第17話 男爵登場
夜も更けている。それなのになにか声がする。
〽だんだんだーん♪ ダンダーン♪
なんだ?何処かから小さな歌声が聞こえてくる。それもおっさんの。
外で呑み散らかしたいい気分のおっさんがご機嫌に歌ってるのか?
ワイバーン、酒に合いそうな見た目してたもんなあ。赤ワインとか絶対合うやつ。
〽強い〜男爵ぅ〜ダンダンダーン♪
歌声はこちらに近づいていた。
おいおい、エルシーさんが起きるだろ。辞めろ。
とはいえ『おっさん、歌うなー!』と叫んだら確実にエルシーさんが目を覚ましてしまう。
〽おお〜勇ましきティエライネンー♪
こいつあんまり歌上手くねえな!
心のなかで俺はツッコミをいれるが歌声は途切れず、徐々にこちらへ近づいてくる。
視界を前後左右360度動かしても歌声の主とおぼしきおっさんは発見できない。
〽聞こえも高き騎士団のぉー♪
トンチキソングは徐々に近づいてくる。
どこだ……俺は焦った。
トンチキソングを歌っているおっさんがものすごい敵の可能性もあるからだ。
でも多分すごい敵ではなくすごい面白いおじさんだとは思うんだけど、俺は漫画で学んでいる。
一割くらいの可能性でこいつが強力な敵である可能性がある事を……!
だってエルシーさんを起こさずにトンチキソングを歌いながら、ふたば組の年少さんとはいえ世界樹の感知力を突き抜けて近づいてくるのだ。そんなの絶対敵に回したくない。
〽誉れもぉーっ、高きぃー♪
俺の感知力は布とクッションで全身をくるまれても前後左右数十メートルを知覚できる強力なものだ。
なんなら家の外に今ネズミを追って走ってる猫の毛並みだって見える。三毛ちゃんかわいい。
とにかく、その感知力をこのおっさんはすり抜けてきた。
俺が平穏な夜を諦め、エルシーさんに呼びかけようとした、その時だった。
コツン。硬いものがテーブルに当たる音がする。何かがテーブルに置かれたような気がして、その直後すっと息を吸い込む気配。
『我が名は!!!』
うわっ、うるさ!
鼓膜が破れそうなほど朗々とした叫び声だ。しかし、エルシーさんは起きる様子がない。
『ティエライネン王国! 第一の勇士! 近衛騎士団団長!』
ここまで叫んでもエルシーさんは起きない。
あ、これ、もしかして念話か。
やっと気がついた。
俺、念話と物理音声会話の聞き分け苦手なんだよな……。
この世界には念話という能力が結構多くの人にあり、こそこそばなしの上位互換らしい。
ただ、慣れないと通常の会話か念話か判別しにくいのだ。この三日間でそれを痛感していた。
ちなみに、念話はこの世界だと割とできる人の多い能力らしい。念話の出来る犬とか、結構いるらしい。すげーな。
『男爵! ダン・ジャック・ゴムシー!!』
それにしても、どこにいる?
くるくると見渡すが見当たらない。もしかしてこの世界には実在するという亡霊か?!
『若木の君に救われた恩義をお返しに、参上いたした!』
朗々とした時代がかった言葉遣いで、身に覚えのない口上を述べられた。
どこだ、どこだ……。あっ。水槽越しに、小さく長い影が差していた。
影の主はシルクハットを被り、槍を手にした妙に大きいダンゴムシだった。
逆光でちょっとかっこいいのが憎たらしい。多分、ダンゴムシだと思う。自信はない。
『若君! さあこの忠臣、男爵ゴムシーに、なんなりとご命令ください!』
急展開だった。急に現れたおしゃれなダンゴムシに命令をよこせと良い声で叫ばれている。
異世界のダンゴムシは喋る種類もいるのか……。
恩義を返すと言っているが、俺ここに来てまだ三日だぞ。正直、何もしてない。
心当たりがなさすぎる。
「すみません、どなたか存じ上げませんが俺は何もした記憶がなくて、ここにも最近来たばかりです。……何か人違いではないでしょうか……」
俺はそう言うのがやっとだった。
「因みに恩返しと仰ってましたが、俺、何かしました……?」
『お覚えではないのですか。しかし私は確かに若君に救われたのです』
「いつ?」
『昨日でございます』
あっ。一個だけ思い当たる事があった。
シオンがダンゴムシを連れてきて、このどんぐり汁たっぷりの容器に入れてぐちゃぐちゃにかき回したことだ。
しかし、その時のダンゴムシはこんなに大きくなかった気がする。
「ダンゴムシ違いじゃないですかね?」
俺は自信無さげに言う。
「 昨日確かにダンゴムシの人たちにはお会いしたけど喋る人もあなたみたいに大きい虫も居ませんでしたし……」
『それが私でございます』
Oh……Amazing……。思わず英語が出た。あの時のダンゴムシが、こんなに大きくなって……? 一日で……?
水にぶち込まれた復讐とかか……?。
「えーと……あのときはシオンを止められなくて済みませんでした……」
こっちに来てから、心からの謝罪の発生件数が増えている気がする。
日本で社会人をしていたときはテンプレ謝罪職人だったので、心からの謝罪とは無縁だったのに。
『シオン殿はあの子供のエルフですかな』
「はい……子供のしたことなので、責任は大人である俺が……」
最後まで言い切らないうちに、男爵(自称)はうんうん、と納得したかのように頷いた。
『シオン殿にも礼を言わねばなりますまいな』
「ええ……」
アレか、エルシーさんのところに金貨詰んで鞭打ってとか言うタイプのダンゴムシか? と思った矢先に。
『あの水の中で、私は200年封印されていた私、ダン・ジャック・ゴムシーという存在を取り戻すことが出来たのです。感謝の念に堪えませぬ』
衝撃の発言だった。
200年かあ。ファンタジー世界、何もかもスケールがデカいな……。
「シオンに挨拶をするにしても、明日ですかねえ……流石にこの時間はもう寝ているでしょうし」
そう、もう深夜だ。エルシーさんも寝ている。
でも、せっかく来てくれたお客さんだし、なにかおもてなしをしたい。
ここが会社なら、お茶でも出すんだけどな。ここは異世界だ。
「うーん」
テーブルの上を眺めるが、俺の入っている水耕栽培のガラス容器と、魔法のライト。そしてワイバーンの切り身があるだけだ。
ダンゴムシの主食って落ち葉とかだった気がする。肉は駄目だな……。
『はっ……若君! その香ばしく芳醇な香りの食物は……!?』
男爵がワイバーンの肉の前で目をキラキラさせている。
「ワイバーンの肉です。……あれ、ダンゴムシって肉食べられるんですか?」
『ダンゴムシは雑食ですぞ。人間と同じですな!』
知らんかった。異世界に来てダンゴムシの習性を勉強できるとは……。
そしてちょっとだけダンゴムシを羨む日が来るとは……。
そんな気持ちを飲み込み、俺は男爵に声をかけた。
「よかったら食べてください。俺、前世は人間で肉が大好きだったんで眺めてたんですが、こんな姿ですからね」
双葉が生えたばかりの世界樹の若芽。
肉を食べるとか、食べないとか、そういう次元の話じゃない。
それなら、食べられる人に食べてもらったほうがいい。
『おお……、では有難く』
男爵は、ダンゴムシながらに華麗に一礼すると、手に持つ槍ををくるくると回転させて構える。目に見えない、一瞬の刃の閃き。
カカカッ。
いい音を立ててワイバーンの肉が男爵の絶技で薄切りにされていく。
「す、すごい。ローストビーフよりも薄い!」
いやむしろ紙とかの薄さかもしれない。
『ダンゴムシは口が小さいもので』
そう言って超薄切りにしたワイバーン肉を、更に細切れにした。
『世界樹よ、世を統べる原初の神よ、この恵みに感謝いたします』
こっちの世界のいただきます、がこれらしい。
何度か聞いたがちょっと気恥ずかしい。
でも、俺が慣れていくしかないな……。
食前の祈りを捧げた男爵はダンゴムシとは思えないほど品よく口に運んでいく。フォークとナイフっぽいものも持ってる。
俺が虫なら手づかみで食うだろうな……本当に男爵を名乗るに相応しいマナーの持ち主だ。
多分幸せそうな顔で男爵は肉を口に運んでいく。
(うまそうだなあ……)
ダンゴムシの男爵が肉を食べる様子を見て、俺の架空の胃腸が、鳴き声を上げるような感覚があった。
ぐ~……
あれ? 本当に腹の音なってない? 俺の体どうなってるの?