第104話 泥の味
荷物を守るために衛兵に言いつけると若き騎士ゴムシーは走り、昨日の広場へと駆け出していった。
「メアリーちゃん、行こ! あーし頑張ってマッハで飛んじゃうからね!」
チカと呼ばれた人がメアリーの手を取り、元気に走り出した。つられてメアリーも走り出す。
チカの言葉の意味はわからないが、自分のための言葉だということだけはわかる。こんな状況だけど、それがとても嬉しかった。それを荷物を持ったペリュとアカシアが追いかけていく。
数分で昨日チカが着地した広場に到着する。
チカは周りの人が離れたのを確認すると、闇に包まれながら大きく成長し、元のダークドラゴンの姿に戻った。
籠は幸い今日使う予定だったので広場の隅においてあったので助かった。
ペリュに案内されて全員が籠に乗り込む。
「ほな行こか! 場所は案内してや!」
「任せて!」
メアリーが、手から握りこぶしほどの大きさ赤い光を放つ。それは北東の方をウロウロしていた。
「あの赤い光の方に飛んでください、そしたら、大きい木が見えてくるわ。そこに、キノとミルラがいるの!」
「オッケー任して!」
若い騎士が叫んでいる。
「メアリー様! ミルラ様を頼みます!」
「わかった!」
メアリーが叫んだのを聞いて、チカは全力で助走をし、翼を広げ飛び立った。
途中、同類がいたような気がしたがチカが睨みを効かすとすごすごと退散していく。そのうえメアリーが世界樹の使う全力の風魔法で追い風を作ってくれているせいで、過去最速と行っていいレベルのスピードで飛んでいる。
「うひょー、チカほんま早いやん!」
「でしょー、頑張っちゃうよー!」
揺れる籠の中でもペリュは楽しそうだった。
「で、世界樹のお姫さん。うちを呼ぶってことは、なんかあったんやろ。キノっちに」
「あのね、キノがミルラを助けるために、ポーションを使ってくれたんだけど、呪いが深すぎて解呪しようとする度に痛みでうめき声をあげてしまって、キノがそれ以上何もできなくなってしまって……」
「ふむ……まあ、たしかにうちの専門分野やな。ほんまはおとんがいればええんやけど、そうも言ってられんわな。」
ペリュは考え込む。
「ま、行ってみてから考えよ。今考えるのは時間の無駄や。今はチカが無事着地できるように魔法でもかける準備をしとこうや」
出たのはペリュらしい結論だった。
結局、空の旅は15分ほどで終わり、無事着地した。着地で人間化したチカが慣性の法則に負けてふっとばされていったが、メアリーが風魔法で優しく受け止めた。
『昨日は馬車で一晩かけて移動したんですがのう……』
ゴムシーが呟く。ドラゴンの機動力の凄まじさにゴムシーは感心していた。
無事、地面に降り立つとそこには木野とアルビオンが待っていた。
「おかえりなさい、メアリーさん! そして着てくれてありがとうございます、ペリュさんとチカぴさん! あと、アカシアもありがとうな。」
「お帰りなさいませ姫君」
「うんうん、来たったでー! ほな、案内してや!」
「よろしくお願いします、それと男爵もありがとうございました!」
『お役に立てて何よりですぞ、若君』
メアリーはすこし安心し、胸をなでおろした。いつも通りに腰の低い木野を見ていると、ほんの少しだけ日常に戻れたような気がする。
そして、メアリーはペリュ達についてミルラの部屋へと向かった。これからが本当の戦いなのだ。
メアリーさんが思ったより早く帰ってきた。よかった……。
俺は心から安堵する。ミルラさんの残り体力的に、時間との勝負だからだ。
昨日は一晩かけた道なのに一時間くらいしか経っていないのではないだろうか。やっぱドラゴンはすごい。
「ペリュさん、本当にご足労様です」
「ええって、そんなん。あとでゆっくり弱みを握らせてもらうさかい」
「うーん、それは勘弁してください」
ペリュさんが軽口を叩いてくれるのが助かる。少しだけ気が楽になる。
寝室に向かう途中に念話でステータスで見た呪いの話を伝えた。
『夢と簒奪かあ、聞いたことあらへんな……。でも、なにかのヒントが有るんやろな』
ミルラさんの寝室に近づく度に、まるで脳をうねうねと歪ませ狂わせるような、闇魔法独特の瘴気が滲み出していた。
「あー……こらあかんな。はよ処置せな」
すっかり慣れているのか、ペリュさんは漏れ出す魔力も気にせずにズカズカ入っていく。中には瘴気にやられ気味のルシアーネさんとエルシーさんが姿勢を正し横に佇んでいた。
「おかえりなさいませ、ソウヤ様。そしてペリュさん。お越しいただき有難うございます。……早速ですが、ミルラ様を診ていただけますか」
「ほな、拝見するで」
ペリュさんは足音を立てずにスルスルと近寄ると、ミルラさんの耳の裏を覗き込んで難しい顔をした。放たれる邪気をものともせず、耳の裏から首筋にかけて触診のようなことをする。
フィルターが掛かっている不思議な色の虫眼鏡を使って、何かを観察しているようだ。
布団の下のミルラさんの手を握って脈拍を採ったり、体を触りまくっており、ルシアーネさんがその様子をハラハラとしながら見つめている。
「うーん、ちょっと胸元開けるで」
ミルラさんは前開きのボタンが有るタイプのワンピースのような寝間着を着ており、ペリュさんはそのボタンをサクサクと開けていく。
肋骨の中央、ネクタイのような位置と形の胸骨がある辺りにそれはいた。
ぐねぐねと、黒い粘液をにじませながら黒いミミズのような虫が、中から這い出たり、中に潜り込んだりしている。しかし肌に穴は空いていなかった。
「ふむ……」
ペリュさんは考え込むが、後ろではルシアーネさんが、かろうじて声を出さないようにしつつも、怯えて息を呑み、恐れおののいていた。怖いよな、これは……。
「若君、このミミズみたいなやつ、ちょっとつまんでこの中に入れてくれへんか。この中で一番抗魔力あるの、多分若君やろ」
ペリュさんはガラス製の乳鉢を取り出し俺に突き出した。
「し、失礼します……」
俺は、ぬるりとした食感のそれを数本つまんで乳鉢の中に入れた。ペリュさんはそれを容赦なくガラスの乳棒ですりつぶしていくのだが、ブチッと潰れる度に、気持ち悪い鳴き声が溢れていた。
「ジンメン君」
ペリュさんが手袋を外しすっと手を前に差し出す。すると、手の上に真っ暗な闇のような物が現れドロリと手に垂れる。手に垂れるとペリュさんの手の甲に以前見た、あの人面疽のジンメン君が現れたのだった。
「ジンメン君、これの味はどない?」
ペリュさんが乳鉢に手を入れて質問する。そう聞かれるとジンメン君はうーん? という顔をしながらもぐもぐと口と舌を動かし、あの気持ち悪いミミズを完食した。
「腐った泥みたいな味がするな、何かジャリジャリしてるしクソまずい」
「せやろうねえ。んで、割合はどない?」
「特定の何かへの恨み五割、全てへの憎しみ三割、憐れみ二割、ってとこかねえ。隠し味に信仰か愛が混じってるような気がするが、これ、似てるから味の違いが難しいんだよな……」
「なるほどなあ、参考になったで。もっと食っとく?」
「いらね! 次は聖樹族の酒で頼むぜ!」
「はいよ」
ジンメン君はそう言うとペリュさんの手の甲から姿を消した。
やっていることの意味がわからない俺と、守護者の皆さまとメアリーさん。その様子を見て、ペリュさんが説明してくれた。
「このジンメン君はな、目に見える呪詛を食うことが出来るねん。そして、食った呪詛の成分を味として分析できるんや。呪詛と呪詛返しに必要なのは、相手を思う気持ちやからね。まず、相手の気持を理解せんとあかん。遠回しやけど、近道なんや」
そういって、ペラペラと本をめくったり、考え込んだりしている。もう、誰も手を出さない。俺達に出来るのは、ミルラさんとペリュさんをじっと見守ることだけだ。
「守護者おるか? 聞きたいんやけど、ミルラ様は普段はどないな性格なん? 怒りっぽいとか、小心者やとか、そういうレベルの印象を聞きたいねん」
ルシアーネさんが、自分の思い出を確かめるように語り始める。
「すこし臆病ですが、優しく働き者という感じでしょうか……。種を奪われる前は、もう少し明るかったのですが、それからはたまにふさぎ込むようになって……仕方のないことだと思っていたのですが、一年前からは度々寝込むようなことになり……」
「多分やけどね、ミルラ様は現実にくじけかけとった所につけこまれたんやないかと思う。やっと大きくなったら魔王が襲ってくる、倒したけど心臓もまだ動いて母親の扶桑様も封印のために動けん。子供も奪われた。友達も中々会えない。守護者も代替わりする。そんなところに、友達とおそろの指輪、なんて献上されたら嬉しくなってしまうと思うんよな」
エルシーさんとルシアーネさんは何一つ言い返さなかった。
おそらく事実だからだ。そして、何より耳にいたい事実だった。追い込んだ一因に自分たちの行動がある、と認めざるを得ない。
それは、何よりも辛い事実だと思う。