1章-32
「お。ここうちの練習場じゃん。運いいな」
「ああよかったね」
「これも何かの縁って事で中に・・・・・・」
「うるさい黙れ。・・・・・・一発殴っていい? いやホント。その権利が僕にはあると思うんだけど」
綾瀬は立ち上がり服装を正す。着地地点がアスファルトだった事が幸いし、目立った汚れは見当たらない。
「ああ。別にいいぞ。流石にプロテクターはつけるけどな」
「いや冗談だって」
「じゃあ早速やるか!」
「やらないよ!!」
荻野は綾瀬の腕を掴むとグイグイと練習場まで引っ張っていく。綾瀬は振り解こうと身を捩るが、力で勝る荻野にされるがままに中へと誘われる。
中の様子は昨日とあまり変わっていなかった。強いていうならば誰かが使ったであろうプロテクターが無造作に床に転がっている事くらいだ。
「先に誰かいたのか。まぁいいや。よし」
荻野は落ちていたプロテクターをつけ、もう一着倉庫から持ってくると綾瀬に渡す。
「え? なんで僕今から戦う事になってるの?」
「違ぇよ。一応安全措置だ。で、だ。俺の事を殴るのはまぁいい。多分2:8くらいで俺が悪い」
「0:10ね」
「ただ、殴るのは能力を使ってだ。俺は一切抵抗したりしねぇからよ。好きに攻撃してくれていい」
綾瀬は自分が目の前の奇妙な勧誘者に踊らさせているのだと気がついた。
「君僕を試そうとしてるだろ? 対抗戦で役に立つがどうか見極めるつもり?」
「いいや。ただ、せっかくなら、能力で殴られた方が後腐れなく済みそうだと思ってよ」
「ああそう。まぁやらないけど」
綾瀬は手にしたプロテクターを床に置くと、荻野に背を向けて扉へと向かう。
しかし彼が手をかける前に、扉はひとりでに開く。
その先にいたのは、綾瀬よりもはるかに大きい体躯を誇る男子生徒だった。彼は綾瀬に目をやると、呟いた。
「五人目か?」
「溝畑。いたのか。まぁ、五人目になってくんねぇかなってところだ」
「本人は帰るらしいぞ?」
溝畑は綾瀬を見下ろしながら呟いた。綾瀬の身長が高く無い事もあり、まるで大人と子供のようだ。
そのプレッシャーに思わず綾瀬は一歩後ずさった。
「悪い、けど。僕は出ない」
振り絞るように綾瀬は言葉を繋げる。まともに目を合わせる事が出来ない。あの大男に逆らうと碌な事にならないと彼の勘が告げていた。
「そうビビんな。別に強制しようって訳じゃない。ただ、廃校になればお前はもう能力者でいられなくなる。その事は理解しているか?」
「分かってるよ」
綾瀬は投げやりに答えた。問答はさっき嫌になるほど繰り広げた。二度も付き合うつもりはなかった。
「僕はもう能力に見切りをつけたんだ。勉強して賢くなる事の方が大事だ」
綾瀬の気持ちとは裏腹に、次々と言葉が飛び出す。
「こんな能力、持っていても仕方ないだけだ」
「いや、さっき便利に使ってたじゃねぇかよ」
「この使い方しか出来ないんだよ。能力が発言してからずっとそうだ。僕に出来ることは、せいぜい自分の半径1メートルかそこらに手を生やして動かすだけ。
それに何の汎用性も持てない。落とし物を拾ったり近くにあるゴミを捨てたりするくらいだ」
「いや十分すごいじゃねぇか」
「すごく・・・・・・いや。すごくないよ」
一瞬綾瀬の顔に笑みが浮かんだ。が、すぐにいつもの暗い調子に戻る。
「そりゃお前。これからだろ? 鍛えれば何か変わるかもしれねぇじゃねぇか」
「もう何回もやってるよ。色々試したけど、無駄だった」
荻野のフォローも意に介さず、綾瀬は自分の右手を睨みつけた。
その右手から、新しい手が生える。まるで植物が芽吹くかのように小さな一片から新しい命が生まれる。
能力で出来た手をどこか寂しげに見つめながら、綾瀬は呪詛を吐くように続ける。
「ショボい能力だよ。好きなんだけどね」
溝畑は黙って綾瀬の話を聞いていたが、ここで初めて口を挟んだ。
「勘違いしているようだが、お前の能力をショボくしているのは、お前自身だ」
「え?」
驚きが綾瀬の頭を駆け抜けた。
「能力者は無限にも等しい回数の試行錯誤を繰り返して自分の能力の限界を知り、そして少しずつ出来ることを増やしていく。大して反復をしていないくせに能力に難癖をつける奴はただの馬鹿だ」
溝畑の言葉に綾瀬の顔が歪む。そんな彼の様子を気にする素振りも見せず、話は続く。
「お前はそれを手を生やすだと思ってるのか?」
「だって。そうだろ? 実際手が生えてるんだから」
「どうだか。もしかしたら身体の一部ならなんでも生やせる能力かもしれないぞ」
「詭弁だよ。そんなの」
「じゃあお前は、そうだな。手だけじゃなく足や目を生やそうと試してみたか?」
「それは、試してはないけど・・・・・・」
「手を2本、3本と同時に生やしてみたか? 何もない空中にも手を生やすことが出来るか実験したか? 能力で出来た手はどこまで繊細な動きができる? そもそも手の定義は? 爪の長さを変えたり出来るのか?」
綾瀬は言葉に詰まった。まるで尋問を受けているような気分だった。
「今言ったことを全て試してみて、それでもダメならお前のさっき話した結論でいい。だが、お前の能力には、まだ見ぬ特性が秘められている。これは断言してやる。
お前の能力は断じて手を生やすの一言で済ませられるような能力じゃない。大体能力はシンプルとは縁が無い。単純な能力でも、他には無い一芸を秘めているものだ」
溝畑の言葉には妙な説得力があった。耳に入った途端体に染み付くような、慣れ親しんだ感覚だった。
「そうかもしれないね。けど、だから何? 僕を責めるのはいいけどその理由は?」
「お前の態度が心配だ」
「どういう事?」
「お前の考えは消極的な逃避だ。能力が矮小だから能力者でなくなっても構わない。この考えは危険だ。能力者は自分が思っている以上に能力という特権に依存している。
今お前がそうしたスタンスをとっていられるのも、能力者の立場にいるからだ。能力を持っているから、能力を失っても平気だなんて考えられるだけだ。どんなに自分の力に不満を持っていてもそれを失った時、後悔する」
「僕はそんな事、そんな事は」
「じゃあお前は廃校が取り消されても能力者としての道は諦めて勉強するのか?」
「えっ・・・・・・と」
「もし廃校になればその力は二度と使えない。使えば刑務所行きだ。繰り返し聞くが、本当にそれでいいのか?」
綾瀬は口をつぐんだ。自分の中で一つの結論を出したはずなのに他人から言われると簡単にそれが崩れそうになる。
「お前のその手を生やす能力だが、かなり汎用性がある。正しく磨けば、宝石になる。お前が思っているような燻んだガラクタじゃなくな」
「・・・・・・その方法を教えてくれる代わりに、対抗戦に出ろって言うんだろ? 分かってるよ」
「賢いな。別に強制はしない。このまま惰性に身を任せて事勿れ主義で破滅を待つのも一つの道だ。だが、オレには少なくともお前の能力がショボくは見えないな」
「何言ってるの? ほとんど僕の能力について知らないくせに」
綾瀬は挑発するように軽口を叩く。いつしか溝畑に対する恐怖は消え、彼に対する憤りが湧き上がっていた。
そんな綾瀬をじっと見つめ、少し苦笑いすると溝畑は一歩綾瀬に近づく。




