まさに反吐が出る
両者、風は引かないで欲しいなと呑気に考えていると、電話がかかってきた。
『広瀬快』
出ないと殴られるやつだな。
「ごめん――ちょっと電話」
俺は店の外に出ると、電話に応じた。
「どうした快?何かあったのか?」
『そうじゃないんだけど――お兄ちゃん今どこにいるの?』
何かを心配するよな声色だった。
「友達と夕食だけどそれがどうした?」
『すごい雨が強くなってきちゃったからさ……やむまではあの田舎道は通らない方がいいと思ってさ』
確かに……。
外を見るだけでもだいぶ心配になる振り方をしているように見えた。
『22時過ぎくらいにはやむみたいだし、友達の家とかで雨宿りさせてもらえば?』
時刻は19時42分――思ったより早くやむみたいだ。
「帰るの23時くらいになるけど許してくれる?」
『許さないけど』
「あふん」
『何があふんだよ!』
ブチ――電話を切られた。
これは帰ったら殴られコースだな……いや、平日だから流石に勘弁してくれるか?
俺はスマホをしまい店に戻った。
「申し訳ないんだけど、雨の間だけそっちの家で雨宿りしてもいいかな?」
恐る恐る尋ねると、アリスはにっこりと笑った。
「もちろん大丈夫ですわ!セバスチャンに頼んで車を出してもらいますわ」
その瞬間、彼に車で送って貰えばいいのではと思いついたが、今更言いにくいと思いやめておく。
数分待ってからビルを出ると、すでに車が待ち構えていた。助手席に誰か座っているようである。
にしてもすごい雨だ――レインコートがあったとて、これじゃあ流石に自転車で帰るのは無理がある。
雨の豪音が無数に鳴り響いていた。
「お待ちしておりました」
俺とアリスは車に乗った。
車窓から見える街並みは雨に濡れ、やはり綺麗だった。
少し温かみがあるようにさえ見える――ただ、それが錯覚であることは何よりも明白だ。
「じゃあ、土曜日はどこに行きましょうか?」
「どうしようか……」
日本の観光地に関する知識はそこまでないんだよなぁ。
すると、セバスチャンが眉をピクリと動かした。
「アリス様――土曜日にどうされるのですか?」
「日本について教えてもらうのですわ!少し観光地に行って参りますの」
「それなら、浅草寺がおすすめですよ」
「いいですわね!決定としましょう!」
アリスははしゃぐように手をパクパクと動かした。
ついでに俺はそこに行ったことがない――紹介が難しそうだが、こっちも楽しむつもりでいこう。
「なんでも知ってるんですね」
「そんな大層なものじゃないですよ――経験と調査の賜物というやつです」
「それがすごいって言ってるんですよ……俺は」
彼は静かに笑った。
何十年もメリア家に仕えてきたのだろうか……?
もしそうだとしたら、アリスのお母さんに、もしかしたらおばあさんも守ってきたのかもしれない。
――世界の広さを教えられるようだった。
「やあ、広瀬」
助手席に座っていたのは秋瀬神楽であった。
「おぉ、秋瀬じゃんか」
俺は軽く手を振った。
「お前らは全く……楽しそうにデートしてさぁ……やっぱり惚れられてんじゃないの広瀬〜」
「デートじゃないですわよ!全然!」
アリスは慌てて否定した。
全く……こいつにはからかい癖があるのか?
俺とアリスはあくまで友達――いや、雇用人と労働者といっても過言じゃないんだぞ。
悪く言って接待ってとこだぞ?
……いやそれは言い過ぎだ。
過言がすぎる。
数分もかからないうちに例のマンションに到着した。
「自転車はこのマンションの駐輪場にでも止めておきます」
「助かります」
車を降りてマンションに入る。
天野先輩のマンションやさっきまでいたレストランのビルには少し劣るが、それも目立たないための工夫なんだとしたら納得どころか感心だ。
エレベーターで3階まで上がる。
なんの変哲もない2LDKのようだ――いや、部屋数に関しては観察と推測にしか満たないものだ。
「秋瀬さんは護衛なのですが、それを含めるとここには世話係が3人ほどいますが、アリス様の部屋さえあればそれ以外必要はないですから」
忠誠心に溢れすぎているセリフだ。
この後に大事件が起こるような推理小説だとすれば、秋瀬とセバスチャンを除いたもう1人の世話係についてフォーカスする必要があるかもしれない。
だが、これはあくまで日常コメディ――そうではない。
あくまで日常だからな……彼か彼女かは知らないが、会ったら挨拶くらいはしとこう。
「ほとんど濡れてないですが、お風呂に入ってきては?お身体が冷えているかも」
全員まとまってリビングに来ていたので誰に対する発言かわからなかったが、俺がアリスであるのは確かだろう。
「俺は帰る時に散々汚れるでしょうから――というのも帰りが田舎道でして、街灯もないので転びまくりですよ」
俺は自傷気味に笑う。
「お送りしましょうか……?」
「いえ、一度送ってもらったらもう二度と自転車で登校する気にはなれなさそうなので」
親に送ってもらうのは不可能としても、正直言って電車のほうが楽だろう。
満員電車よりも足が壊れる方がマシだと思ってしまった自分が憎たらしい――登校方法を変えれば済むかもしれないが。
「入ってきますわ」
アリスはそう言いリビングを出て行った。
少しの間沈黙が流れる。
内装は白が多めという位で、少し高級感のあるマンション以外の感想はなかった。
標準より少し大きめの机に使われた跡のあるキッチン――そして、大きめのソファが目立った。
それに座って秋瀬はスマホをいじっている。
もう1人の世話係は現在外出中のようで姿は見えなかった。
「少しお話しをしませんか?」
セバスチャンが俺を呼び止めた。
それに応じて大きめな机の椅子に座る。
なんの話かは気になったが、想像する必要もないことだとすぐに気づく。
それよりも、聞きたいことがあったのだ。
「お話を振られた身からで申し訳ないのですが、俺から質問がありまして」
「構いません――どうぞ」
「……なぜ俺を、というか、一般人にもこの仕事を頼んだんですか?」
秋瀬だけで十分ではないかということが言いたかったのだが、おそらく伝わっているだろう――言葉を続けるのは避けた。
すると彼は切なさを含んだ表情を浮かべた。
「単純に、アリス様の心のためです」
「私じゃ役不足と……!?」
いきなり秋瀬が話に割り込んできた。
「アリス様にこっぴどく振られた後だというのによくそんなことを話せるものですね――」
思わぬ事実が俺の耳に入った。
それなら納得……かもしれないな。
「アリス様何もなかったかのような反応をしてもらえていること自体に感謝しなさい」
「やっぱそうだよなぁ」
諦めが早い……!
ごほん――とセバスチャンは咳払いをした。
「アリス様が誰かと交友を持つこと自体が重要なのですよ。正確に言えば、話し相手ですかね?」
よく理解できた。
人生において、話し相手とは大事な存在である――と聞く。
俺は彼女の精神安定の柱にならなければいけないのだろう。
「これからも末長く――アリス様と――」
「いや結婚はしないですって」
彼女もそれを望んでいないだろうな。
もっといい相手が……世界どころか日本にもたくさんいるだろう。
自分という人間の性格にも――自らに自信が持てていないという現状にも反吐が出る。




