第六話 朝食
前回までのあらすじ
レッドベリルとご飯を食べた
毒殺回避を決意した
食器が割れる音。人のどよめく声。うずくまり、胸元を掻き毟るようにして血を吐く女性と、その名前を叫ぶ男性。医者を呼べと誰かが叫び、誰かが駆けだし、広場が騒然とする。
やがて、ぱたりと音がやむ。白く細い手がだらりと垂れ下がり、男性はこと切れた女性を抱きしめて、絞り出すようにその名前を呼ぶ。
「……あ、あぁ、ルゼ、ルゼ……私の、私の、光……!」
間に合わなかった。死んでしまった。失ってしまった。ただ眺めているだけしか出来なくて、手の先が冷たくなる。ざぁ、と血の気が引く感覚がする。
遠くで、長い髪の隙間からあの目が私を射抜いた。涙に濡れた、憎悪に満ちた目が、声が、私に突き刺さる。
「お前のせいだ」
次の瞬間、私は全てを跳ね除けるように飛び起きた。なんて酷い夢だ。寝る直前まで考えていたせいで本気で嫌な夢を見てしまった。汗を適当に拭ってベッドから降り、鳴る前の時計のアラームを止めてから、ぱっぱと身支度を済ませる。でも考え事をしていたにしては目元に隈もない。若いからかな。
朝食をとる為に部屋を出て食堂へ向かう。レッドベリルと一緒に、とも考えたけれど昨日約束をしたわけでもないし、朝から部屋に行くのもちょっと申し訳なくて一人行動。廊下はそれなりの人数が行き来していて、角を曲がった瞬間後ろから何かに衝突された。
「アーリス! 珍しいじゃねぇか、こんな時間に。まだ早いぜ?」
「ひょえっ、うわっ……リックさん、おはようございます」
後ろから肩を抱いてきたのは騎士団長の息子で元気系攻略対象のルビー。リック・ピジョン・ルビーだ。ファンからはよくファンアートで鳩と一緒に書かれている。思わずうわっとか行ってしまった。
ルビーは腰にベルトを巻いて帯刀しているから、きっと朝の鍛錬を終えてからの朝食なんだろう。実際ルビールートとか、朝食で同席した時の会話で鍛錬終わりのご飯が美味しいとか言ってるし。
「おう、おはよ。なぁ、お前昨日殿下ふったんだって?」
「あ、はい。私はローズさんが好きなのでお断りしました。王妃とかにも興味ありませんし!」
私が答えるとルビーは廊下に響き渡るような声で笑った。近くでそんな大声出されると耳がやられる! 耳を少し塞ぎつつ食堂へ足を進める。
「まさかあの殿下がふられるなんてな! しっかしそうかぁ、お前女が好きなのか」
「違いますよ、ローズさん! が! 好きなんです」
顔に指を突きつけて訂正を促すとルビーは「はいはい」と笑って頷いた。結構物分かりがいいな。さすがは令和。そういう多様性にも配慮されたゲームなんだろうか……いや、でも攻略対象は異性だけだったから違うか。
「で? 早起きしてんのもローズワースと一緒に飯食うためだとか?」
「あぁ、いいえ。怖い夢見たので早起きしただけです。美味しいご飯食べて気を紛らわせようと思って」
食堂について、待機列に並ぶ。ふーん、と言いつつルビーは肩を抱いたままで、すごい視線が集まるからその腕を払いのけた。ふはは、こういう時防御魔法のバリアでつるんと払えるのはすごく楽ちん。絶対本来の用途と違うけど。
「んだよ、冷たいやつめー」
「重いんですもん」
わはは、と口を開けて笑うルビー。この豪快さと誰にでも絡んでいく陽気さからファンも多いし、ルビールートでもモブ生徒からの人気も高いキャラクターだ。でも正直興味がない人にとっては本当にうるさい。明るいし良い人なんだけどね。
「昨日、お前が殿下をふったってすげー噂になっててよ。もし悪質だったならアリスが相手でも背負い投げとかしとこうと思ったけど、俺の杞憂だったな」
ふと言われたちょっと真剣そうな言葉にルビーを見上げる。うわぁ、顔が良い。
「悪質ってどんなこと想像してました?」
「わざと気のあるふりして騙したとか、逆に誰かに言われて断らざるを得なかったとか」
「どっちも違いますよ、私は他に好きな人がいたからふったんです。それに婚約破棄した人を目の前に他人に告白するの、ちょっと酷くありませんか?」
思い出してレッドベリルがあまりにも可哀想な仕打ちだったなとむかむかが再燃してきた。ルビーはそれを聞いて頭を掻きながら笑う。
「殿下は変なとこで世間知らずだからなぁ」
「だから思わずサイテー! って叫んじゃいましたよ」
「お前本当に最高だな!」
ばしばしと背中を叩きながら笑われて、バリアで衝撃を消しておく。本当にこの人って太陽がある限り元気百倍みたいなところがあるよなぁ。パンのヒーローよりもしぶといんじゃないだろうか。ルビーは闇が深くないキャラクターだし、その明るさに救われる人も多いとは思うけれど、私は弱さが垣間見えるキャラクターが推しの傾向があるので……。
「おはようございます、ダイヤモンド様。本日は、お二人様でございますか?」
順番が回ってきた。私は給仕の人に挨拶を返してから、にっこりと笑う。
「今日は一人ご飯です!」
「えっ、一緒に食わねぇの?!」
「一人で食べます。じゃ!」
給仕の人は私とルビーを交互に見て「ご案内します」と私だけ案内してくれた。なんだよぉ、という声が聞こえたけれど無視。私はちゃんと頭を動かして考えないといけないからしょうがない。まぁあの人すごいさらっとしてるから普通に許してくれるだろう。
食堂は基本的に丸いテーブルが配置されているけれど、ひとつの壁際にはカウンター席みたいな一人から二人座れる席がある。窓際だから中庭が見えるし、日の光が差し込んでくるいい感じの席だ。朝は特に特等席って感じで私は好きだ。
今日は運が良かったのか、早めの時間だからか、朝は埋まりがちなこの席も空いていた。ラッキー。朝の特に混む時間は相席もあって、それで攻略対象と一緒することもあった。というかゲームで同席するあの仕様とつじつま合わせるためにこうなってるのかな。
「こちらの席へどうぞ。ご注文はお決まりでいらっしゃいますか」
「ありがとうございます、フレンチトーストのセットで!」
椅子を引いて座らせてくれた給仕の人は頭を下げて戻っていった。朝から人の作ったご飯が食べられるって最高。かつての一人暮らしの頃を思い出してしんみりとする。
目を閉じれば心地のいい談笑の声、陶磁器のカップが擦れる音。良い朝だ。
「レディ、二度寝ですか?」
少し笑いながら言われた言葉に目を開けて隣を見る。声で誰かは分かっていたけれど、隣の席にいたのはサファイアだった。知的インテリ系攻略対象、あと眼鏡。特等席だわーいとか思っていたので全然気が付かなかった。
「起きてますよ、フィルさん。いい天気だなぁと思ってただけですー」
「ふふ、そうですか。貴女は変にずぶと……いえ、大らかですから、つい要らぬ心配を」
図太いって言いかけたなこの人。むっとして目で訴えると何でもないように笑って紅茶を飲んだ。こういうちょっとお茶目な部分がくすぐられて好きなファンがいるんだろうな、なんて。
日の光を浴びてサファイア色の長い髪がきらきらしているのは本当に綺麗で、きっとレッドベリルももっとずっと綺麗なんだろうと思う。やっぱり今度彼女を朝ご飯に誘ってみようかな。朝からレッドベリルの綺麗なところを見られたら一日ハッピーな感じがするし。
「貴女のその自由奔放なところに殿下は惹かれたんでしょうね」
急にそんなことを言われて、私は運ばれてきたフレンチトーストに刺そうとしていたフォークを一瞬止めた。でもすぐにフォークを刺してナイフで切って口に運ぶ。うん、甘くて最高にとろけて美味しい。
「それにしては何やら考え事をしているようで。後悔でも?」
「ちーがーいーまーすー。サイテーだったからふるのは当然ですし」
「おや、そうでしたか。これは失礼」
微塵もそう思って居なさそうな声だ。良い声してるしたまらない人にはたまらないんだろうな……。フレンチトーストを食べ進めながら、私はふと思った。この人頭いいからいいアイデア持ってるかもしれないなと。
「フィルさん、つかぬことをお伺いしますけど」
「はい、えぇ、どうぞ?」
「毒見以外で毒を察知する方法とかってあったりします?」
私の言葉にサファイアはきょと、と目を動かして、それから少し笑みを深めた。あ、面白がってそう。
「成程、殿下をふったことで毒殺の危険をおぼえていますか?」
「違いますけどー、でもフィルさんなら知ってますよね?」
「えぇ、もちろん」
くすくすと彼は面白おかしそうに笑った。でもそうか、もしかしたらクリスタル王子の熱烈なファンから毒を盛られるかもしれないのか……。ゲームのストーリー的に毒を盛られる事はなかったけど、今はそのストーリーから大きく外れているからもしかしたらということはある。ついでに知っておいて損はないかもな。
「良く使われる手としては、銀ですね。銀食器です」
「銀は毒に反応するんでしたっけ?」
「えぇ」
サファイアは一つ頷く。銀食器と言えばお皿よりもフォークとか、スプーンとかだろうか。あんまり銀のティーカップとかは見たことがないし、ティースプーンとかならお茶会に使うかもしれない。
「ティースプーンやトング、カトラリーなどは銀でも目立ちませんから、お茶会や様々な場で用いられます」
「銀食器でも分かるのに毒見役がいたりするのはなんでですか?」
「毒の混入した物を高貴なる方々の前に一度は出すのと、目に触れる前に防止するのと。どちらが正しいと思います?」
防止する方です。確かにハクチョウは水面下でめっちゃバタ足してるとか言うし、見えないって言う事が優秀だってことなんだろうな。これも銀ですね、これも、とサファイアは砂糖壺の小さなトングや水用のグラスの縁や小さな小皿などにも触れて付け加えた。意外と身の回りに銀食器ってあるもんなんだなぁ。
まぁそうか、この学園にいる人たちは貴族や王族の高い身分の人たちばかりで、うっかり死んだら大損害というか、大変なんだろう。
「毒って、良く混入されるんですか?」
「そうですね、私や殿下のような家に恨みを持つ者が多い家の子でしたら、この年で三桁は盛られているんじゃないでしょうか」
こわ。私は毒を盛られた経験はないから、やっぱりレッドベリルを実家に連れていくのが一番身を守るのにいいんじゃないかと思ってしまう。上流社会の陰謀こわい。
「ふふ、貴女は盛られないと良いですね」
「本当ですね」
フレンチトーストを食べ終わって、デザートの果物も食べ終わってしまった。私は手を合わせてご馳走様をしてから席を立つ。サファイアが私を見上げた。
「ありがとうございました、フィルさん。役立たせます」
「えぇ、役立たせてください」
お互い笑みを交わして、私は食堂を後にする。まだ絶対成功するような考えは浮かんでいないけれど、ちゃんとした知識を得られるのはとてもありがたい。ありがとう知的キャラのサファイア。
今日の放課後は図書室にでも行ってみようか、なんて思いながら私は授業の準備をするために寮の自室に向かった。