第106話 胡蝶の夢 1
軽いノリで宣言すると、部屋の中が一瞬で暗闇に染まった。
唯一の明かりはペリュさんが立てたろうそく一本である。
「さあ。眠りの時間や。若君、目を閉じて。楽しいこと何でもええから沢山思い浮かべてや」
急に困ったな。楽しいことか……。動画を見たり、マギネにツッコミを入れたり、エルシーさんの弓のお稽古を見学したり、ダーツをしたり、なんだかんだで太ったときの呪詛もすごく怖いけど面白かった気がする。
昨日扶桑さんとご飯食べたのも楽しかったし、ペリュさん達と買い物も楽しかった。ダーツも面白かったしシオンがゴロゴロ地面に転がるのも笑ったな。
前世で読んだ漫画の好きだった場所や、何回もクリアするほどやり込んだRPGのこと、退勤して同期の吉田さんとハンバーグ食べたこと、学生の頃のサークルみんなで猫カフェに行って、誰一人猫に相手にされなかったこと……。
沢山の楽しい思い出が脳裏をよぎり、ペリュさんの呟くような詠唱と小さな鈴の音が遠くなっていく。
やがて俺は眠りに落ちていた。
気がつくと、俺がいるのは前世で行きつけの本屋の前だった。
先程着替えたのに、服装もスーツに戻っている。
『若君、うちの声が聞こえるやろか?』
「聞こえるよ」
『ほなよかった。じゃあその夢の何処かにミルラ様がいるから、見つけたら教えてや』
「了解」
そうは言ったものの、左右を見渡す限りどこまでも現代日本だ。ミルラさんを探せ、と言われても、どこを探せばいいか予想もつかない。
しかたなく、本屋の中に入ってみると、生前に見た記憶のない本も並んでいる。ペラペラとめくってみると、確かに読めるし面白いのに、内容が頭に入ってこない。夢だからだろうか。
ああ、そういえば俺はこの新刊、続きが読みたかったんだよな。内容、覚えていられるといいのに。少しがっかりしながら俺は本屋を出た。
本屋を出て街を歩く人々を観察する。みんな普通の日本人で、忙しく行き交っているのに、その誰の顔も頭に入ってこず、記憶できない。
顔があるのっぺらぼうが歩いているような不思議な光景だった。
どこに行けばミルラさんは見つかるのだろうか。少し考えてみる。
ミルラさんは、ステータスを見る限り、樹齢1000年くらいとあったから、多分100年前の人だろう。100年前の女の子が好きそうなところはどこだろうか。
全然思いつかないけど、少なくともゲーセンやカフェ、酒場ではないはずだ。当時の女の子が行きそうな場所、本当に全然思いつかない。
親が一緒にいればデパートとかも行くだろうけど、あとは草原や公園、遊園地やサーカスなんかだろうか。受験のための勉強で世界史なんかはやったけど、流石に庶民の生活までは学ばないからな……。
もしくは、若木時代にメアリーさんと遊んだ楽しい思い出の場所とか。聞いておけばよかったけど、結果論に過ぎない。諦めよう。
気がつくと、俺はバスに乗っていた。やはりバスに乗っている誰もが顔があるのに、俺はそれを認識できない。不思議に思いながら乗っていると、見覚えのある顔が対向車線の歩道を歩いていくのが見えた。
俺は慌てて降車ボタンを押し、なぜかポケットに持っていたICカードで支払いを済ませてバスから走り出した。誰の顔かは思い出せないが、俺はあの人に話しかけなければいけない。その一心だった。
あの人はだれだったのか、思い出せない。走っていくと、見慣れない街に出た。ヨーロッパのどこかの少し大きい街らしいがどことなく煤けており、煙とコーヒーの匂いが漂っている。
俺は試しにペリュさんに念話を送ってみた。
『ペリュさん、聞こえますか』
『聞こえるで』
よかった。これで通じなかったらオカルト事案になるところだ。
『さっきまで現代日本だったのに、見覚えがある顔を追っていたらなんか違う国に来ちゃいました。戻ったほうがいいですか?』
『うーん、いや、多分ミルラ様の夢に入り込んだんやろ。そのままミルラ様を探してや』
『わかりました』
古びて煤けたヨーロッパの街には、物乞いや制服の軍人などもいて、日本人の俺はちょっと目立つ。特に、帽子をしてないのが目立つらしく俺は店に入って適当な帽子を買った。
都合のいいことにスーツのポケットには銀貨数枚と金貨数枚が入っていてそれで支払いをすませた。
帽子をかぶりうろうろ歩く。周りの張り紙を見たり、歩く人々の表情を覗き見る。なんだか少し薄暗く、行き交う表情の人々もほんのりと暗かった。
どうやらここはドイツ語の国らしいが、ドイツ語を使う国、結構あるはずだからな……詳しい場所は俺の知識では特定できなかった。
歩いているうちにそこそこの大きさの駅にたどり着いた。
駅には物売りの少女や靴磨きの少年、花売りの女性などが通行客に果敢にアタックを繰り返していた。また、投げ銭目当ての旅芸人や物乞いもあり、ちょっとした商業スペースのようになっている。
幸い、明らかに外国人である俺には誰もセールスしてこないので助かった。
駅に来るのは電車ではなく煙を吐く機関車だった。やっぱりミルラさんの夢に入り込んだらしい。鉄オタだったら車種から国や時代もも分かるんだろうが、俺にはさっぱり分からない。
駅前のカフェでコーヒーとアップルパイを食べつつ窓から外を眺めていると、俺はふと気になる少女を見つけた。
ブルネットをボブに切りそろえた、服はみすぼらしいがかわいらしい女の子が何もせずに駅を出入りする人々をじっと見つめていたのである。
ミルラさんに似ているが、やや幼く見える。
女の子は軍人が通りかかるたびに声をかけ、すげなくあしらわれてしょんぼりとした様子で元の場所に戻りしゃがみ込む。
そこに、もう1人双子のようなミルラさん似の少女と全く同じ格好の少女が声をかけ、どうやら慰めているようだった。
『ペリュさん、ミルラさんっぽい子供がいたんですが、二人いるんです』
『確かにミルラ様なんか?』
『俺、ここに来てから通行人の顔が全然覚えられないんですけど、あの女の子の顔だけは認識できるんです。だから、ミルラさんかな、と』
『それにしても二人おるんは妙やな。もうちょい観察してみてや』
『わかりました』
言われた通りによく観察してみる。
慰められる方の少女の服は薄汚れているのだが、慰める方の少女は清潔な服を着ている。
慰める少女は優しく悲しむ少女を抱きしめ、何事かを言い聞かせているようだった。
何を言ってるのか分からないが、ここからでは世界樹になって上がった俺の聴力でも聞き取れない。
俺は店員にチョコレートケーキとアップルパイをお土産用に包んでもらえないか頼んだ。多めのチップも気前よく渡すと店員はムスッとした顔で受け取り、おまけだ、と可愛らしいクッキーの包みもくれた。
幸い、ミルラさんと思しき少女たちのいる場所のそばにベンチが有り、そのそばで曲芸師が芸をしていた。
俺はクッキーを食べながらそれを見るふりをしつつ、少女二人の言葉に聞き耳を立てる作戦だ。
クッキーは思ったよりも甘く、バニラの香りが強くただよっている。困った、これは俺には甘すぎる奴だ……。
ゆっくり一枚ずつかじりながら、曲芸師から目を離さないようにしつつ二人の話に聞き耳を立てる。
「パパ、帰ってこないね。アンナ……」
アンナはミルラさんの本名だ。
このきれいな服のほうがミルラさんなのか? 俺はさらに注意して聞き耳を立てることにした。