季節外れの風鈴
チリン
軒下に吊るしてあった風鈴を、外して持ってくるのを、すっかり忘れてしまっていた。
空き家になった実家の片付けに、娘の私が向かったのは、晩秋の寒い季節のこと。
車で3時間の距離。行こうと思えば行けるのに、家を出てから近づきもしなかったのは、うちの親が典型的な新興宗教一家だったから。
行けば、寄付をするから金を出せと言われ、そして金を出せば幸せになれると信じて、両親は喜んで自己破産を選んだ。
私は家を出た。
今は結婚して子どもも3人。旦那は優しくて温かい人で旦那に育てられた子どもたちも、他人を思いやれる優しい子に育っている。家族団欒は温かく柔らかく、しなやかだ。
「家族って、本来はこうなんだな」
古びた箪笥の中身を、次々にゴミ袋へと放り込む。出てきたのは、想像した通りの、寄付の領収書の山。
見たくなかった。総額がいくらになったのかも、計算したくなかったし、考えたくなかった。
「ねえ、お母さん。あの宗教団体、もう直ぐ潰れるってさ」
二つの位牌に向かって、笑ってやった。
「ほんとバカみたい。しかも、誰も幸せになれなかったしね」
お金の無い両親は結局、生活保護を受けて細々と暮らしていたようだ。実家には、ほとんど何も残されてはいなかった。
山盛りのゴミ袋をゴミ収集車が運んでいくのを見送ると、私は水道や電気を止め、カギを掛けた。
車に乗り込んで一息つく。買ってあったカフェラテにストローを刺して飲むと、涙が自然と流れてきて、少し驚いた。
1時間ほど走らせたバイパスの途中で、唐突に風鈴のことを思い出した。取りに行くのは面倒くさい。今度、実家に行く時には、家が売れた時だと思っていたから、今さら感満載だった。
そう思って30分ほど走らせる。
途中で立ち寄った本屋の駐車場で、15分考えた。
もう日は落ち、薄暗がりの中、面倒くさいからと何度も振り切ろうとする。
けれど、私は結局、実家への道のりを引き返した。
あれは私が、12歳の頃。まだ両親は健全で、働き者だった。夏祭りにお小遣いで買った風鈴を、母が軒下にぶら下げてくれた。
それが、こんな肌寒くマフラーのいる季節になっても、透明な音色を奏でている。
滑稽だと思った。
母が。そして、父が。
あれほど強烈に軽蔑し憎んでいたのに、今はもう虚無でしかない。
「幸せだよ、ざまーみろ」
なんの感慨も、なんの哀しみも、なんの愛情もなく、私は外すだろう。冷たい風に、寒い寒いと震えて泣く、夏の風鈴を。




