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7. 運命に沈むはずの者たち

「賢者? 皇女が……あの伝説の?」

 ええ、と頷いて、アマテリアは声色を一段落とした。

「精霊水は連邦の去就に大きく関わる。ひいては帝国の命運を分ける重要事項だから、こうして口を出させてもらったまで」

 そうして彼女が淡々と語り出したのは破滅の未来だ。壮行会でのクロムデルの奸計に始まり、族長の背信でもたらされる大討伐の結末、その後に辿る帝国滅亡の末路まで。“先見の賢者”たるアマテリアが見た帝国の危機的未来を、彼女自身が語って聞かせている。


 驚愕の表情を浮かべて聞き入るラウルスやハインツ・デリクの傍らで、ジグートもまた呆然とアマテリアを眺めていた。

(危険だから秘匿すると、そう言っていたのに)

 アマテリアは、自身が先見の賢者であることを誰にも明かしていなかった。それはひとえに、賢者の力を知られれば命が脅かされるからだ。親である帝国皇帝にすら隠していた秘密を、しかしジグートには打ち明けてくれた。信頼に値すると、未来の夫に選んでまで──

 はた、とジグートは思考に飲み込まれかけた意識を引き上げた。自分が今何を考えようとしていたのか気付いて羞恥に染まる。

 アマテリアから賢者の秘密を打ち明けられるのは特別なことだ。特別の意味を、ジグートは履き違えそうになっていた。そこに彼女の感情はないはずなのに。

(この身が潔白だから、破滅を回避する必要があるから、選ばれただけだ)

 羞恥からの猛省と、僅かばかりの寂寥感。泥沼に浸かるような居心地の悪さを抱えながら、ジグートはアマテリアの話に再び耳を傾けた。


 ひと通りの説明を終えて、アマテリアは精霊水に話を戻す。

「──帝国統治下となったエステダ領地は、クロムデル王子のもと急速に開拓が進められていった。けれど精霊水だけは首長の座に就いたアントン族長が全ての権利を握っていたの。公には、精霊水はソレイムによるベントス山開拓時に偶発的に発見されたことになっていた……エステダの民が永らく信仰の対象としていた秘宝だというのに。アントン族長は帝国支配を理由に精霊水を世に知らしめ、利益を得たかったのでしょう。故国を売ってまで手に入れたかったものが自らの富だなんて呆れてしまうわ」

 随分と下劣なこと、とアマテリアは嘲笑した。

 相対するラウルスは、彼女に同調するでもなく、ふーっと長く息を吐いて大きな体を座面に沈めた。頭を抱えるように片手を額に添えると、アマテリアを窺い見る。

「皇女の事情は理解した……だとしても、帝国の継承など俺には直接関係ない。一体何を企んでこんな話を聞かせた?」

 確かに、先程までの話で講和は整っていたはずだ。賢者の秘密が漏洩する危険を冒してまでラウルスに打ち明ける必要はない。

 するとアマテリアは、にんまりと笑みを浮かべた。

「侵略戦争を講和で妥協し、自治権維持と不可侵を誓い、部族の秘宝にも不干渉を貫く。ここまでした相手への見返りが鉱石の採掘権だけで済むとは、そなたも本気で思っていないでしょう?」

 改めて羅列されると、あまりにもエステダ連邦に有利すぎる状況だ。指摘を受けてラウルスも眉間に皺を寄せて黙り込んだ。構わずアマテリアが続ける。

「難しいことを頼むつもりはないわ。ただ少しだけ、私に協力してもらえれば」

「……協力とは」

「ある人物と通じている()()をしてほしいの」

 そこでアマテリアはデリクに声を掛けた。らしくなく立ち尽くしていた騎士が慌てて応えると、彼女はひらりと部屋の片隅へ手をかざす。

 その手が示したのは隣接する小部屋に繋がる扉だ。人払いをしているから、当然その先には誰もいない──はずだった。




 椅子に身体を縛り付けられ、口元を布で塞がれた男が、開いた扉から驚愕の顔を覗かせる。大討伐直前、アントンと共に捕らえていた、内通相手のモルディンだ。

「なっ……!」

「デリク、こちらへ連れてきて。椅子ごとで構わないから」

 命じられるままにデリクがモルディンを運んでくる間、彼女は怪訝な顔をするラウルスに彼を紹介し始めた。

「その男はドルケノン公国の者で、名はモルディン。アバドス侯爵の嫡男で、アントン族長との連絡役を務めていた、いわば間者ね」

「間者だと⁉」

 ラウルスが運ばれてくるモルディンをまじまじと見る。

「小侯爵も、話は聞いていたわね?」

 遺恨などないようにモルディンへ接するアマテリアの前に、ジグートは視線を塞ぐように立ち上がった。

「どういうことです殿下、この男は……」

「目下、私の仇敵ともいえるアバドス侯爵の腹心ね」

「でしたら何故!」

「確かに敵方ではあるけれど、モルディン卿なら問題ないわ。この者はそなたたちと同じだから」

 アマテリアは、畏怖と困惑が入り混じった表情のモルディンを見遣る。

「彼もまた、そなたたちと同様、消される運命にある。だからこそ信頼できるの」

 同様と括られた意味を理解して、ジグートは眉を顰めた。


 ジグートも、ハインツとデリクも、ラウルスも、信頼に値すると判断された理由は等しく“排除される者”だからだ。破滅する未来の中で、アバドス侯爵の企みによって命を奪われる者。翻って、それはアマテリアにとっての絶対的な味方となる。侯爵と対峙するために手綱を握っておきたい存在だ。

 そんなジグートたちと同じ立場だと判じられたモルディン。アバドス侯爵の息子であり後継者でもあり、大討伐の内通工作にも関わった、まさに侯爵の手足であるはずの男がなぜ──


「モルディン卿はいずれ必ず侯爵に背くことになる。侯爵の描く未来を知ってなお従うことなど、この者にできはしないわ」

 確信を持ってアマテリアは断言する。

「アバドス侯爵の狙いは皇統断絶。皇族として生まれた者を決して生かしてはおかない。たとえそれが既に皇室から離籍した者……降嫁した元皇女であろうとも」

 大きな音を立ててモルディンが身じろぎした。目を見開いてアマテリアを凝視している。正面からその視線を受け止めて、アマテリアは問い掛けた。

「そなたは大層な愛妻家だもの。妻を見捨てることなどできないでしょう?」

 ジグートもようやく思い至った。アマテリアの言う妻とは、元第一皇女ユーノルテのことだ。

 そもそも、アマテリアから最初に奸臣としてアバドス侯爵の名前を聞かされたとき、ジグートは大いに戸惑った。侯爵は皇族の縁戚であるからだ。皇女を嫁がせるのは皇帝からの信頼の証である。そんな忠臣が裏切るのかという失望と、姉の身内と敵対せねばならないアマテリアへの哀れみと、複雑な心境を抱いたのを覚えている。


 アマテリアがデリクに命じて、モルディンの口布を外させた。未だ身体は椅子に括り付けられたままだが、彼は喚くこともなく静かに言葉を発した。

「……父がユーノルテを手に掛けるなど、本当に?」

「息子のそなたから見て、侯爵はどんな人物? ソレイムやエステダを巻き込んで狡猾に皇族を抹殺する者が、ユーノルテという()()()()を残すかしら」

 逆に問い返されて、モルディンは口篭もる。

 アマテリアが見た()()の話では、アバドス侯爵は一切の瑕疵を残さず新皇帝を擁立させているという。それほど慎重な男が、帝位を揺るがす元皇女を生かしておくとは思えない。

 それに、とアマテリアは続ける。

「侯爵の手の内にある皇族の血はユーノルテだけではないでしょう」

 モルディンが小さく「まさか」と呟いた。

「帝国を牛耳ろうという侯爵にとって、ユーノルテが最も危険な存在だとすれば、逆に最も価値ある存在は誰だとお思い? 権力を握るためには、権威ある者を手中に収めるのが道理でしょう。帝国における一番の権威とは皇帝に他ならない。では侯爵にとって理想的な皇帝とは?」

 ジグートもまた嫌な推察に行き着いた。

 アバドス侯爵といえど直接帝位につくことはできない。血筋に正当性がないからだ。ならば己の意思を反映できる傀儡を皇帝に据えるだろう。侯爵にとって最適な駒──帝位に相応しい出自を持ち、影響力が大きく及ぶ者──モルディンとユーノルテの娘・エレノアほど条件を満たす者はいない。

「このまま侯爵に従えば、妻を喪い、娘を奪われ、失意のままに命尽きる未来がそなたを待っている。父への忠誠を誓うか、仁義をもって私の手を取るか、この場で選びなさい」

 重大な選択を突きつけるも、アマテリアには答えはわかりきっていた。

 モルディンはユーノルテとエレノアを深く愛している。その愛情が本物であることはアマテリアもよく知っていた。故に彼は、父アバドス侯爵の目論見を全て理解したとき、抗うことを選ぶのだ。己の命を懸けてでも。

 そう、アマテリアはモルディンが選ぶ道を知っている。ただ少し、選択の時を早めただけだ。

 しばしの沈黙の後、期待に違わずモルディンが頭を垂れた。

「私は何をすればよろしいのでしょうか、アマテリア殿下」




 アマテリアがモルディンに命じたのは、アバドス侯爵の下で連絡役としての立場を維持しながら、ラウルスとの繋がりを持つことだった。

「アントン族長は失墜したが、代わりにラウルス首長に付け入り制御することができた。そういう()()をしてもらいたいの」

 裏切者と通じるなど、と不快感を露にラウルスがむすりと顔を顰める。

 横合いからジグートが口を挟んだ。

「要は二重スパイということですか? しかし既に大討伐は侯爵の想定と異なる形で落ち着いています。今更連邦との繋がりを作ったところで意味があるとは……」

 アバドス侯爵が大討伐に向けて暗躍したのは、つまるところクロムデルの箔付のためだ。首長を暗殺して混乱を招き、隙を突いて連邦を制圧すれば、討伐成功を演出できる。しかし今となっては、クロムデルは早々に失脚し、内通相手の族長も捕らえられてしまった。もはや連邦に計略を仕掛ける旨味があるとは思えない。

 しかしアマテリアはゆるりと首を横に振った。

「そもそもアバドス侯爵が連邦を利用しようと考えたのは、いざというときの手勢が欲しかったから。具体的に言うと、クロムデル王子に謀反を起こさせるときの反乱軍として動かせられる手勢がね」

「反乱軍、ですか?」

「帝都に攻め入り、皇帝を討ち滅ぼすことができるだけの軍勢。今のソレイムでは到底準備できる規模ではないでしょう。戦に敗れ帝国に従属したエステダの民は、最も手頃な兵だもの」

 考えてみれば、確かにソレイムの軍事力では帝都制圧など不可能だ。つまりアバドス侯爵が大討伐で目論んだ計略とは、大きく二つの目的があったのだ。

「クロムデル王子を引き立てることは成らなかったけれど、結果として大討伐は成功し、連邦との繋ぎもできたとなれば、侯爵にとって及第点ではないかしら。収まる形としては侯爵の想定通りだから」

 相手の顔ぶれが変わったとはいえ、未だ侯爵の計画のうちと言われればその通りだ。なるほど、アマテリアが二重スパイを命じた理由がジグートにも理解できた。

「今後ジグート王子とラウルス首長には侯爵から接触が図られるでしょう。その情報を全て私に流してもらいたいということ。お願いできるわね、小侯爵?」

 モルディンは粛々と礼をとった。


 ジグートは改めてこの場にいる面々を見渡す。

 誑かされた弟によって貶められ極刑にかかるはずだったジグート。

 失脚したジグートの最側近である故に運命をともにすることになったハインツとデリク。

 他国と内通した族長の離反にあって命を落としてしまうラウルス。

 侯爵の腹心として立ち回りながらも妻子を守ろうと抗い切り捨てられるモルディン。

 ──破滅の未来で無念に散った者たちが、アマテリアという賢者の前に集っていた。

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