1章-35
「でもよぉ? 確かにこの手デカいけど、ちゃんと動くのかこれ?」
「無理だと思うよ」
綾瀬が意識を集中させると、巨大な手は身じろぎするかのようにゆっくりとその身体を震わせる。
しかし、左右の枠に阻まれてそれ以上動くことが出来ない。かろうじてそれを閉じ込めているカゴの車輪が少し滑った程度だ。
ならばと綾瀬は唯一蓋のない上部へと手を登らせようとする。
しかし手の付け根がカゴの底面から離れた瞬間、それは破裂しゴム風船の欠片にも似た破片が辺りへと飛び散る。
「うおっ!!」
「二回目だよ。そろそろ慣れてよ」
大袈裟に後ずさった荻野に綾瀬は冷ややかな眼差しを送る。
「枠無しで大きさを変えられるようになれば、動かし方も教えてやる。ただし、お前がこちらの要求を呑んでくれればの話だ」
「要求って、ああ。対抗戦の話ね」
綾瀬は頭をかいた。考えがまとまらない。
「うーん。・・・・・・ごめんやっぱり無理だよ。だからここまででいい」
「そうか」
溝畑は感情の起伏を感じさせない無機質な声色で答えた。
荻野は何か言いたげな様子で綾瀬に詰め寄るが、その途中でぐっと息を呑み込み後ろへと下がる。
「対抗戦って、能力を使った殴り合いでしょ? 僕が出ても足手まといになるだけだよ。見てたら分かったでしょ? 出ても何も出来ずにリンチされるだけだよ」
「その足手まといすらいないから困ってる」
「いない方がマシでしょ。こんな、手を生やす力に何を期待してるの?」
「今は、猫の手も借りたい気分だ。人の手なら尚更だ」
溝畑は真っ直ぐな目で綾瀬を見つめた。脅すわけでもなく諭すわけでもない。ただ混じり気のない眼差しが、綾瀬の心に突き刺さった。
「そうだぜ。別に負けたって全然構わねぇよ!! このままだと俺達は不戦敗を抱えて試合する羽目になっちまう。いてくれるだけでいいんだ」
それに、と荻野は続ける。
「今まで出来なかった事が出来るようになると嬉しいだろ? それが能力なら尚更だ。能力者じゃなくなるって事はその喜びも全部失うって事だ。そんなのはごめんだ。
だから頼む!! 出てくれるだけでいいんだ。そりゃ勝ってほしいけど、そこまでは求めない。他の4人でなんとかする」
「・・・・・・だったら、やっぱり僕いらないんじゃ」
「いる!! ・・・・・・ちゃんとメンバーが揃ってた方が、やる気出るだろ」
荻野の必死の説得にも綾瀬は口をつぐんだままだった。それは彼の言葉は響いていないわけではなく、ただ答えに窮していたからだった。
今日初めて、綾瀬は大きさの違う手を作る事ができた。それは彼にとって大きな一歩だった。そして、たった数時間で今まで不可能だった事が可能になった。
驚きと共に綾瀬の心の中に、自分の能力に対する自負と期待が返り咲きつつあった。まだ自分の能力には先があって目の前の生徒がそれを見せてくれる。
そんな野心にも似た探究心が、彼を駆り立てた。
「出るって言ったら、もっと他の事も教えてくれる? 例えば! 空中でも作った手を維持する方法とか! 一瞬で思い通りのサイズの手を作る方法とか! あとは・・・・・・」
一際大きな声で綾瀬は返していた。荻野が少し驚いた様子で唸り声を上げる。
「オレは期待だけさせておいて責任を取らない奴が大嫌いだ。だから、お前が自分の能力に失望しない限り、オレが知っている全ての知識、方法を教える。それをどう活用するかは自由だ」
「・・・・・・分かった。ただし!! 条件があるんだ」
「聞こう」
「・・・・・・負けても笑うな。多分試合に出ても醜態を晒して笑い物になるだけだと思う。いやきっとそうだ。だから、勝ちを期待しないで。勝ったらラッキーくらいに思ってほしい。そして、無様に負けても、貶さないで」
綾瀬の真剣な面持ちとは裏腹に、溝畑は自信満々な笑みを浮かべた。
「安心しろ。お前が思っているよりも他の学園の奴らは下手くそだ。加えて、オレが見るんだ。お前が思っているような悲惨な結果にはならない」
それに、と溝畑は付け加える。
「負ける時は、全員が無様に倒れた時だ。お前だけが笑われるわけじゃない」
荻野は無言のままうんうんと頷いた。
「・・・・・・まさかこんな事に巻き込まれるなんて、思ってもみなかったよ」
「まぁいいじゃねぇか。乗りかかった船だ。乗ってけよ」
「泥舟だけどね。船長は立派だけど」
綾瀬と荻野は共に小さく笑みを浮かべた。
同時に練習場の扉が勢いよく開かれ、ジャージ姿の女子生徒が姿を見せた。
「溝畑! いる? 朝の続きやる!」
彼女は溝畑の姿を捉えるとズンズンと小気味良いリズムで近づき、彼に向かって右手を構える。
「御影か。ちょうどいいタイミングに来たな。朗報だぞ。最後の1人が見つかった」
「そんな事どうだっていいから。早く! 朝の続き! もうあの時の感覚が薄れていってるんだって!」
早口で捲し立てる御影に対し、綾瀬は困惑した顔つきで聞いた。
「えっと。この人も仲間って事であってるよね?」
「あってる。変なやつだけどな。悪い奴じゃねぇよ」
時間が経ち落ち着いたのか、御影はゆっくりと綾瀬へと近づき、彼をじっと見つめる。
「・・・・・・えっと」
返事に窮する綾瀬に対し、彼女は呟く。
「お前。名前は?」
「ああ、綾瀬。綾瀬和斗。君は、御影さん、だっけ?」
「うん」
「・・・・・・うん」
「お前ら会話下手くそかよ」
気まずい空気を荻野が一蹴する。
四人揃うと広いはずの練習場もいくらか狭く感じられた。綾瀬は話し続ける三人を見つつ、ふと気がついた。




