第三話 ヤクソク
雪が降り続ける中で、彩と雪村の距離は、言葉の数が増えたわけではないのに、確実に近づいていた。何気ない瞬間に、彼の存在が彩の中で大きくなっていくのがわかる。雪が降るたびに二人で歩いたり、少しだけ話したりすることが、彩にとっては、何よりも心地よい時間となっていた。
その日も雪は降り続き、町全体が薄い白いベールに包まれていた。彩は放課後、いつものように校門を出て、歩きながら雪村を待っていた。予報では今日も一日雪が降り続けると言っていたけれど、彩はそれが楽しみだった。雪村と一緒に歩ける時間が、今では何よりも大切なものになっていた。
「お疲れ様。」
振り向くと、雪村が少し遅れてやってきた。今日もいつも通り、無口で静かな彼だったが、その姿を見ると心がふっと温かくなる。
「遅かったね。」彩は少し冗談めかして言うと、雪村はほんの少しだけ照れくさそうに笑った。
「遅くなったわけじゃないよ。ただ、ちょっと考えごとをしてた。」雪村はそう言って、足元の雪を見つめた。
「考えごと?」
「うん、雪って降るたびにいろんなことを思い出すんだ。」雪村の声は、いつもと違って少し柔らかく、どこか遠くを見ているようだった。
「何を思い出すの?」彩は思わず質問した。
「それは、今は言えないよ。」雪村は少しだけ首を振り、そしていつものように静かな笑顔を浮かべた。「でも、雪が降っているときに思い出すのは、どこか懐かしい気持ちなんだ。」
その言葉に、彩は心の中で何かが軽く震えるような気がした。雪が降るたびに、雪村が何かを思い出す。何だろう、少しだけ気になる。でも、彼が話すのを待っているのも心地よかった。
「じゃあ、今日は何を思い出しているの?」彩はあえて軽い調子で聞いてみた。
雪村は少し考えてから、ふっと答えた。「今日は、昔、誰かと一緒に歩いたことを思い出してる。」
その言葉に、彩の胸が一瞬、ドキッとした。まさか、彼が誰か他の人を思い出しているのだろうか。心の中で一瞬、不安がよぎった。でも、雪村は続けてこう言った。
「その時も、雪が降っていたんだ。僕はその人と、ただ黙って歩いていただけなんだけど…その時間が、今でも心に残ってる。」
その言葉に、彩はふっと安心した。それは雪村が過去を思い出しているだけで、決して今の自分を忘れているわけではないのだと思えた。何かしらの過去を持つこと、それは誰にでもあることで、むしろそれが彼をもっと魅力的に感じさせている。
「そうなんだ。」彩は優しく微笑んだ。「雪って、そういう不思議な力があるよね。過去を思い出させたり、今の自分を見つめ直させたり。」
「うん。」雪村は少しだけ頷きながら、また歩き始めた。雪がしんしんと降る中で、二人は無言で並んで歩き続けた。時折、雪の結晶が肩に降り積もり、その冷たさが心地よかった。
その時、ふと雪村が立ち止まった。
「この場所、好きだな。」
彩は驚いて彼を見つめる。彼がこんなことを言うのは珍しかったからだ。
「ここ?」彩が尋ねると、雪村はゆっくりと頷いた。
「うん。雪が降るたびに、この街が少しだけ変わるような気がするんだ。」雪村は、静かに周りを見渡した。「人々の足音も、声も、雪に吸い込まれていって、少しだけ世界が静かになる。だから、ここが好きだ。」
その言葉に、彩は心が温かくなるのを感じた。雪村の言葉が、何か深いところに触れるような気がした。そして、その静かな場所で過ごす時間が、二人にとって特別な意味を持ち始めていることを感じ取った。
「私も…この場所が好きだよ。」彩はそう言って、雪村に向かって微笑んだ。
「じゃあ、この場所で、約束しよう。」
雪村が静かに言った。その言葉に、彩は少し驚いた。
「約束?」
「うん。雪が降るたびに、またここで歩こうって。」雪村は静かに言いながら、少しだけ彩の方を見た。目を合わせると、彼の瞳の中に、何か決意のようなものが感じられた。
その瞬間、彩は心の中で確信した。この雪の中で交わす約束が、二人にとって大切なものになるだろうと。雪の降る街角で、二人だけの静かな世界が広がっていく。