけられる。

 後ろを振り返ると、目の前には父上の死体が横たわっていた。

 生気のない、陛下と同じ金色の瞳。

 もうとっくに死んでいるというのに、なぜか見つめられているような気がして、僕は再び悲鳴を上げた。


 どこを見るのも怖くて目を瞑っていると、いつの間にか背後に立っていた父上の影が、僕の髪を乱暴に掴んで引っ張ってきた。

 耳元で、低く感情のない、父上の声が聞こえてくる。


「お前に私を〝父上〟と呼ぶ資格などない。思い上がるな」


 父上の影はそれだけ言うと、最初に現れた時と同じように僕の頬に触れて、そのまますーっと消えていった。

 謎の空間に、再び静寂が戻る。

 あの日の光景も次第に見えなくなり、何も見えない暗闇が僕の周りを包みこんだ。


「ごめん…なさい……」


 そう呟いた時、もう気力がなくなっていた僕は、その場に力なく倒れ、そのまま意識を失った。


♢♢♢


 伸び伸びと響き渡る、小鳥たちの鳴き声。

 机の上に置いていた懐中時計が、朝日に照らされてほんのりと煌めいている。

 あまりにも美しい朝の様子に、僕は驚いて起き上がった。


「あっ、殿下、おはようございます。昨夜はよくお休みになられましたか?」


 ふいに隣から声が聞こえて振り向くと、ティーポットを手に持つ従者のラグが立っていた。

 僕は目をぱちぱちさせながら、彼に問いかける。

「おはよう、ラグ。どうしてここにいるの?」

 確か今日は、珍しく公務のない日だったはずだ。そのため、彼がここへ来る必要はない。

 僕の問いに、ラグは少し目尻を下げて答えた。

「本日よりご謹慎とのことで、監視役を仰せつかりました。よろしければ、お目覚めに紅茶はいかがですか?」 


 そうか。謹慎、か。

 本当に、僕が犯人なのかな…。

 謹慎は人生で〝二度目〟だけれど、こんなに落ち着かないのは初めてだ。

 証拠が見つからなくても、せめて真実だけは明らかにしたい。

 リヴたちの捜索で、何か一つでも判明するだろうか。


「殿下?」

「! …ごめん、なんでもない。朝早くからご苦労さま。紅茶、いただくよ」


 布団から降りてソファに座り、ラグから紅茶が入ったカップを受け取ると、カップの中から華やかな香りが漂ってきた。

 この香りは…ベルガモットかな。

 僕はあまり紅茶には詳しくないのだが、フィンのおかげで、アールグレイの香りだけはなんとか覚えている。

 一口飲んでみると、上品な味わいが口いっぱいに広がった。


「…美味しい。ありがとう、ラグ」

「喜んでいただけて何よりです」


 紅茶を飲みながら、窓の外をぼんやりと眺める。

 次第に昇っていく太陽が、眩しいほどに光り輝いていた。

 今日はなんだかとても気持ちの良い日だ。

 でも、平和すぎて落ち着かない。

 触れたら消えてしまう泡のような、薄い膜の中に閉じ込められている気がする。


「ねえ、ラグ。リヴたちはもう任務に出かけたの?」


 別に聞かなくても良い質問なのだが、聞かずにはいられなかった。

 誰かと話していないと落ち着かなかったのだ。


「ええ。先程、アマネセールの町へ向かわれました」

「アマネセール…」

 ということは、エスペクトロの解体か。


 犯罪組織〝エスペクトロ〟。

 アマネセールの町を拠点に活動しており、メンバーはおそらく三千四百名。

 他の組織との連携が強く、どこまでが一つの組織なのかは分かっていない。

 主に賭博や人身売買を行っているとされ、西の地域では最も危険視されている。


 ざっとこんな感じだったかな…。

 とても凶悪な組織だけど、まあリヴたちなら大丈夫だろう。

 これでようやく、アマネセールにも平和が訪れるんだ。

 国の脅威が一つ減ることに安堵しながら、僕はもう一つ気になっていたことを聞いた。


「そういえば、謹慎のことって公にはされていないの?」

「ええ。まだ殿下が犯人だという、明確な証拠がございませんから」

「そっか…」


 そういえば最初の謹慎の時も、結局公にはされなかったな…。

 あの時は、本当に僕が〝犯人〟だったというのに。

 陛下は本当に、寛容なお方だ。


「いかがされましたか?」

「いや…なんでもない」

「? …そうですか」


 今日はやけに明るい日だ。

 こういう日は、決まって何か悪いことが起こる。

 思い込みだと信じたいが、起こらなかった試しがない。

 せめて〝リヴたちにだけは起こらないでほしい〟と願いながら、僕は残っていた紅茶を飲み干した。

(無事に、帰ってきますように…)


 どこか寂しそうに窓の外を眺めるゼロの横で、ラグが小さな声で呟いた。

「今日は〝なんでもない〟が多いですね…」

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