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2. 先見の賢者

(帝位……?)

 想像だにしていなかった単語に、ジグートはびくりと肩を震わせた。慌てて周囲を見回すが、室内にはジグートとアマテリア以外に人はない。侍女や護衛すらもすっかり人払いされていたことを思い出して、ジグートはほっと息を吐いた。「帝位につく」など、それこそ帝位簒奪の意思と取られてもおかしくない発言である。

「そんなに神経を尖らせなくても。こんな話、そなた以外にするはずがないでしょう」

「いえ、その……申し訳ありません。取り乱しました」

 どくどくと乱れる鼓動を鎮めようとジグートは大きく深呼吸した。昨日からずっと、アマテリアの言動には振り回されてばかりだ。

「ひとまず、そなたの話から聞きましょう」

 翻弄されるジグートを面白そうに眺め、アマテリアが話を促す。

 ジグートはすっと姿勢を正して頭を垂れた。

「改めて……昨日のこと、御礼を申し上げます。あのまま捕まっていたら、今頃私は牢の中でした」


 思い返してみてもぞっとする。昨日の壮行会で起きた事件──聴取によると、全てクロムデルの(はかりごと)とわかった。

 弟クロムデルは、謀反の疑いをかけてジグートを失脚させるつもりだった。元来社交を苦手とするジグートが、宴の席で話の輪から遠ざかるだろうと読んで、ありもしない罪を捏造しようとしたのだ。実際、ジグート自身も、程々に挨拶回りを終えたら隅でじっとしていようと思っていた──アマテリアとの出会いがなければ。


「殿下のお傍に侍ったおかげで、弟が目論んだような隙は生まれなかった。相違なく、殿下は私の恩人です」

「そうでしょう。ドレスを誂えた甲斐もあるというもの。私のパートナーとして皆の印象に残ったことで、証言も取れたのだから」

 言われて、ジグートはうやむやになっていた疑問を思い出した。昨日自分たちの装束は、まるで揃いで作らせたように調和していた。アマテリアがそれに言及したということは、彼女のほうは最初からジグートに合わせてドレスを仕立てていたのだろう。

 ジグートに声を掛けたタイミング、その後の行動、そしてドレスまで──やはり偶然というには出来すぎている。

 自信に満ちた顔のアマテリアにジグートは恐る恐る問いかける。

「……殿下は弟の企みを知っていたのですか?」

「良く知っているわ。私の手を取らなければ、そなたはあのまま捕らえられ、無実を訴えるも次々に証拠が上がり、重罪人として処刑されていたでしょう」

 そして、とアマテリアは笑みを消した。

「そなたの弟は、排除した兄に替わって大討伐の総督に就き、制圧を成功させ、南の連邦領地を封ぜられる。あの地では良質な鉱石が取れるから、じきに莫大な資産を得るの」

 突然飛躍した話に、ジグートは目を白黒させる。随分と壮大な夢物語だ。都合が良すぎる。

 しかしアマテリアは真剣な表情で問うた。

「嘘だとお思い?」

「いえ、その、まるで見てきたように仰るので……」


 ──“見てきた”? 不意にある伝説が脳内をよぎり、ジグートはハッとアマテリアを見る。

「そう。()()()()()()()()()()()()()

 複雑に色が入り混じる虹彩が、ジグートをひたと見つめていた。

「まさか……『先見の賢者』なのですか、殿下は」

 アマテリアは僅かに目を伏せる。

「先見、などと言い出したのは誰なのかしら。言葉ほど希望に満ちた力ではないのに」

 ジグートは息をのむ。ぞわ、と背筋が粟立った。


 皇族は神の血を引く一族といわれる。不思議な虹彩を持つことに加え、長い歴史の中で幾度か現れた救世主の存在がそれを裏付けていた。

 過去に帝国を襲った危機──大飢饉、寒波と水害、大規模な戦争、広範囲の獣害。帝国は幾度も滅亡の危機に瀕し、しかしその度に、時代の皇族一人が陣頭に立って国を導いた。まるで未来を見たように、未曾有の被害をすべて回避し帝国を救済する皇族の姿は、まさしく神の血族というべき神々しさで後世に語られている。

 “先見の賢者”と呼ばれる帝国の伝説だった。


「殿下が賢者ということは……今、帝国は窮地に立っている、と?」

「さすが、理解が早いこと」

 先見の賢者は帝国を救済するために現れる──つまりその存在は、まさに今、帝国に危機が迫っていることを意味する。違わず理解しているジグートに感心し、アマテリアは彼を見据えて言った。

「そなたの死は破滅への幕開けとなる。だから命を助けたの。運命に抗うために、私の力となりなさい」

 しかしジグートは怯んだ。命を救われたことは確かだし、皇女に手を貸すのもやぶさかではないが──

「私ごときが、殿下のお役に立つのでしょうか?」

 ジグートの持つ力などたかが知れている。先見の賢者に必要とされるほどの存在ではないと思う。

 そんなジグートの思考を正確に拾って、アマテリアはにこりと笑った。

「十分役に立つわ。そなたには私の夫となってもらうのだから」


(私の夫……夫?)

 ガチリ、とジグートは固まった。

「そなた、婚約者も恋人もいないでしょう。丁度良いわ」

 ころころ笑うアマテリアだが、目が本気だ。ジグートは慌てた。

「わ、私が、殿下の? その、さすがにそれは、分不相応で……」

「大討伐を成功して凱旋する英雄にぴったりな褒美ではなくて?」

「そんな先の話をされましても……!」

 はたとジグートは気付く。アマテリアは先見の賢者だ。大討伐の結果を知っている。そして彼女は先程なんと言っていたか。

『──そなたの弟は、排除した兄に替わって大討伐の総督に就き──』

「……もしや、私が失脚した場合、弟が殿下と婚姻を結ぶのですか」

 アマテリアは扇を広げて口元を隠し、目を細めてジグートを見る。

「私、頭の悪い殿方は好みでないの」

 彼女は否定しない。ジグートは眉を顰めた。ひやりと腹の奥底で冷たいものが走った感覚がする。じわりと湧き出る不快感の正体を理解できぬまま、ジグートは奥歯をかみしめた。

「そもそも、私がクロムデル王子と結婚したら、運命(さだめ)どおり帝国は破滅へ向かってしまうわ」

「殿下の結婚は避けられないのですか」

「無理ね。大討伐は実行せねばならないし、かといってわざとしくじれば本末転倒。連邦の脅威を放置することはできないわ」

 南のエステダ連邦は年々力を増していて、もはや帝国の威光でねじ伏せることすらできない。帝国に対して明確な敵意を持つ連邦を放置すれば、いずれ帝国を揺るがす脅威となるだろう。それを制するための大討伐だ。

「大討伐は無事成功するのが望ましい。そしてその総督に与える褒賞として私以上に相応しいものはない。ならば私はそなたを選ぶわ。そなたも、死か私との婚姻どちらかを選べと言われたら、迷うまでもないでしょう?」

 ぐうの音も出ない。自分の命と天秤にかけたら、当然、皇女と結婚する道を選ぶ。それに──

(嫌では、ない)

 ジグートは、優雅にティーカップを傾けるアマテリアをそっと見る。社交の華、皇室の至宝、彼女を褒め称える呼び名はいくつもあるが、それらに負けない美しい令嬢だ。見た目だけのお飾りでなく、実に聡明で、昨日も様々な会話に淀みなく応えていた。

(妻を持つなど考えたこともなかったが……)

 カップ越しにアマテリアと目が合って、ジグートは思わずむせ込んだ。


「そなたも納得できたところで、改めて。夫として、私の進む道に付き添っていただけるわね?」

「道、というのは……」

 アマテリアは姿勢を正し、ジグートを真っ直ぐ見据える。つられてジグートも背筋を伸ばした。

「私は帝位につくの。そなたは、帝国初の女帝の夫となる覚悟をしておきなさい」

 堂々とした輝かしい皇女を前に、ジグートは言葉を失った。

 帝国滅亡を回避するためとはいえ、アマテリアが戴冠するのは茨の道だ。女性が皇帝となった前例はない。その上彼女は五人兄弟の四番目で、兄が二人もいるのだ。

 しかし自信に満ちた彼女の顔を見れば、先見の賢者として()()()()が見えているのだろう。

「さて、では行くとしましょう」

 唐突にアマテリアが立ち上がった。ジグートを見下ろして命じる。

「そなたも来なさい。そろそろ良い頃合いだわ」

「どちらへ?」

 言いながら、ジグートは自然とエスコートの態勢をとる。その手を取って、アマテリアが微笑んだ。この短時間で見慣れた、満足げな笑みだった。

「陛下の執務室へ。きっとそなたの父上もいらっしゃるわ」




 先々で文官や使用人たちが礼をとる。その中をアマテリアは颯爽と進んでいく。帝城の中枢部にどんどん近付いていくが、咎める者はない。彼女が皇族だからか、それとも堂々とした態度ゆえだろうか。

 取り留めもないことを考えながら、ジグートはアマテリアの隣を歩いていた。もはやこの皇女に対しては、些細なことでは驚かない気がする。それほどジグートにとってこの二日間──実時間でいうと半日ほど──は目まぐるしかった。

「現在、皇帝陛下はソレイム国王と会談中です」

「構わないわ。通してちょうだい」

 皇帝の執務室を警護するのは近衛の精鋭だが、アマテリアにとっては障害にならないらしい。重々しい扉が簡単に開き、アマテリアとジグートは足を踏み入れた。


「……どうした。来客中だぞ」

「ええ、陛下。失礼いたします。ソレイム王もごきげんよう。私たちにも関係のある話ですから、同席させていただきたくて」

 悪びれもせず、アマテリアは皇帝が座すソファへ近寄っていく。

 一拍置いて彼女の同行者に気付いたソレイム国王が「ジグート……」と小さく息子の名を呼んだ。

「昨日のことで、ジグート王子がお礼にと私のもとを訪ねていらしたの」

「そうか。ジグート王子、そなたも災難だったな」

「いえ、弟の狼藉なれば、こちらこそ恐縮です」

「その弟君の処遇は決まりましたか?」

 アマテリアは問いながら皇帝の隣に腰を下ろした。あっさりと解放された喪失感に気付かないふりをして、ジグートも父の傍に立つ。

「クロムデル王子は本気で謀反を起こす気ではなかったのでしょう?」

「……ああ。兄であるジグート王子を廃嫡させるためだけに事を企てたと主張している。まだ調査段階だが、帝国に対する反意がないというのは事実のようだ」

「では、極刑まではいかないのですね」

「そうなるだろう」

 ソレイム国王が、がばりと頭を下げて父娘の会話に割って入った。

「殿下、この度はご迷惑をおかけし申し訳ありません。また、愚息の蛮行に指摘くださったこと、重ねてお礼申し上げます。おかげで誤った判断をせずにすみました」

「良いのです、ソレイム王。私はただジグート王子と懇意にしていただけ」

 懇意、という言い方に、ジグートはむず痒さを感じた。昨日初めて会ったアマテリアと連れ立っていたのは、先見の賢者である彼女の計画でしかない。


(そういえば、殿下が賢者であることは知られていないのか?)

 ふとジグートは思い至った。先見の賢者が出現したのなら、もっと大々的に祭り上げられていてもおかしくない。しかし少なくともジグートは、そんな噂聞いたこともない。壮行会を思い返しても、そんな様子は見られなかった。

 その上──

「お前がここまで誰かに興味を持つのは珍しいな。やはり年頃ということか」

 アマテリアに対する皇帝の言動は、先見の賢者に向ける反応ではないように思える。娘が賢者と知っていたら、彼女の行動をもっと深く考えるだろう。つまり、アマテリアは皇帝にすら、賢者であることを隠している。

(なぜアマテリア殿下は、陛下にすら……)


「ええ。ですから陛下、ジグート王子との婚約をお認めいただきたいのです」

 思考に耽っていたジグートは一瞬で意識を引き戻された。

 アマテリアによって突然放り込まれた爆弾発言に、皇帝とソレイム王は揃って仰天した。勿論、ジグートも驚いたが、何か言う前に父に腕を掴まれる。

「ジグート、お前! いつの間にアマテリア殿下と!」

「いや、私は……」

 即座に否定しようとして、アマテリアの視線を感じ、踏みとどまる。この縁談は、賢者が描く計画の内だ。ジグートの迂闊な一言で台無しにすることはできない。

 ジグートが口篭もったことで、父王はさっと青ざめた。

「陛下、愚息が失礼をしまして申し訳ありません! アマテリア殿下を望もうなど、分不相応にも程があり……」

 ソレイム王は、先程のジグートと同じことを口にする。実際、ジグートでは皇女に相応しくない。王子という立場ではあるが、ソレイムは帝国従属国の中でそれほど力もなく、皇女を降嫁させる旨味はなかった。

 しかし当のアマテリアは、堂々とした態度で皇帝に言い放った。

「何も問題ありません。ジグート王子は大討伐に向かうでしょう。無事連邦の反意を治めることができれば、功績としては十分です」

 虚を突かれた皇帝だが、すぐに気を持ち直す。アマテリアを宥めるように肩を叩いた。

「確かに、大きな功績だ。だが、昨日の件でソレイム内部も多少の混乱があるだろう。軍を率いるのは容易でないのだ。そのような夢見がちな発言を……」

「ですから、私も行きますわ」

「何?」

「私も大討伐に同行します。帝国皇女が立てば、兵の士気も上がるでしょう」

 思いもよらない提案に、皇帝もさすがに二の句が継げなくなった。ソレイム王などは、もはや父娘を凝視して狼狽するばかりだ。ジグートは怪訝な顔をした。次は何を言うつもりだとアマテリアへの警戒を露にする。

 三者三葉の反応を見ても、アマテリアは変わらず笑みを浮かべるだけだ。

「私がジグート王子を支え、大討伐を成功に導きましょう。そうしたら、婚約を認めていただけます?」

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