第102話 初めての挫折
メアリーさんとの話も終わって、極力静かに中に戻り、ルシアーネさんとエルシーさんにミルラさんの寝室へと案内された。
レースのカーテン越しに木漏れ日のさす気持ちのいい空間だったが、ベッドの中に寝込んでいる十二歳かそこらくらいに見える少女の顔色は、生者のものとは思えないほど青白かった。
『こちらがミルラさんですか?』
『はい、左様でございます』
メアリーさんと同じブルネットの可愛らしい女の子だった。とてもこの少女が世界樹とは思えない。
そして、耳には可愛らしい耳飾り、ベッドからわずかに覗く手と手首には、指輪とブレスレット──ラ・ベッラさんのあの宝飾品と同じ意匠で、プラチナとサファイアっぽい色違いに作られていた。たしかにミルラさんによく似合うデザインだ。
(ステータスオープン)
俺はミルラさんのステータスを覗き込む。緊急時なので許しでほしい。
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名前:ミルラ(本名:アンナ・フライス)
種族:世界樹(樹齢1065年)
状態:映し身中/昏睡/呪い
Lv:48
HP:251/120000
MP:950/510000
筋力 :5
知力 :38
魔力 :6800
器用 :30(0+30(写し身補正))
体力 :12
素早さ:15(0+15(写し身補正))
幸運 :0(20-20(呪い補正))
スキル
聖属性魔法Lv:9/10
地属性魔法Lv:8/10
水属性魔法Lv:9/10
風属性魔法Lv:4/10
翻訳技能 Lv:5/10
大地の加護(天候操作)
異世界知識
装備
蒼血玉の指輪(夢と簒奪の呪い)
蒼血玉のブレスレット(夢と簒奪の呪い)
蒼血玉の耳飾り(夢と簒奪の呪い)
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やっぱり呪われていた。HPとMPの減り具合が危険水域に達している。
絶対値としてはまだ俺よりも多いのだが割合で見ると1%を切っているのだ。前とは違う呪いなのも気になる。
一回部屋から下がり、ルシアーネさん達とメアリーさんに現状を説明する。
「そんな、呪いの指輪だなんて……。だって、何年もつけたまま生活していらしたんですよ?」
「メアリーさんも、同じデザインのアクセサリーのセットを持っていたんですよ。でも、それに体力気力を吸い取られていたんです。祝福地のエーリュシオンさんの見立てでは、メアリーさんは体力があったから助かったけど、体力がなかったらもう死んでいた、と」
事態を察したルシアーネさんが顔を真っ青にした。
明らかに、ミルラさんには体力がない。元の人間が子供だったせいだからなのか、世界樹として年若いからなのか、魔王との戦いの後遺症なのかはわからない。
「解呪できれば大丈夫だとは思うんですが……。マギネ、お前ちょっとミルラさんをよく観察してきてくれるか?」
「うぃっす」
そう言って、マギネは迅速に機材を抱えてミルラさんの検査をしにいった。
爪に試薬を垂らしたり、アクセサリーに光を当てたり、コツコツとなにかの器具で叩いてみたり。戻ってきたマギネは、今までになく苦々しい顔をしている。
「もうすこし早く、お会い出来てればよかったんスけどね。うーん……言いにくいんですけど、これ、呪われて外せるかわかりません」
「えっ、でも私の時は普通に外せたじゃない!」
メアリーさんが声を荒げる。
「ブレスレットは外せると思います。指輪も。しかし、問題は耳飾りの方なんすよ。これ、耳の裏が……」
マギネは珍しく言い淀んだ。
「耳の裏が?」
俺は次の句を促す。
「耳の裏を拝見したんすけどね、耳飾りが溶けて体と一体化してるんです。おそらく、外すと体の中に何らかの影響があるかと……」
世界樹の写し身は魔法で体を維持しているので、基本飲食も趣味であり、また着替えも風呂も全部趣味である。なので、全身をチェックする機会など殆ど無いし、元が普通の人間な上、写し身の体は魂の本体でもある。体を触らせるのが嫌な場合もあるだろう。
だから、守護者を監督不行き届きと一方的には責められない気もする。
「それでも、試してみよう」
俺の言葉に、エルシーさんとマギネが頷いた。
ブレスレットの裏面を外そうとすると、癒着しているようで痛みでミルラさんが呻く。指輪も同様だ。
「よし、あれだそう。どんぐり汁! 濃いめに使おう!」
「そうですね、それが良いかと思うッス」
ざわざわと守護者達が見守る中、俺はマギネを手伝いどんぐり汁の調整をすることになった。とはいえ、俺はいい感じになるまでかき混ぜるだけで、細かい薬剤の調製なんかはマギネがやる。
何故俺が手伝うのかと言うと、助手がいるとマギネがやりやすいのと、液剤が跳ねたりしたときに他の人にかかると変なことになったら危ないからだ。
俺は多分大丈夫だろう。材料自分だし。
作った薬液の温度を一番聖属性が発動しやすく、かつやけどをしないようなものに調整する。それにゆっくり昏睡しているミルラさんの手を浸けると光る水の中から、青黒い液体がブクブクと泡を立てて消え、泡を立ててまた消える。
これで行けるか、と安心したときだった。
「許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ……!」
どこからともなく声が聞こえた。声がしてきた先を見ると、ミルラさんのブレスレットと指輪に嵌められた石からだった。
「あっ!」
マギネが叫ぶ。
ぶくぶくと浮かんでは消える泡の中に、よく見ると前回の琥珀とよく似た色の目の、しかしもっと大きい物が埋め込まれていたのだ。
「口惜しや、おのれ聖樹族めが、必ずやお前らを…………」
そう言って、ブレスレットと指輪の石は無事溶けて消えた。無事と言っていいかは怪しいが。
問題はあと一つ、耳飾りである。耳をめくってみると、禍々しい瘢痕が耳の裏一体にあり、そして、それは首から体の中へと続くものだった。
指輪とブレスレットを浄化したせいか、残りの耳飾りが逆に活性化しているようだ。
じわじわと瘴気を放ち、魔力の弱いミルラさんの守護者が数名座り込み、吐き気を訴え外に走っていった。魔力の強いルシアーネさんやマギネもやや気持ち悪そうな顔をしている。エルシーさんも表情は変えないが顔色は悪い。
ここで平気な顔をしているのはメアリーさんと俺だけだ。
「すみません、本当にすみません、心から申し訳ないんですが、ミルラさんをもう少し詳しく見せていただいてもいいですか? 下心とかはないので!」
俺的に本当は女性に任せたいのだが、魔法抵抗力が死ぬほど有る人間が正直俺しかいない。エルシーさんも顔色を悪くしている。そして、メアリーさんは俺より魔力が低い。
俺は、先程の薬液をミルラさんの耳飾りに垂らしてみたのだが、帰ってきたのは痛みに呻く声だけだった。どんぐり汁なら何でも効くと思って、このパターンは想定してなかったな……。しくじった……。
「ミルラ様!」
ルシアーネさんが悲鳴を上げる。しかし、ミルラさんは痛みに呻くばかりだ。
「やだ、そんな、ミルラ!」
メアリーさんは混乱している。どうにかしたいが、どうにも出来ない。ある意味俺の落ち度でもある。
俺には考えることしかできない。だから考える。この状況で、一番頼れる人で、今呼び出せる人……。
ようやく、思いついた。
「すみません、誰か王都まで最速で連絡する方法を知りませんか?」
「風魔法で連絡する方法はあります。一時間くらいで連絡は飛ばせるわ、短文だけど。地脈経由の通信はいま、凍りついていて使えないの……」
ルシアーネさんはそう言うが、その一時間も惜しい。そういえば、空を飛ぶ専門家がいるではないか、眼の前に。
「…………そうだ! メアリーさん!お願いします、ペリュさんとチカぴさんを呼んできてください!」
「え? え? 誰それ?」
「今、王都にいるんです。そういう名前の超凄腕闇魔導師が。呪いの専門家なんです。ダンゴムシくらいなら一緒につれて飛べますよね?」
「だ、大丈夫だけど、なんでダンゴムシ!?」
申し訳ないが説明は端折らせてもらう。
「天候操作のときのあの飛行で、飛び立った所ではなく、王都の広場の何処かに狙って着地してほしいんです。そしたら、あとはまだ昼にもなっていない時間です。ドラゴンがペリュさんを連れてきてくれるはずです!」
メアリーさんは驚きつつも頷いた。俺ももっとマシな方法があればそれを提案したかったが、多分時間がない。多少危険でも最速の方法をとるしか無い。
「男爵、お願いします。ミルラさんのために、どうかペリュさんを連れてきてください。土地勘は俺の百倍くらいありますよね、信じます。あとはメアリーさんの魔法で、追い風にすれば最速で連れてこられるはずです」
『委細承知。世界樹メアリー殿、我が名はダン・ジャック・ゴムシー。一時のお供をつかまつる』
俺のポケットから出て男爵が一礼をすると、メアリーさんは一瞬だけ驚いた顔をする。しかし、すぐに気を取り直したようだ。
「わかったわ、すぐ行きましょう!」
メアリーさんは、男爵を手のひらに乗せると、一目散に外に駆け出していった。
俺は窓からメアリーさんを見守ることしか出来なかった。
本当に俺は無力で嫌になる。
せめて、メアリーさんが上手く王都まで辿り着けるのを祈ろう。ここの神様がどんなものかわからないけれど、俺は珍しく神頼みをすることにした。
願わくばこの世界の神様が、エーリュシオンさんや扶桑さんのように善良なものであり、俺の願いを叶えてくれますように。