第3話 初めての異世界
どれだけ時間が経ったのだろう。意識が戻る。
温かな手のひらに包まれている感じがする。
何処かから声が聞こえるが、何と言ってるかはわからない。
それなのに、何も見えない。
「誰かいますか」
思わず声を出すと、すっと頭上から光が溢れ出した。思わず眩しさに目をつむる。
「もう起きていらっしゃるのですか!?」
知らない声がした。
「えっ?!」
俺は絶句する。
まるで巨人のような大きさの、でも美しい金髪の女性が、俺を見下ろしていた。
じゃあ、この温かな地面は……巨大な女性の手のひらか。
巨大な人間かと思ったが、違う。これはエルフだ。整った顔に長いまつ毛、尖った耳。異世界ファンタジーで親の顔より見たやつだ。
見回すと何人も美男美女がいた。こんなときでなければ、目の保養なのに。そんな余裕は今の俺にはなかった。
「え、エルフ?」
そう問いかけると、大人のエルフは微笑んだ。
「我々をそう呼ぶ者もおりますね、若君」
優しく穏やかな女性の声だ。
素敵な声優さんみたいな声で若君って呼ばれた。すごく嬉しいけどちょっと恥ずかしい。
そして自分を視認しようとするが、まるで体が動かない。
周りは見えるが、体だけは固まったかのように動かない。その事に気が付き、急に不安に襲われる。
「なあ、なんでそんなにエルフが大きいんだ? 俺はなんで動けないんだ?」
不安にかられて思わず早口で問いかけてしまう。
少し考えたあとで、巨大なエルフは片手で鏡を取り出し、俺にみえるようにかざしてくれた。
鏡に写っていたのは、エルフの手のひらに載せられた金色をした……強いて言うならどんぐりのような、種だった。
俺は扶桑さんの跡継ぎっていうから、てっきり人間型生物に転生するのかと思っていた。
転生というよりは転職……いや、転植だ。
「Oh……DONGURI……」
思わず日本語を忘れてしまった。イントネーションすら忘れた。
せっかく、せっかく転生したのに、まさか種だなんて。
そういえば、扶桑さん、木の精霊って言ってたな……
そんで跡を継いでほしいって言ってたな……。
異世界とエルフに浮かれて忘れてたよ……。
「OMG……」
そう呟いて、天を仰いだ。
エルフは俺の言葉がわからないのか、首を傾げて困った顔をしていた。
異世界に転生したらどんぐりだった。
何を言っているか自分でもわからない。
色々なファンタジー小説を読んだ。スキルなしとか外れスキルとかハズレ職業やハズレ種族題材の作品はいくつか見たけれど、どんぐりは……。
俺が読んだやつにはなかったなぁ……。
どんぐりかぁ……。思わず、無いはずの目で遠い目をする。
スライムだったら、ゴブリンだったら、ハズレスキルだったら……そういうのは大量に文献調査や思考実験を巡らしてもしもの事態に備えていた。
しかし、どんぐりは先行研究がなさすぎる。毎日のように見たアニメや小説にもどんぐりはなかった。俺の完璧な予測は全く意味をなさない。
俺は混乱し、頭を抱えた。
実際には抱えたつもりになっているだけであり、どう見てもただの金色のどんぐりがエルフの手のひらでゴロゴロ転がっているだけである。
まあ転がるよな、俺、どんぐりだもんな……。
異世界転生って言ったら主人公は人間型が花形だし、正直ちょっとエルフとかに転生してイケメンか美少女になって魔法や剣技でブイブイ言わせたくなかったといえば嘘になる。
それが、どんぐり。
落差が酷い、酷すぎる。
この高低差エネルギーを活かして発電ができそうなほど酷い。
「どんぐり、どんぐりかぁ~……」
もう自分がどんぐりなことでいっぱいになって、何も頭に入ってこない。
そんな限界まっしぐらな中でもエルフさんは目線を俺に合わせて優しい目で俺を見つめていた。
ふと気がつく。
「あれ? 俺どんぐりなのにエルフさんと話せてる?」
「はい、お話できておりますね、さすが若君」
話せるだけで褒められた。喜んでいいのか?
でも俺どんぐりだし話せるだけでもすごいかもしれない。どこから発声してしているのかは謎だが。
「若君って俺のこと?」
さも当たり前のように、丁重にエルフは頷いた。
「私は聖樹族の……他種族にはエルフと呼ばれている者。世界樹の守護者と呼ばれております」
エルフは跪くと俺を手のひらからテーブルの上の柔らかなクッションの上に置いた。
「ひとまずはこちらにお座りください」
白い雲のように柔らかなクッションは、俺のようなどんぐりをも優しく包みこんだ。ごろごろと気持ちよさそうに転がる俺を、エルフは笑顔で見つめている。
こんな胡乱などんぐりにも優しいなんて。このエルフはいい人だと思う。間違いない。
「ご丁寧にどうも……」
恐縮しながら座り直す。お辞儀もしてみたものの、ただ角度が斜めになっただけかもしれない。
「ええと、色々聞きたいことが……」
「はい、何でもお聞きくださいませ」
嫌そうな顔ひとつせず、エルフの人は俺みたいなどんぐりに恭しく頭を垂れた。
は、恥ずかしい。こんなどんぐりなんかに頭が低すぎる。高貴なるエルフ様に頭を下げるのは俺の方ではなかろうか。
「……ごめんなさい」
急な俺の謝罪にエルフはきょとんとした顔をする。
どんな顔でも美しいの、反則だなあ。こんな緊急事態でなければずっと眺めていたいのに。
「何から聞いていいかわからなくて……扶桑さんて女の人に頼まれて転生したんですけど、まず何がわからないかがわからなくて……」
「なるほど」
エルフは少し顔を手に当てて考え込む。
そうだよな、異世界での常識とこちらの常識、同じであろうはずがない。
エルフさんからしてもこちらが何がわからないのかが、わからないはずだ。
そのわずかな空白の時間に、少しだけ聞きたいことが薄っすらと形を作り始めてくる。
「なんで俺がどんぐりなのか、とか。なんで俺を若君って呼ぶの、とか。あとどんぐりなのに喋れてものが見れるのはなんで、とか……」
ぽつぽつと呟いて、恐る恐るエルフさんの顔を見ると、真面目な顔で聞いていてくれた。よかった。
「まずは……そうですね。自己紹介をいたしましょうか。私は聖樹族という一族の者です。種族のもの以外は我々をエルフと呼びます。聖樹族とはあなたや扶桑様のような聖樹の方々をお護りするための種族です」
俺や扶桑さん? そういや、言ってたな。跡を継ぐ、と。
「扶桑さんって何者なんですか? 目を覚ます前にあったのが最初で最後で何も知らないんです」
「扶桑様は聖なる木、聖樹、または世界樹と呼ばれる貴きお方です」
「世界樹!?」
俺は口をぽかーんとあけたまま、驚きで身動ぎもできなかった。
世界樹って、あの世界樹なのか?