第一話 ユキノフルヒ
東京の街は、いつもどこか喧騒に包まれている。しかし、冬の雪が降り始めると、世界が少し静かになる。空気は冷たく、雪の粒が一つひとつ顔に触れるたびに、彩の心はどこか温かくなるのを感じていた。
毎年、この季節が来ると彩は決まって同じ場所を通る。家から学校へ向かう道のりは、特別な思い出が詰まった場所でもあった。何も特別なことがあったわけではない。ただ、雪が降るたびにその道を歩くと、心の中に何かが蘇るのだ。
その日は、予報通りに朝から雪が降り続いていた。彩は大きなコートを羽織り、足元を注意深く見ながら歩いていた。雪はどんどん積もり、道に白い絨毯を敷き詰めていく。道路は少し滑りやすく、足元が不安定だった。
「滑らないように…」
心の中で自分に言い聞かせながら歩いていると、ふと、足元が滑ってバランスを崩しそうになった。慌てて手を広げるが、雪の上ではどうしても踏ん張れなかった。
その瞬間、目の前で誰かが「大丈夫か?」と声をかけてきた。驚いて顔を上げると、目の前には一人の少年が立っていた。彼は少し顔を赤らめながら、手を差し伸べていた。
「え?」
「手を、借りてもいいか?」
その声に反応する前に、彩は自然とその手を取っていた。雪の降る中、彼の手は思ったよりも温かかった。おそらく、同じ学校に通う雪村という男子だ。彼はクラスで目立たない存在で、いつも静かにしているタイプだった。しかし、その手の温かさには何か不思議なものを感じた。
「ありがとう。」
「気をつけろよ。雪の日は滑りやすいから。」
雪村はそう言うと、少し照れたように微笑んだ。その微笑みが、彩には少し意外だった。彼は普段、あまり笑顔を見せることがないからだ。
「うん、ありがとう。」彩はしばらく彼を見つめた。彼の目はどこか遠くを見つめるような、落ち着いたもので、その視線が不安を感じさせない。
そのまま何も言わず、二人は並んで歩き始めた。雪は降り続け、街の音がほとんど消えたように感じた。二人の足音だけが静かに響く。
「雪、きれいだね。」彩がふと思って口にした言葉に、雪村は軽く頷いた。
「うん、静かで好きだ。」
その一言に、彩は少し驚いた。雪村がこんなふうに言葉を紡ぐことはあまりなかったからだ。彼が何を考えているのか、どんな気持ちでいるのか、いつもわからなかった。でも、この瞬間だけは、何かが通じ合ったような気がした。
その日以来、雪が降るたびに二人は偶然のように一緒に歩くことが増えた。雪村が手を差し伸べてくれたその日から、彩は彼のことが少し気になるようになった。彼は決して積極的に話すタイプではなく、むしろ無口で一人でいることを好んでいる。だが、彼の静けさにはどこか心地よさがあり、彩はその静かな空気に引き寄せられていった。
そして、彩もまた気づき始めていた。雪が降るたびに、雪村の姿が気になる自分に気づき、その心の奥に温かい感情が芽生え始めていることに。