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第107話 胡蝶の夢 2



 二人のミルラさん似の、双子のような少女が明るいとはいえない顔で会話をしていた、


「大丈夫。もうすぐ戦争が終わって戻ってくるわ」

「ママはお仕事だし、我慢しないと駄目だよね。……お腹、すいたね」

「あとで井戸に水を飲みに行きましょう」

「うん」

「アンナ、安心して。あなたの事は私が守るから」


 綺麗な服の方も、汚れた服の少女をアンナと呼んだ。


『ペリュさん、ミルラさんで間違いないです。でもやっぱり二人いるんですよ、双子みたいで』

『どっちかが呪詛の作り出した幻やな。若君にしてほしいんは、その呪詛より楽しい夢を見せることや。ええか、それは夢や。夢の中ならどこでも行けるし、想像力の限り何でも作れる。それを忘れんでや』

『難しいけど、頑張ります』


 背中から、視線を感じた。都合よく胸ポケットに手鏡が入っていたので俺は鏡越しに後ろを覗き見る。

 きれいな服の少女がこちらを睨みつけながら、汚れた服の少女を抱きしめている。その瞳はブラックオパールの色をしていた。

 なるほど、あっちが呪詛の作り出した幻か。


 思い切って後ろを振り返ると、きれいな服の少女は消えていた。残された汚れた服の少女がこちらをまじまじと見つめている。


 きゅるるる……お腹のなる可愛らしい音がした。


「お嬢さん、よかったら一緒にクッキーを食べませんか?このクッキー、おじさんには甘すぎて」

「いいの?」


 ミルラさんは困惑を隠しきれない。そりゃそうだよな。謎の外国人がいきなり食べ物を差し出してくるなんて、通報案件だ。

 しかしここは戦前の外国だ。ギリギリセーフだと信じたい。


「はい、一人では食べ切れないので」

「食べる!」


 俺はちょうど通りかかったレモネード売りからレモネードを二人分買い、ミルラさん……いや、アンナちゃんに手渡した。


「のどが詰まらないように、レモネードもどうぞ」

「いいの?」

「もちろん。一人で食べるよりも二人で食べるほうがおいしいからね」

「ありがとう! 私、通りで売ってるレモネード、飲んでみたかったの!」


 レモネードの価格は高いものではなかった。それなのに飲んでみたかった、というのはそれだけで経済状況が伺えて俺の心は少し痛んだ。


 アンナちゃんは一口飲むと少し酸っぱそうな顔をして、でも甘い!とちびちびとなくなるのを惜しむように飲んでいる。


「すっごく美味しい!」

「それはよかったです」


 アンナちゃんはクッキーを食べては甘いと喜び、レモネードを飲んでは甘酸っぱさにはしゃいでいた。

 しかし、アンナちゃんが惜しむように食べていても、クッキーは消え、レモネードも飲み尽くしてしまった。しょんぼりとするアンナちゃんに、俺は口をつけていないレモネードと、まだ食べ切れていなかったクッキーを渡した。


「どうぞ、お腹いっぱいで食べきれなくて」

「本当にいいの? 嬉しいわ! クリスマスとお誕生日がいっぺんに来たみたい!」


「そんなにお気に召したんですか?」

「こんなお菓子がおかわりできるなんて、夢みたい。生まれて初めてよ! お姫様みたい!」


 興奮を抑えきれずにアンナちゃんははしゃいでいる。


 そう言えば、1900年代序盤のドイツ周辺はとても景気が悪かったらしい。

 高校の世界史で習った気がする。そして会話から察するにアンナちゃんのお父さんは出兵して家におらず、残されたお母さんが女手一つで働き、一人娘を育てているのだろうか。現代日本に生まれた俺には想像もつかない厳しい世界だ。


『ペリュさん、とりあえず本人確認は出来たと思います。どういう方向の楽しい夢を見せればいいんですか?』


 楽しいにも方向性が在る。かくれんぼが楽しい、お笑いが楽しい、難しい本を読むのが楽しい。全部違うが、全部楽しいに含まれるのだ。


『呪詛の見せる夢よりも、未来のほうが楽しいっちゅー健全な未来やな』

『一番難しいやつじゃないですか……』


 どうやって俺はアンナちゃんに楽しい夢を見せればいいのだろうか。喜ぶアンナちゃんを見ながら考える。


 とりあえず、大事なのは本人の意見だと思う。


「お嬢さん、お名前は?」

「アンナ! アンナ・フライスだよ!」

「何歳なの?」

「6歳!」


 キビキビと発言している。両親の教育が良いんだろうなあ。俺は幼稚園児の頃からコミュ障気味で陰キャだったので、ミルラさんの明るさが眩しい……。


「ちゃんと名前と年が言えてえらいねえ。ハキハキしてるところもえらい」

「えへへ、ありがとう! お兄ちゃんのお名前は? お兄ちゃんのお年いくつ? 教えてくださる?」

「俺の名前はキノと言います。27歳ですよ」


 そう言うと、アンナちゃんはびっくりした顔をしていた。


「うそ、27歳ってお父さんと同い年だわ! それなのにお兄ちゃんにしか見えない!」


 年齢通りに見られないことに、ちょっとショックを受けた。西洋の人にはアジア系の人間は子供みたいに見えるらしいしな……。おじさんと言われるよりはいいか。


「本当ですよ」

「信じられないわ」


 俺は胸ポケットを漁ると、都合よくよくわからん国のパスポートがあったので、それを開いてみせた。達筆なサインと俺の顔写真が貼ってある。


「本当だわ、本当におじさまなのね」

「そうなんです」

「アンナちゃんは、将来何になりたい、とかあります?」

「え、考えたこともないわ……だって、来年だってどうなるか全然わからないんですもの」


 ……地雷を踏んだかもしれん。失敗した。もっと遠回しにするべきだったか。


「うーん、でも、お父さんがいたときみたいな、優しいお母さんになりたいな」


 はにかみながらアンナちゃんは俺に笑いかけた。


「きっとなれますよ」

「そうだといいなあ」


 俺がさらにアンナちゃんに話しかけようとすると、教会の鐘が鳴る。


「もうこんな時間。帰らなきゃ!おにいちゃん、クッキーとレモネードありがとう。私、一生忘れないわ!」


 アンナちゃんは何度も振り返って俺に手を振りながら、家と思しき場所に向かって走っていった。

 俺は手を振り替えしながら何も出来ずにただそれを見つめていた。

 アップルパイとチョコレートケーキ、渡しそびれてしまったな。



 アップルパイと、チョコケーキの包みに目をやって、面を上げると場所が変わっていた。周囲は森で、冷え込み、霧雨が降っている。

 俺は仕方なくベンチを立ち、傘もささずに歩き出した。本降りにならないと良いのだが。


 森に囲まれた場所を歩いていると、ここがどこかがわかった。

 沢山の墓石が地面に埋まっている。ここは墓地だ。墓地の前には花屋があり、俺は花束を一つ購入して墓地を歩き始めた。墓参りということにすれば怪しくもないだろう。



 ウロウロと墓地を歩いていると、手で摘んだのだろう、慎ましい花が供えられた墓石の前に、喪服を着た少女が二人並んでいる。

 墓石には、ウィルヘルム・フライスという名前と、ミーナ・フライスという2つの名前が彫ってある。ミーナ・フライスという名前のほうが後に掘られたものらしかった。


「お母さん、私を一人にしないで」

「大丈夫よ、アンナ。私がいるわ」


「アンナ、怖いの。私、これから叔母さんの家に行かないといけないの。でも叔母さんは怖くて……」

「大丈夫よ、私が抱きしめていてあげる。眠って夢を見れば、叔母さんになんて会わなくてもいいの。私が代わりに怒られてあげるし、私が代わりに家のことをするわ。あなたが夢を見ているうちに、お父さんとお母さんが帰ってくるわ」

「アンナ、ありがとう……」


 明らかにどちらがどちらなのかわかる。

 なるほど、夢と簒奪はこういうことなのか。アンナちゃんに夢を見せて、自我を乗っ取ろうとしてるのか。しかし、これは難題だ。


 俺は、頭を抱えた。

 どうしたらアンナちゃんに希望を持ってもらえるだろうか。

 全然思いつかない。……とりあえず、声をかけてみるか。



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