9. 皇子たち
短期間のうちに幾度も皇帝と謁見することになろうとは、ジグートの人生では想像だにしなかった。それも壮行会のような公の場でなく、私的な会合とは。恐ろしいのは、この状況に自分が慣れ始めていることだ。
献上した鉱石を、皇帝が矯めつ眇めつ興味深げに見る。同席した補佐官らも同じく検分するように鉱石を凝視していた。
「確かに美しい石だが、それほどの埋蔵量があると?」
「はい。ベントス山地下には、この鉱石で洞窟が形成されており……」
ジグートは事前に打ち合わせた内容をつらつらと並べる。さも己の考案であるように話すのは居た堪れないが、これが発案者であるアマテリアの望みなのだから仕方ない。当の本人はにこにこと隣で見守っている。
幾つか質問を挟みながら説明を聞き終えた皇帝は、ふむ、と満足げに頷いた。
「中々に将来性の見込める話のようだ。よくやってくれた。幾らか口は出させてもらうが、全面的にソレイムへ任せよう」
連邦支配に替わる大討伐成果として鉱石は認められたようだ。ジグートは密かに胸を撫で下ろした。
説明を終え、退室を促されたジグートは粛々と立ち上がり扉へ向かう。当然のようにアマテリアを傍に連れて。そこへ皇帝が声を掛けた。
「ジグート王子」
皇帝は並び立つ二人をじっと見る。緩やかな亜麻色の長髪を揺らす華奢なアマテリア、藍色の髪を短く刈り上げ武人然とした体格のジグート。まるで正反対な二人へ皇帝は穏やかな笑みを向けた。
「これほど有能な者がソレイムの後継として育っていたこと、喜ばしく思うぞ。皇女と並ぶ姿もなかなか様になっているではないか。凱旋式典にはぜひとも期待していてくれ」
「陛下にも認めていただけたことだし、婚約の準備を進めなければね」
「やはりあれはそういう意味なのですか……?」
大討伐の結果報告と採掘事業の提案──帝都へ来たのは、正式な凱旋前の簡単な調整目的だったはずだ。まさかこの場で婚約の話が持ち出されるとは。
(いや、元を辿れば殿下を貰い受けるにふさわしい成果を上げるためであって、婚姻を仄めかされるのは当然の流れで……)
眉下がったジグートの顔を見て、アマテリアはにやりと笑う。
「凱旋式典で大々的に発表なさるおつもりね。帝国皇女と大討伐の英雄が結ばれる瞬間は、どれだけ華々しく話題になるかしら。近年一番の慶事だもの」
その光景を想像してジグートは喉を唸らせる。納得して彼女の計画に乗ったとはいえ、やはり自分がそうした舞台に立つことは何とも奇妙な気分だった。
未だ及び腰なジグートと対照的に、アマテリアはうきうきと楽しげな様子だ。やはり女性は華やかな場を好むのだな、と場違いなことを考えていると、腕に添えられていた彼女の手にぐっと力が込められた。反射的に体を僅か傾ける。アマテリアがそっと顔を寄せて囁いた。
「ここからは如何に結婚を先延ばしするか考えなければね」
パッとアマテリアに向き直る。どういうことかと問い詰めようとして、ジグートは踏みとどまった。ここは帝城と皇宮を繋ぐ回廊だ。周囲には騎士や使用人など多くの目がある。
己を律したジグートの姿に、アマテリアは満足げに口角を上げた。こうした咄嗟の対応力でも彼を評価し、ひいては彼を選んだ自分を賞賛している──という思考がジグートにはありありとわかった。
「アマテリア、ジグート王子」
と、その時、回廊の真ん中で見つめ合う二人を呼び止める声があった。
ジグートは即座に振り返り頭を下げる。皇女であるアマテリアを敬称なしに呼ぶ者など限られているからだ。
「何かご用かしら、アトゥラフ」
歩み寄ってくる相手へアマテリアが軽やかに言葉を返す。気安く呼ばれた名にジグートは身を固くした。
アトゥラフ第一皇子。皇帝の第一子であり、アマテリアの兄でもある。次代の帝位に最も近いとされる者だ。
ジグートとて王子という立場のため、目通りしたことはある。とはいえ、こうして名指しで呼ばれた経験など皆無だ。伏したまま何事かと目を白黒させているその頭に、アトゥラフの声が降ってきた。
「ジグート王子と少し話がしたい。時間はあるか?」
現皇帝は三人の妃との間に五人の子を成した。まず皇后が第一皇子アトゥラフを産み、翌年には側妃から第一皇女ユーノルテが誕生した。二組の母子が産褥の回復と育児に勤しむ傍ら、皇帝は新たに側妃を迎える。これを機に、側妃を呼び分けるため、一の妃・二の妃という呼び名が定着した。後に一の妃が第二皇子ヴァルクトを、次いで二の妃が第三皇女アマテリアを出産する。それから五年ほど静かに時が流れ、今度は皇后が懐妊した。しかし彼女は第三皇女イリアンヌを産み落として亡くなってしまう。これ以降皇帝は妃も子も増やすことなく、現在の皇室の形になった。
──という経緯をジグートはぼんやりと思い返していた。どうでもいいことに思考が及ぶのは、現実逃避なのだと彼自身よくわかっている。とはいえ、そうでもしないと平静を保てない自信もあった。
帝国皇子と二人きり、帝城の一室で向かい合う。これほど突飛な状況を易々と受け入れられようか。
「突然すまないな。一度場を設けたいと思っていたんだ」
対面のソファに悠々と座し、アトゥラフは優雅にカップを傾ける。
輝く金髪、美しい顔立ち。アマテリアが華やかな印象であるのに対し、アトゥラフは鋭い氷のように感じられる。父である皇帝は穏やかで親しみやすい容貌だから、二人とも母親に似ているのだろう。
他所事に意識を飛ばすジグートを察してか、アトゥラフは面白そうに口角を上げた。
「そう緊張せずともいい。そなたを咎めようなど思っていない。ただ、あのアマテリアが選んだ相手はどんな男なのか見てみたかっただけだ。陛下からもお許しをいただけたのだろう?」
婚約の話はまだ公になっていないが、兄ともなれば知っているようだ。ジグートは気後れしそうな己を呼吸一つで奮い立たせた。
「恐れ入ります。アマテリア皇女殿下とご縁をいただきましたこと、望外の僥倖です」
「感謝するのはこちらのほうだ。そなたの許へ落ち着いてくれて安堵している。しかし……」
切れ長の目がすっとジグートを正面から捉えた。
「何分急な話だっただろう。その上、婚約が公表されれば引き返すことはできない。本当にそれでいいのかと気になってな」
ジグートは一瞬きょとりと目を丸くした。それは勿論、と答える前に、アトゥラフが言葉を継いだ。
「そなたは王子の身でありながら、王位を継ぐ意思がなかったのではないか?」
アトゥラフの指摘にジグートはどきりとたじろいだ。
元よりジグートは、国の片隅でひっそりと生涯を閉じようと考えていた。王族に生まれた者として、軍事に勤しむことで義務を果たす。しかし決して日向には立たず、陰から国を支えようと。
理由はジグートの出自にある。母である王妃はかつて父の兄、ジグートから見た伯父と結婚しており、王太子だった夫が不慮の事故で亡くなったために弟王子と再婚することになったのだ。丁度王位継承を間近に控えた状況で、その形が最も都合が良かったのだという。こうして父と母は夫婦となり、間もなくジグートが生まれた。全ては偶然の結果であり、愛憎劇などないことは確認が取れている。ただ事実を並べると、どうしても疾しさが窺える状況になってしまうだけだ。
簒奪や不義の疑惑を孕んだ存在である自分は王位にそぐわない。ジグートは幼い頃からそう考えていた。そういう意思を隠したことはなかったし、ソレイムの臣下も理解している。
しかし宗主国の皇子に直接確認されると答えづらい話であるのは確かだ。
「皇女を娶ってしまえば臣に下ることなどできまい。重責を担う覚悟はできているのか?」
アトゥラフの指摘はまさに、痛いところを突かれた心地だった。ひやりと背筋に冷たいものが流れる感覚がする。
覚悟ができたかと問われれば、否と答える他ない。ジグートはただ、先見の賢者たるアマテリアの選択に従ってきただけだ。
アマテリアのことは信頼している。彼女の言動を疑う気はない。支えたいという思いもある。しかしそれは、皇女を娶って己が王位に就くのとは全く異なる覇道を見据えた心構えだった。
アトゥラフが美しい瞳でジグートを見つめる。皇族にしか現れない神血の瞳。アマテリアと同じ神秘的な虹彩は、やはり心の内側を見透かされている心地になる。あの瞳を前に偽りを述べることはできない。
「ご配慮恐れ入ります。確かにそのような意思であったことは事実です。今でも自分に王たる資格があるとは思えません」
せめて誠意が伝わるように、ジグートは背筋を伸ばしてアトゥラフを真っ直ぐ見返した。
「ただ私は、アマテリア殿下の隣で、信頼して背を預けていただける存在になりたいと考えています。殿下と共に正しい道を選び続けていけたらと」
口に出してみて、自分の本心を初めて掴めたような気がした。
ジグートは王になりたいわけではない。だからその覚悟もない。そうではなく、皇帝として立つアマテリアを支える者でありたいのだ。それはほとんど初めて抱いた、未来への能動的な意思だった。
しばしじっと黙ってジグートを見ていたアトゥラフは、ふっと表情を緩めた。
「なるほど。流石はアマテリア、的確な人選だな」
どういう意味かと訝しむジグートにアトゥラフは興味深げな視線を向けた。
「あやつに生涯寄り添おうという気概を持っているだけで及第だ。あれは時折妙に強情なところがあるからな。そなたは随分と真面目な性分のようだから、中々苦労しそうだ」
兄だけあって分析が的確だ。既に色々振り回されているので、返す言葉もない。思わず口を引き結んだジグートを見て、アトゥラフは真剣な表情を浮かべた。
「御し難い妹だが、あやつが何かを強請ったときは必ず『成功』を掴む。当人だけでなく、帝国にとって益となる成果をな。此度の婚約もそうなることを期待している」
含みのある言い方だ。まるでアマテリアの賢者の力を指しているようにも思える。彼女は兄妹に隠していると言っていたが、アトゥラフは何か知っているのだろうか。
探りを入れるべきかとジグートが考えたとき、ノックと共にアトゥラフを呼ぶ声が掛かった。時間のようだ。
侍従に促されてアトゥラフが腰を上げる。退室しようとした彼は、扉の手前で「そうだ」とジグートを振り返った。
「ジグート王子は軍事を預かっていたな。武芸にも通じているか?」
アマテリアは皇宮の外れにある館へ足を運んだ。皇族の私的な空間である宮殿は複数の棟に分かれており、それぞれで主人が異なる。皇帝の住まう主殿から最も離れた位置にあるこの棟は、立地にも関わらず訪問客の足は絶えない。ひとえに館の主が必要とされているからだ。
訪を告げ、執事の案内を受けて奥へ進む。使用人の数も少なく閑散としているが、決して寂れても放逐されてもいないことは、邸内の様子をよく見ればわかる。隅々まで掃除が行き届いていて、カーテンや絨毯は季節に応じて取り換えられ、花瓶の花も毎日新しいものが生けられているのだ。主人に忠実な使用人たちを思って笑みを浮かべ、アマテリアは整えられた廊下を進んだ。
辿り着いた奥の居室、その扉を執事が数回叩く。
「ヴァルクト様、アマテリア殿下がお越しになりました」
呼び掛けに返事はない。しかし声が届いていることは経験上わかっている。アマテリアは目で合図し、扉を開けさせた。
本来晩餐の間として設えられた部屋は、用途のわからない機具やいくつもの棚で溢れかえっていた。その上、床にも棚上にも堆く本や紙束が積まれている。混沌とした室内の、一番奥にある机にかじりつくように、彼はひたすらペンを動かしていた。
「今度はまた何を作ろうとしているの?」
「長距離間の交信設備。三年くらいかかったけど、やっと形になりそうだ」
答えを聞いて、ヴァルクトの手元を覗き込んでみても、アマテリアにはどういう構想かまるでわからない。しかし彼が手掛ける技術なのだから、間違いなく世の中を大きく変えるだろう。
アマテリアの腹違いの兄。第二皇子。ヴァルクトは身分だけを指せば同じ皇族だが、彼をただの皇子と見る者は少ない。彼は『稀代の発明家』として名を轟かせる天才だ。当人はこうして皇宮に潜み、社交の場には滅多に出てこない。しかしその手によって生み出された様々な道具は、画期的な発明として持て栄やされ、帝国民なら誰もが知るほどに普及している。なんとも歪な皇子である。
艶やかな赤毛を見下ろしていると、ヴァルクトは不意に手を止め、アマテリアを仰ぎ見た。
「大討伐から帰還したんだったか。今日は凱旋前の話し合いだろ。わざわざここへ来た理由はなんだ?」
天才と謳われるだけあって、ヴァルクトを訪ねるときは話が早くすむ。だからアマテリアはこの兄のことを気に入っていた。
手提げの小さな鞄からハンカチの包みを取り出してヴァルクトに差し出す。眉を顰めながらも素直に受け取って包みを開き、彼は目を見開いた。
光の具合で輝きを変える美しい鉱石を凝視するヴァルクトの姿に、アマテリアは満足げにほくそ笑んだ。




