表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

スイング藤原さん一代記

作者: 糸瓜 ロドリゲス

藤原さんの家はへちま神社を下から見上げると二の鳥居のすぐ右下です。


子供の頃から音楽が大好きだったのですが、へちま小学校のときは音楽部を覗いてみたらいい服を着たいいとこの子ばかりだったので場違いな気がして入らなかったそうです。


中学になると音楽の先生が良い方で誰でも入って良いと言われるので入ったそうです。


高校の頃はメトロノームを買ってタイミングを覚えたそうです。

藤原先生(キャバレー業界、へちま市の一部ではこう呼ばれていました)は音楽を聴いてそれを譜面に書けるし、譜面を見てすぐ演奏できます。ゴースト・ライターとして作曲してそれがカラオケにも入っています。


大会社の設計部門に入りましたがどうも性に合わずに数年でやめてキャバレーでサックスなどを演奏していました。

そうこうしているうちに17才年上の女の人といっしょになり

「大阪のミナミへ修行に逃げた」と言われます。

『なぜ逃げたと言われるのですか』と尋ねたら

「亭主がおったんよね!」とのことです。


ミナミへ行ってたぶん1〜2年したらその人とも別れたそうです。

キャバレーで仕事をしているものですから女の人が寄ってくるのだそうです。藤原先生いわく

「わしから女に言い寄ったことはない、さみしい女がようけおる。」とのことです。


その中でも何度か言っていたのが美容師の性格の良い女の子がいて

『私にも彼氏ができたんよ』とその子は知人などに言ってくれていたそうです。

「あの娘といっしょになっとったらなー」と後悔していらっしゃいました。

なぜ別れたんですかと聞いたら

「わしが浮気したんじゃ」とのことでした。


もうひとつ何度も言っていたのが、別の女の人と別れてその人のアパートを出るとき、女の人が包丁を投げてそれがクルクルまわって柄の方が当たったのだそうです

「あのとき刃の方が当たっとったらなー」と、そういうことがあったそうです。


ミナミにいた頃にキャバレーの他のメンバーは譜面が読めなくてレコードを何度も何度も聞いて曲を覚えていたのだそうです。


その頃、田尻康も知り合いの中にいて男前だからと東京へ引っ張られたあとたまに大阪に帰ったときはスイング藤原先生がバックをつとめて(先生はギターもピアノも見様見真似で弾けます)府内・近県をまわったそうです。


5年ほどしたら帰りたくなって帰って来たのだそうです。


桃ビルにあったキャバレーや他のキャバレーをかけ持ち演奏でまわっていました。

そうこうしているうちにキャバレー・ニューヨークで働くことになりました。


少し経ってスイング先生は昼は市役所の近くの整形外科で赤外線を当てるような仕事をし夜ニューヨークで働くようになりました。

でもニューヨークは1日も休まず働いたそうです。

夏のビアガーデンのシーズンには屋上で鳥串を焼いて、それからニューヨークで演奏し、済んだらお金の計算をしていたそうです。


その頃、ニューヨークで内縁の(ずっと籍を入れていない)10才年上の奥さんと出会ったそうです。


スイング先生は今はアルツハイマーになって街中で見かけることもなくなりました。


内縁の奥さんとは結婚式は挙げました。鉄工所のカラオケ好きの社長に仲人をしてもらいました。

この奥さんには女の子が二人いてその時は女の子は20歳前後ではなかったかと思います。

長女の方は結婚式に出席されましたが次女の方は

『お母さんは私達を放ったらかしにして好きなことをして』というような理由で参加されなかったそうです。

かつて子供たちには朝ごはんも作らず朝は菓子パンがあったような生活だったらしいです。弁当は自分達で作っていたのでしょうか。


籍を入れない理由は一緒に暮らし始めてもキャバレーが終わった後お客の男性と一緒にいて朝まで帰ってこなかったことが度々あったからです。

奥さんの話だと、最近までスイング先生は何かあったら奥さんにそのことを責めていたそうです。

奥さんがこのことについて私に言ったことがあります。

『わたしも店でトップになりたかったからねぇ』

ですが、うーん、と思いますよね。


藤原さんと私の付き合いは藤原さんが楽器店でサックスを教えていて私がちょうど近くに喫茶店を出してからです。10年前のことです。


その当時は藤原さんはぜんぜん普通で、奥さんも花柄の派手なブレザーを着ていらして今のように腰が曲がったりはしてはいませんでした。

藤原さんが65〜6才で奥さんが75才くらいでした。

陽気で明るい藤原さんで奥さんのいないときには、ミナミ時代のことなどを話していらっしゃいました。


〜認知症のそよ風がスイング先生にまとわりつきだして〜


私が今の場所に店に変って少しした頃(4年くらい前)からお金を払うとき何度も

「払ろうたかいね」

と尋ねられるようになりました。

よその店でもそうだったらしく

「奥さんが○○(店名)では『2回目はまだもろうとらんよ』とそこのママが言うんよ」

とのことでした。


そうこうしているうちに得意だったパソコンが使えなくなりました。自分の演奏のCDを作ったりしていたのです。


それから自損事故ですが軽自動車でカーブを切るときタイヤが中央分離帯のコンクリートに当たって半回転し自動車の天井が下になる事故を起こしました。

先生の話によると若い人が後ろのハッチバックの扉を開けて

「オジサン、こっちこっち」

と言ってくれて出れたのだそうです。


実は近くでスピード取締りをしていて警察官が事故に気づいたのだそうです。それで救急車がすぐ来て

『病院へ行きましょう』

と言われたのだそうですが、先生いわく

「わしゃあ何ともないんじゃけん行かん言うたら救急隊員が血圧だけ測った」

のだそうですが、自信を持って何ともないと思うのもなんか変ですよね。

もちろん事故を起こしたこともおかしいです。


そうこうしているうちに信用金庫の駐車場へ入れるとき他の車にこすりました。

また信用金庫ではいつも暗証番号を忘れて出金ができなくなり、いつも近くにいる妹さんに後日ついて行ってもらいまた使えるようにしていたそうです。妹さんはかつてこの信用金庫で働いていたのです。


【ちょっと余談ですが、他のお客様の奥様の話です。

いつも窓口で出金をしてもらっていたのですが認知が入って自宅の住所でも忘れたのか、へちま銀行では引き出すことができなくなった方がいます。

★主人でも引き出せないのです。後見人を付ければよいのですがご主人はなぜか子供にも甥にも後見人を断られ口座に入れっぱなしになっています。

奥様がなくなれば相続人には支払われるそうです。】


スイング藤原さんの話しに戻ります。

そんなことですからクレジットの振り込みも忘れます。というか請求書を送ってきても「これは詐欺だ!」と言って払おうとしなくなりました。妹さんがどうにかしたのだと思います。

ちなみに藤原さんのお父さんも認知になったそうです。お父さんの面倒は内縁の奥さんがみたそうです。


 〜日も月も変わりゆけど…〜


そんなときにスイング先生いわく「家電量販店から出て駅の方に曲ったらちょうど警察官いて捕まってその違反切符が無くなったんだよ」というのです。

『えーっ、それって逆走していたんじゃないですか』

「いつもそうして走っとるよ」

『奥さん、奥さんは気づかなかったんですか。』

「…わたしは気づかんわいね」


私が妹さんに連絡をしてMRIを撮ることになりました。(実は前にも1度医師会病院で撮っていて、その時は近医のへちま先生で診てもらっていて、たぶんアリセプトのような薬だと思うのですが飲んで少し効いたときに

「わしはもう治った」

と言ってやめたのです。

効果は実感できたのでしょう)


私は妹さんに『きゅうり先生(きゅうり脳神経外科)は厳しい先生のようだから、ピンク病院にされたらいかがですか』と言っていたのですがきゅうり先生で診てもらわれて

「自動車の運転はしたらいけんよ」

と言われてやめたようですが、診察時に妹さんが

「薬のようなものはないですか」

と尋ねたら妹さんの受け取り方としては

「馬鹿につける薬はない」

と言われたように聞こえたそうす。


アリセプトやそれに似た薬はアルツハイマーの進行は止められませんが薬の作用で一時的に良くなったように見える人もいるようです。


ところでスイング先生が勤めていらした整形外科は8年くらい前に閉院して藤原さんも失業されました。


その後、私が別の整形外科へ行ったらスイング先生とお会いしたことがあります。(えーっ、勤めていたときに診てもらえばよかったのに、と思いましたが…)

そこでスイング先生が

「金がなくて大変なんだ!」

と言っていらっしゃいました。

この頃はまだ認知っぽくはなかったのですが。


後日お聞きしたところによると、勤めていた整形外科のあとを買ったのは知的障害のある人の施設の「へちま会」という団体で勤めていた整形外科の人が「へちま会」の関係者を知っていて藤原さんはその紹介で施設で障害のある方の見守りとピアノ演奏の仕事をしていました。


それから月日が経ちました。

スイング先生は私の店には来られなくなりましたが近くに妹さんがいらっしゃるのでひどいことにはなっていないと思います。

病気になったのは仕方がないですが手は尽くしてもらえてどちらかといえば幸せなほうではないでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ