第103話 世界樹、再び空へ
「あなた、ゴムシーって言うの?」
メアリーは手の中のダンゴムシに話しかけながら空に駆け上るのに適した場所を探す。強い風が吹くため、出発地点は吟味しなければならない。
せっかく美しく整えているミルラの家の庭を荒らしたくはないからだ。
『左様でございます』
「ここからは熱くて寒いの、ポケットも一応材料は私だから、凍え死にや焼け死んだりはしないと思う。でも辛かったらごめんなさいね」
『ミルラ様を思えば、大したことはございませぬ』
元主の友人の配慮にゴムシーは謝意を示した。
「……そうね。ゴムシーもミルラが好き?」
『はい、昔お仕えしておりました。誠に心優しき主であったと存じます』
「わかるわ、私も優しいミルラが大好きなの!」
メアリーは同行者が同じ価値観を持っていることに安堵し、ほんの少しの心強さを得た。
自分以外にもミルラを救いたいと思っている者が一緒なのが嬉しい。
町外れ、誰も着いてこないことを確認する。
「じゃあ、行くわよ!」
『承知致しました』
メアリーは、直前にこの老爺の声のダンゴムシに魔法をかけた。耐熱耐冷のおまじないである。自分には必要のないものだが、気休めにはなるだろうと思ってのことだ。
細い足で軽く助走をつけて走り、飛び上がるのにいい足場を見つけ飛び乗ると、足の力を全力に込めて空に一瞬浮かぶ。その瞬間に風魔法を全力で発動した。
メアリーは、いつものように昔見たロケット花火をイメージして上空を目指す。王都は、メアリーの基準だとかなり近い。普段ならこの飛び方では絶対に移動しない距離だ。なのでいつもより低い高度をとる。
それでも、元から寒気に包まれた上空はかなり寒い。息を吐くとたちまち息が凍り、まつげも白く凍るような寒さだ。普通の人間なら呼吸器を痛めるだろう気温である。
王都は人が多い。空を飛びながら探すが、落ちられる場所がなかなか見つからない。
まごまごしてるうちに軋んだドアのような叫び声が近づいてくる。メアリーには種類までは分からなかったが、群れていないのでおそらくワイバーンではなく何らかのドラゴンだ。
「もう! 周りに雲がない時に!」
ドラゴンを撃退するには雷の一つでも落としてやれば良い。しかし、雲一つない青空から雲を生み出し、雷を落とすにはある程度の時間が要る。
その時間も惜しいし、逃げ回っているうちに地上に近くなれば人間を襲うかもしれない。どうしようかメアリーが悩んでいると。
『メアリー殿、わしを手のひらの上に乗せてあのドラゴンへと向けてくださいませんかな』
「こ、こう?」
『感謝致します』
「いいけど……」
困惑するメアリーに、ダンゴムシは一礼をした。
『メアリー殿、顔の前に障壁をはって、衝撃に備えてくだされ』
言われたとおりにメアリーは顔の前に障壁を貼る。
『ドラゴンよ、恨むなら己の悪運を恨め。参る!』
小さな槍を持ったダンゴムシは、体を出来る限りねじり、反動で槍を打ち出した。
まるで、矢のように打ち出された針のような槍。
耳をつんざく風切り音を上げながらドラゴンへ直進していく。確かに、顔の前に障壁を貼らなければ顔に衝撃波が直撃していただろう。
見事に命中したが、どこに命中したのかがわからない。しかしドラゴンは断末魔のような叫び声を上げながら、逃げ去っていった。
『目に何かがが刺さればどんな生物でも耐え難き痛みを感じるものです。さあ、メアリー殿、露払いは終わり申した。参りましょう』
『……あなたってすごいのね』
それからしばらく飛び、ダンゴムシが指示する方向に向かうと練兵場が有り、そこは確かに人がいなかった。あそこなら安全に落下できそうだ。
「降りるわよ、衝撃に備えてね!」
『承知いたしました』
ほぼ自由落下のような速度で落ちるメアリー。着地直前に強い風魔法を使い、落下の衝撃を弱める。練兵場に立てられていた木の練習台や、なにかに使う予定だったのであろうテントなどが風で飛ばされていった。
『あちらへ』
ダンゴムシは短く簡潔な指示で道を指し示す。お陰でメアリーは走る方向に迷わなかった。強化魔法をかけた全力のメアリーは十分ほどの後に、昨日木野達が宿泊するはずだった宿にたどり着いた。
しかし宿の前に門番に館の中の人については説明できない、などと入館を断られてしまう。世界樹が写し身で飛んでくるなんて、知らされていないのだから仕方ないのだが。
『頼もう!! ゴムシー卿はおいでか!』
念話なのに、まるで物理音声のように大きく朗々とした声で、ダンゴムシは叫ぶ。
すると、騒ぎを聞きつけたらしい責任者と思しき若い騎士がやってきた。
「こんにちはお嬢様。この度はどのようなご要件で?」
「私、世界樹のメアリーよ。急いでいるの、ペリュさんって人と、ドラゴンの人に会わせて! 木野が呼んでるの!」
若い騎士は数秒考える。
木野という名前を知っているのも、大魔導師ソレニアの愛称がペリュであることを知っているのも限られた人数である。そして、若い騎士はこの地に世界樹のメアリーがきていることも知っていた。
「こちらへ、急ぎご案内します」
幸い、トラブルにならず中に通してもらえた。メアリーは走り出したい気持ちをぐっとこらえて我慢する。
案内された先には、黒髪の少女と女性、そして一人の聖樹族が、床に座り込んでだらだらとカードゲームをしている最中だった。
「なんや、ゴムシーはん。うちらに用事でも有るんか?」
「ご来客です」
見ると、若き騎士ゴムシーの後ろには、お披露目のときに見た、あのメアリーがいた。
「なんや、世界樹のお姫さんやないの」
「あれ。メアリー様もいらしてたんですか、うぇひひ……」
「あーっ、あの可愛いお姫様だ! 一緒に遊ぶ~?」
『我が主、木野のお申し付けでございます。ペリュシデア殿、急ぎミルラ様の元へ参られよ。我が主のたっての願いである。どうか願いを聞き届けられますよう』
いきなり朗々と叫ぶダンゴムシに、騎士と護衛の皆が驚いているが、ペリュとその連れは驚かなかった。
「なんや、キノっちがやらかしたんかいな。しゃーない、行ったろ」
「おねがい、早く来て!」
メアリーは泣きそうな顔をしている。
「準備するから、ちょっと待ってな」
ペリュは部屋着と思しき薄手のワンピース一枚しか着ていなかった。
「チカも準備せーや、アカシアも行くんか?」
「い、行きます! お役に立てるかどうかはわかりませんが!」
「オッケー、キノっちが困ってるんなら、助けてあげないとね!」
誰も助けを拒まなかったことにメアリーは感謝した。泣きそうな気持ちになったが、ぐっとこらえた。
今泣いたら、魔法にいちばん大事な冷静さを維持できない気がしたからだ。
ペリュは数分で完全な着替えを終えた。
真っ黒な絹にたっぷりと刺繍の入った魔導師の衣装に、髪を結い上げて刺繍のされている真っ黒な冠を被る。そして化粧とサングラス。
他に秘術用の道具を入れたカバンを持ち、準備は終わった。あっという間だった。
「ゴムシーさん、色々置いていくけど、保管しておいてね。あと、昨日あーしが飛び立ったあの広場、借りて良い? 元のサイズに戻れそうなの、近くだとあそこしかないから」
「畏まりました、急ぎ手配致します!」
メアリーはひとまず安堵した。ここでこのペリュという魔導師やドラゴンに断られたら詰みだったからだ。木野の人徳なのだろうか。
しかし、まだここからだ。
メアリーは気を引き締め、前を見つめた。