第10話 どんぐり風呂(健全)
その後、集落の浴場のバスタブに水魔法で水がたっぷりと張られ、火の魔法でお湯は程よく温められた。
その魔法の火が結構強くてどんぐりの俺は本能的に恐怖を覚えた。植物だもんな。
ファンタジー世界のお風呂の入れ方はやや危ない。
俺の希望で水温は人間の体温より少し高いくらいの温度を所望している。
いくら俺がどんぐりとはいえ、冷水に浸かるのはなんか心臓に悪そうな気がするからだ。心臓はないはずなんだけど、不思議だ。
「準備が整いましてございます」
エルシーさんの手のひらにのり、薄っすらと光るお湯に浮かぶ。
(これ、自分の一部で出来た風呂なんだよなあ……)
と嫌なことを考えてしまった。衛生的には問題ないから。と自分に言い聞かせ、先週から忙しくてシャワーしか浴びていないことを思い出す。
一週間ぶりの湯船である。俺は自分の要素を忘れ、全力で湯船を堪能するべきなのだ。
ぷかー。
ゆったり浮かぶと、お湯の暖かさが全身を包み込み、どんぐり自体の温度も上がっていく。それがとても心地よかった。
「おふぅー……」
どうしよう、また変な声出た。あまりにも気持ちが良すぎる。
ヤスリをかけてもらったのは正解だった。
殻を極限まで薄くしたおかげでこの光る温泉の効能を速やかに吸収することができる。
殻を削らなければこの温泉の素自体存在せず、ただのお湯に浸かることになっていただろう。
その場合の効果も気になるところだな。
温度を暖かくしたのも良かった。今朝、扶桑さんに握ってもらった手から感じた安らぎをこのお湯からも感じ取ることが出来た。
それだけではない。このお湯はすごく美味しいのだ。口はないのに、俺にはこのお湯が美味であることを感じ取れている。
植物の大事な栄養といえば、水と光である。それを兼ね備えているこの光るお湯は、どんぐりの俺の食事としては最高のものなのかもしれない。
「お加減はいかがですか?」
「最高です!」
エルシーさんの手のひらの上で転がることにより、お湯の対流が生まれる。成分と水分と暖かさを効率よく内部に蓄積できた。最高に心地が良い。
そうでなくても大きい湯船が好きな日本人は多い。
俺もスーパー銭湯や温泉は結構好きだ。そのうえ、まさしく美女の手のひらで転がされている。欲しい要素が全部盛り。
転生してきて本当に良かった。心の底からそう思う。
「エルシーさん、手が疲れませんか。お湯ごとコップか何かに移して、休んでください」
「いえ、平気です。もうしばらくこのままでおりましょう」
ポーションの副作用とかあるかもしれないもんな。安定するまでは見守ってくれるってことかな?
エルシーさんの優しい眼差しに、穏やかな日差し以上の温もりがあった。
日本では社会人になって以降、ほとんど感じることのなかったものだ。
ウトウトと安らかな眠気が襲ってくる。今日は色々ありすぎたからしょうがないか。
ブラック企業に通勤しようとして死んで、不思議な扶桑さんに出会って、異世界に転生してどんぐりになって、エルシーさんと出会って、他のエルフの人達と出会って。
ワイバーンに襲われて、護られて、怒られて、変な声が出て、ドン引きされて、ポーションになって、褒められた。あまりにも情報量が多すぎる。
一日にあっていい出来事の量ではない。
でも、不快ではなかった。
時よ止まれ、お前は美しい。
今までの人生で最高の瞬間だと思って、ついそんなことを思ってしまった。
ここで時が止まれば俺の人生(?)はハッピーエンドで幕を閉じる。
まあ、止まらないんだよな。俺がどんな力を持っていても止められない。知ってた。
でも、止まらないからこそ、時間は美しいんだ。
今までは眠気は抗うものだった。眠って起きれば明日が来て、明日が来ると辛い現実が来るからだ。夜ふかしは、たとえ体に悪いとわかっていても現実へのささやかな抵抗だった。
でも、今は違う。きっと明日も美しい。
俺は眠気に抗わずに、意識をそっと手放す。
そうして俺の異世界初日は、無事終了したのだった。
翌日。
まどろみから意識が立ち上がってきた。
暖かい。柔らかい。気持ちいい。
温もりにくるまれながら、自然に目が開いた。
俺が社会人初の冬のボーナスで買ったのがちょっといい羽毛布団だったのを思い出す。
羽毛布団で初めて目が覚めた朝は今朝に似ていた。
冬の朝、温かな布団にくるまれてまどろむあの幸福感。
転生した段階でもブラック企業で培った疲労は大分解消されたのだが、今朝になって子供の頃のような完璧な体調を取り戻した。そんな気がする。
でもまあどんぐりだもんな……キッズであたりまえか。
窓からは朝日が差し込み俺はまだエルシーさんの手のひらの上にいた。エルシーさんは多少不自然な姿勢をしながらも昨日の疲れか浴槽にもたれかかって眠っていた。
風呂のお湯は、不思議とまだ温度を保っていて昨日と変わらぬ温度だった。魔法だからなのかな?
俺は少し手のひらの上でコロコロ転がる。
やはり気持ちがいいしお湯が美味い。なんかお湯のおかげで一回り体格がデカくなった気がする。ふやけてるだけかもしれないが。
そんな中、ふとエルシーさんの手のひらがふやけていないだろうか、腰と関節をバキバキにしていないだろうか。俺は心配になった。
本当ならこんな綺麗なお姉さんと一晩を過ごすことに喜びを感じるべきはずだ。
しかし俺は社会人時代度々会社で泊まり込みをすることがあり、仮眠室なんてないから大体椅子に座って机で突っ伏して寝るしかなかった。
もちろん翌朝のコンディションは最悪だった。
正直無理にでも家に帰って寝たほうが翌日のコンディションの回復込みで効率が出たと思うのだが、上司が許さなかった。
ちなみに上司は自分だけ寝袋とマットを持ち込んでいた。今思い出しても許せない。
そんな閑話はさておき、エルシーさんがそれになっていたら申し訳がなさすぎる。
「エルシーさん、エルシーさん」
もし疲れ果てて寝てしまっている場合、起こすのも申し訳ないから、熟睡しているなら起きないであろう程度に呼びかける。
エルシーさんの寝顔は安らかで、疲れなんて全然感じなかったのだが。
寝顔も天使みたいで、俺に画才があれば絶対に絵にしたい。
なんなら画家を呼んでこの美しい寝顔を絵に描いてもらい見えるところに飾って起きたい。そんな気持ちを起こさせる顔だった。
すっと、エルシーさんのまぶたが開いた。
「おはようございます、ソウヤ様。お早いですね」
眠そうな顔もなく、ただただ穏やかな微笑みで俺に挨拶をしてくれた。
やっぱ昨日時間止まらなくてよかった。今日のほうが人生が最高だ。
「エルシーさん、おはよう。一晩その姿勢でいて腰とか痛くない? 関節バキバキしたりしない? 大丈夫?」
「はい、ご心配いただき恐縮です。不思議と椅子で寝込んだのにどこも疲れていなくて。あら……? 少し失礼しますね」
エルシーさんは、右手で持っていた俺を左手に移すと、自分の手の甲をまじまじと見つめた。
「手が……」
「や、やっぱ一晩中お湯に浸かったせいでしわしわになっちゃいましたか!?」
「いえ、違うんです」
エルシーさんは首を横に振った。
「以前……二百年ほど前に、魔王につけられた呪いの傷跡が、消えているんです」
エルシーさんはまぶたをパチパチしている。目を疑っているのだろう。
「二百年、どんなポーションでも霊薬でも消えなくて……高名な治癒魔法師の魔法も、世界樹の葉すら効かなくて、私は一生魔王の呪いとともに生きていくのだと思っておりました」
どんな呪いだったのかは気になるが、治ったなら良かった。
どんぐり汁、やるじゃん。
原料俺だけど。
気がつくとエルシーさんは、泣いていた。
「ありがとうございます、ソウヤ様。こんなことが、本当に起こるだなんて、夢みたいで……!」
「俺、何にもしてないけど、助かったのなら良かったよ」
本当に何もしていない。エルシーさんの上でゴロゴロしてお湯に浸かって一晩過ごしただけだ。
強いて言うなら俺がお金を払いたいくらいの体験だった。転生したときに財布は置いてきたから、一円も持っていないけど。
「この御恩は、この身、命に変えましても必ずや……」
「いいよ! 俺が自分のためにしたことだし!」
「しかし、それでは……」
「だって、俺が自分のために作っただけの汁に浸かるのに手伝ってもらっただけだよ。むしろ俺がなんかご褒美もらって支払いしないといけない立場だし……そんなに呪いで困ってたの?」
「そうですね……」
「誰にも言わないでくださいますか、二人だけの秘密にしてくださると」
「言いません」
「扶桑様に誓ってもらっても大丈夫でしょうか?」
「扶桑様にも誓います。あと、扶桑様に聞かれてもいいません」
それを聞くと、ホッとしたようにエルシーさんは昔話をしてくれた。




