8. 彼女が見た絶望
戦地からソレイムに戻って数日。ジグートが大討伐の事後処理に忙しなく対応する中、エステダ連邦から“品物”が届いた。
「例の鉱石か……ああ、首長が持っていた宝珠と同じ輝きだ」
片手に乗るだけの麻袋に詰められた石くずは、しかし光を当てると色味を変える。ラウルスが所持する宝珠とは比べ物にならないほどの小さな欠片だが、間違いなく、かの鉱石だった。
大討伐の成果として鉱石採掘権を奏上するには、まず鉱石そのものの価値を認めてもらわねばならない。届いた鉱石は皇帝への説明資料にする予定だ。アマテリアが──連邦が宝珠として受け継いできた大ぶりな石の他に保管している分があるだろうと──ラウルスに要求して融通させたものである。
麻袋を持って、ジグートは住み慣れたソレイム王城内を闊歩する。
アマテリアに与えた客間に着くと、彼女は帝都から連れてきた侍女と楽し気に話している最中だった。
「これがジグート王子とラウルス首長が言っていた鉱石ね? まあ素敵、本当に美しいわ」
小さな指で石を掴んで光に透かすように眺めると、侍女と一緒に嬉しそうに笑う。そんなアマテリアの姿にジグートは違和感を抱いた。
(なぜ、さも初めて見たような反応を?)
鉱石の存在や性質など、彼女はとっくに知っている。講和の机上に鉱石を上げた当人だ。しかし目の前で石を眺める様子は、初めて見る宝石に目を輝かせる純真な少女のようだった。
訝しむジグートにアマテリアが愛らしい微笑みを向けた。
「こんなに綺麗な鉱石を、ジグート王子が直接見せに来てくれるなんて、とても嬉しいわ。お忙しそうで心配もしていたけれど、寂しくも思っていたところなの。折角だし、少しお散歩なんていかがかしら?」
言ったアマテリアより、侍女のほうが期待を込めた目を向けてくる。ジグートはどこか気恥ずかしさを感じながら、エスコートすべく手を差し出した。
ソレイム王城の庭園は、一見するとただの丘だ。城内にある庭というだけで、特別な植栽や手入れなどしていない。帝城と比べれば見劣りするどころの話ではないが、アマテリアは楽しそうに歩いていた。
障害物もほとんどない庭園を進むと、警備の数も減ってくる。アマテリアが目配せをして、付き添いの侍女を木陰に待機させた。そのまま侍女や騎士から十分な距離をとったところで、ジグートは堪らず口を開いた。
「……どうして知らぬふりをしたのです」
ジグートの言葉が鉱石への反応を指していると、アマテリアは違わず理解していた。
「鉱石の件はそなた主導で進める体を取ったほうが自然でしょう。連邦領と隣接しているソレイムなら、宝珠の話を耳にしたことがあっても不思議ではないから」
「だとしても、あの場で誤魔化す必要は……」
言ってから、ジグートはハッと気付いた。
「……侍女を信用できないのですか?」
思えばラウルスとの交渉でも、アマテリアは決して自分の侍女を同席させなかった。ジグートが傍につき、護衛も足りていたといえばそれまでだが、彼女は明らかに重要な場面で侍女を遠ざけている。
指摘を肯定するように、アマテリアは美しい微笑みを携えたまま淡々と語りだした。
「私の専属侍女は三人。うち二人はクロムデル王子への輿入れにも同行してくれたけれど、王子が謀反を起こした頃には姿が見えなくなっていた。もう一人は帝都に残って結婚したはずだけど、相手もその後の動向もわからない。いずれにせよ、三人とも背後関係が定かではないの」
つまり侍女にはアバドス侯爵の息がかかっていないと断言できない、ということだ。敵かもしれない者に身の回りを囲まれていては、気が休まる暇もないのではないか。考えた瞬間、ある提案がジグートの口をついて出た。
「私から殿下に侍女をつけては駄目でしょうか」
ぱちり、とアマテリアが大きな目を瞬かせる。
「あ、いえ、申し訳ありません。余計なことを」
「いいえ。むしろ名案だわ。どうして思いつかなかったのかしら……適した者がいるということね?」
ジグートが頷く。咄嗟の思いつきだが、適任者の顔は浮かんでいた。アマテリアが何より重視する、侯爵との繋がりを否定できる人物だ。
「後で顔合わせだけお願いできる?」
「勿論です。人柄も保証しますよ」
するとアマテリアはゆるりと頬を緩めた。芯から安堵したような表情に、ジグートは思わずドキリとする。
「そなたが選ぶ者だから、憂慮はないわ。ありがとう」
飾らないアマテリアの言葉が心に沁み込む。ジグートとの甘い逢瀬すら意図して演出していた彼女が、そんな気の抜けた姿を見せるとは。何だか堪らない心地になった。
懸念事項が解決して緩んだ空気が流れるが、ジグートにはもう一つ、気になることがあった。
「差し出がましいですが、お伺いしても?」
「どうぞ」
「その……皇族の、ご兄妹方にも、殿下のことは知らせないおつもりですか?」
モルディンの話を聞いてから気に掛かっていたことだ。破滅の未来で、皇族はことごとく殺される運命にある。すなわち、アマテリアの兄妹もまた、立場としてはジグートたちと変わらないはずだ。皇帝は周囲の耳も多い分警戒を解けないとしても、皇子や皇女であれば秘密を共有する術もあるのではないか。
侍女すら信を置けないと聞いて、ジグートの胸にひやりと焦燥が差し込んだ。せめて兄妹だけでも、彼女の不安を分かち合える存在になれれば──案じるジグートに、アマテリアは憂いを帯びた顔を見せた。
「いずれ、とは考えているわ。そう……ただ、少し……」
小さく呟くように続けたアマテリアの言葉を、ジグートは聞き取ることができなかった。問い掛ける前に、アマテリアが添えていた手にぐっと力を入れて歩みを促した。
「まあそうね。いずれ、ね」
壮行会の場で神官が凶行に走ったとき、アマテリアはただ怯えることしかできなかった。
兄の謀反を止めたクロムデルの姿は王族らしい威厳に満ち溢れていた。やがて彼が大討伐に赴き、見事首長を討ち取って連邦を制圧したと聞いて、あの王子ならと納得したものだ。
凱旋したクロムデルに、皇帝が褒美としてアマテリアを降嫁させると宣言したことも、当然の帰結であり喜ばしいことだと思った。
半年の婚約期間は慌ただしく過ぎて、遂に輿入れのときが訪れる。
教会で婚姻を宣誓した後、控室で鏡を見て、アマテリアは見慣れぬ自分の姿に驚いた。二十年共にあった神血の瞳が、普遍的なヘーゼルの色に変わっている。ようやく結婚を実感できた気がした。
ソレイム王子妃となってから、アマテリアは更に社交界での存在感を増していった。南部鉱山での鉱石事業が軌道に乗り、ソレイムは一気に富を得たからだ。アマテリアの装いは日を増すごとに豪奢になり、皇女時代よりも裕福で優雅な暮らしを送ることになった。
アマテリア自身、社交の華として輝くことは幼い頃からの憧れだった。夢に見た生活を送ることができ、彼女の結婚生活は輝いていた。
翳りのはじまりは、帝国第二皇子ヴァルクトの訃報だった。
帝国に併合された旧連邦領へ視察に赴いた際、エステダ残党の強襲を受けたという。ヴァルクトは元より武芸など嗜んでおらず、視察ということで警護も手薄だった。
残党は本懐を遂げたとばかりにその場で自害し、皇子の死という悲惨な事実だけが残された。
帝国中がヴァルクトの死を悼む中、今度は第三皇女イリアンヌが悲劇に見舞われた。
イリアンヌはヴァルクトの死を大いに嘆き、兄の魂に祈りを捧げようと、帝都の北にある大聖堂へと向かった。その道中、不運にも事故に遭い、命を落としたのだ。
事故というのは状況から推察したことで、実際に目撃した者はいない。川の下流で大破した馬車と無惨な彼女の遺体が見つかり、流されてしまったのだろうと結論づけられた。
第二皇子の死から三カ月と経たないうちの出来事だった。
皇族を立て続けに襲った凶事に、民たちは悲しみながらも、様々な噂を囁く。いずれも妄想し捏造した皇子皇女にまつわる醜聞だ。アマテリアもまた、心無い風聞に晒されることとなった。
しかし、そうした風潮に最も影響を受けたのは、元第一皇女ユーノルテだった。
ヴァルクトは同腹の弟で、イリアンヌは腹違いなれど可愛がっていた妹だ。二人を失って気落ちしたところへ、多分に悪意を孕んだ世間の風評が届く。
更に折り悪く、彼女の夫である小侯爵モルディンが急病により他界した。心の支えを失ったユーノルテは心身ともに病んでいき──ついには帰らぬ人となった。
これを機に、国中が皇族へ猜疑の目を向けるようになる。誰もが心の中に疑念を抱いていたのだ。
『皇族は罪を犯し、神の怒りに触れたのではないか』
神罰を受けた皇族は退くべきだ、血でもって神への贖罪を──いつの間にやら批判を叫ぶ声は大きくなり、あちこちで暴動が起きたり属国の離反が相次いだりした。神の血統として盤石な国政を敷いてきた皇室の威光はみるみる失墜していく。治安は乱れ、国土は荒れた。
瓦解寸前の帝国にとどめを刺したのは、ソレイム王国クロムデル王子だった。皇族を糾弾し、帝国を正そうと挙兵したのだ。民心と重なったソレイム軍の勢いはすさまじく、進軍を妨げるものはないに等しかった。
当代皇帝オーディウスと第一皇子アトゥラフを討ったとの報せが届くまで、さほど時間はかからなかった。
──そしてクロムデルが逆臣として教会に処されたのは、皇帝誅殺からひと月後のことだった。
相次ぐ身内の死に嘆いていたアマテリアは、ある日突然聖騎士によって連行され、牢に放り込まれた。なぜ自分が捕らえられたのか、誰が主導したのか、肝心の情報は何一つ得られないままに。
留置されたアマテリアは、ほぼ全ての時間を祈りに捧げるようになった。愛する家族の冥福を、帝国臣民の安寧と幸福を。半ば現実逃避の行動ではあったが、神に捧げた思いは真実だった。
──アマテリアの敬虔な姿勢が神に通じ、あの“奇跡”は起こったのだろう。
収監されたときと同様に突然牢から連れ出されたアマテリアは、熱狂する民衆の前に引きずり出された。教会本部、大聖堂の正殿前だった。神聖で厳かなはずの場所に貴賤問わず老若男女がひしめき、誰もがアマテリアを見ている。口々に投げつけられる言葉は全て罵声だ。状況がわからないまま、アマテリアは即席で設えられた壇上へ引きずられて行く。
不意に彼女の目がアバドス侯爵の姿を捉えた。彼もまたこちらを見ている。視線が交わった瞬間、“それ”はアマテリアの脳内に流れ込んできた。
『あの男が全て奪った』
ヴァルクトを、イリアンヌを、ユーノルテを、アトゥラフを、父を──皆あの男が命を奪った。婚姻から始まったアマテリアの栄光と墜落の人生は、全てあの男に仕組まれていた。様々な記憶が走馬灯のように脳裏を巡り、同時にあの男が裏で抱いていた野心がアマテリアに流れ込んでくる。
あらゆることが、あの男の筋書きだったのだ。
濁流のように襲い来る情報に翻弄され、アマテリアはふらりと身体を傾ける。すかさず聖騎士に抱え上げられ、やがてどこかに跪かされた。
視界はぼんやりと霞んでいる。耳鳴りで周囲の音も聞こえない。それでも力を振り絞って顔を上げると、再びアバドス侯爵と目が合った。どす黒い何かがアマテリアの身に渦巻いている。
──あの男が、帝国を滅ぼした。
理解した瞬間、重く鋭い刃がアマテリアの首に振り下ろされた。
「ハッ! ……ハァ……ハ…………」
跳ね起きて、アマテリアは思わず首を押さえた。どくどくと脈打ち、肌が汗で濡れている。
数回大きく深呼吸してサイドチェストに手を伸ばす。布を取って首筋を拭った。水差しから冷水を注いで一口飲むと、ひやりとした感覚が臓腑に染み渡っていく。ようやく少し落ち着いてきた。
ただの夢というには生々しく、忌まわしい光景の数々。決して忘れてはならないと、神が夢を通して忠告しているのだろうか。
(忘れるわけがない)
あの絶望を退けるために、アマテリアはここにいるのだから。




