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金は天下の回り物と言いますが、幾ら有っても有るに越した事の無い俗物でございまして、自分の懐に入ってくる奴もいれば、他人様の元へと旅立っていく奴もいると、様々な種類がございます。とりわけ、自分の懐に入ってくる奴は可愛いもので、ついつい欲目に眩んでは、するりと抜けて落っこちていく奴も後を断ちませんが、これも歴史の成せる業なのか、いつの時代も変わらぬ風情でございます。
士農工商と昔の偉い人が仰いました。商人とは金を稼ぐ卑しい身分とされていた訳ですが、人は開き直ると怖いもので、遜っては商売繁盛、這いずり回っては商売繁盛と、金に物を言わせて、世の中を悠々と闊歩しておりました。
中には反物を仕入れついでに怨みまで買って、賊に押し入られる事も多々あったようですが、元より御武家を怒らせたら刀で斬られても文句は言えない物騒な世の中でございましたから、木の皮食って、老婆は捨てるは、子供は捨てるはの農村とかと比べましたら、贅沢三昧、極楽至極。「世渡りだけが人生だ」と、高を括って三途に行ければ、お江戸の時代じゃ本望であると、その様な風潮でございました。
とは言え、やはり命は惜しいというもの。現在では廃れてしまった神社仏閣も、当時は全盛期である訳ですから、娯楽がてらに人が集まる集まる。参拝客でごった返す程の盛況ぶりでございます。年末年始関係無しに、何かがあったら神仏頼み。これが当時の仕来りでございました。
御百度を踏むと言いますでしょう。其処ら辺の聞いた事も無い神社で、人目に付かない様に地味な願掛けをですね。わざわざ裸足になって、一日の内に百度も繰り返し参拝したというのですから、これはたまげたものです。いやはや、昔の方の信心深さには頭が下がる心地でございます。