第五話 夕食
前回までのあらすじ
お茶会参加が決まった
毒殺回避を考える
いい匂いが満ちている食堂の扉を開けると、幸せだなと思ってしまう。この学園には王族や貴族がほとんどだからか、ご飯がとても美味しい。ゲームをプレイしていた頃はその時攻略しているキャラクターとの親密度を上げるために偏った食生活をしていたけれど……。
「わたくしは今月のコースを。食後の紅茶はレディマリーレッド、レモンは要りませんわ」
「私もローズワースさんと同じものをお願いしまーす!」
今は好きな物を食べられる! 結局推しと同じものを選んでしまっているけれど、今月のディナーコースは白身魚のポワレやアスパラガスのスープで好き寄りなので良しとする。
私のかつて通っていた学校や職場の食堂と言えば長机がずらっとしていていつの時間に行っても混んでいてざわついていたけれど、この学園の食堂は最大四人掛けの丸いテーブルが適度な感覚をあけて配置されていて、あの混雑感は微塵もない。
何よりも席まで給仕の人が案内してくれてお金も払わなくていいというのが最高だと思う。王族には流石に特別メニューがあるらしいけれど、地方貴族でも普通にコースが食べられるのは嬉しい。
「殿下のまわりをうろちょろしていた頃から貴女の図々しさは凄まじいと思っていましたけれど、本当に容赦なく距離を詰めてきますのね、貴女は」
「いやぁ、それほどでも。人とご飯食べるの、すごい好きなんですよ」
「褒めておりませんが?」
普段ならレッドベリルは取り巻きかクリスタル王子と食事を共にしているけれど、今日はその取り巻きたちがあの婚約破棄以降寄ってくる様子は見受けられない。それどころか少し遠巻きに見てくすくすと笑っているような始末だ。女子ってこわいね。
だけれど私にとっては願ったりかなったり。こうしてレッドベリルと同じテーブルを囲んで同じご飯を食べる事に成功したのだから、少し嬉しいなって感じだ。
やがて食事が運ばれてくる。前菜はチーズとトマトのサラダみたいなやつ。それを貰って食べながら同じように口に運ぶレッドベリルを見て、ふと違和感を覚えた。なにかいつもと違う気がする。なんだったっけなぁ、このチーズ美味しいなぁ、と口を動かしながら考えていたら、ナプキンで口元を優雅に拭いたレッドベリルがぽつりと呟いた。
「今日は配膳が早いですわね。いつもはもっと遅いうえに冷えておりますけれど」
「えぇ、そうですか? いつもこれくらいだと思いますけど……」
そこでふと思い出す。そういえば前になんらかの用事でクリスタル王子と同席した時も結構来るのが遅くて、冷めていたかもしれない。でもアメジストと同席した時はこれくらいだし、遅いのは殿下と同席していた時くらいだっただろうか。
あ、思い出した。雨でタオルを貸した次の日に食堂の待機列に並んでいて、そこで声をかけられて同席したんだ。遅かったのはあの時くらいだ。
「あ、でも殿下とご一緒した時は遅かったですね」
「殿下と?」
レッドベリルの目が少し吊りあがったけれど、すぐに思い出したように力が抜けて目が背けられた。睫毛が長い。
「もしかして王族の人たちって毒見とかあるんですかね?」
「……えぇ、そうですわね。わたくしの食事はいつも少し冷めておりましたもの。今日もう既に出来立てが配膳されるという事は、わたくしはもう王族の関係者ではないという事でしょうね」
レッドベリルの指先がグラスの曲線を撫でる。たった数時間で待遇がそこまで変わるのか。もしかしたら彼女が実家から婚約破棄について問い詰められるのもすぐ数日のことかもしれない。私は彼女をそれから守りたいけれど、私に何が出来るだろう。
彼女の事を幸せにしたい。でも彼女が家族から非難を受ける原因の一つは正直に言って私のせいもある。私には何が出来るだろう。チーズの最後の一つを口に放りこんだ。皿が下げられて、スープが出て来る。
「……でも、出来立ての熱い料理が口に出来るのは、案外悪くありませんわね」
そんな言葉に思わず真っ直ぐに目を向けてしまった。レッドベリルは微笑んでいて、私と目が合うと悪戯っぽくその目が細められて、綺麗だって見とれてしまう。
「なんですの? その顔は。貴女がわたくしに教えてしまったんですのよ」
「……なんだかその言い方、えっちですね」
「は、ぁ?!」
レッドベリルのころころ変わる表情に声をあげて笑った。あぁ、本当に可愛い人だ。悪戯っぽくて、可愛い人。私がどうにかして幸せにしよう。なんでもして幸せにしよう。私のせいだとしても。
「ローズさん、温かくておいしいごはん、これから毎日一緒に食べませんか!」
「……まったく、構いませんわよ。断ってもついてきそうですもの」
スープを飲み干せば次のお皿が運ばれてきて、二人で同時にカトラリーを手にしてポワレを切り分ける。熱くて湯気がのぼる。これも王族の人たちは経験できないのだと思うと、なんだかいい子ちゃんに悪い事を教える不良の気分になってくる。
あぁ、おいしい。
そこで私はふと良い事を思いついた。ペリドットを助けることが出来て、なおかつレッドベリルが勘当されたり修道院に追いやられたりしないかもしれない妙案を。
「ローズさん、ローズさん。私から質問というか、提案というか、なんですけど」
「なんですの、変な事でしたらお答えしかねますわ」
「お茶会の時って、毒見ありますか?」
私の突然の言葉にレッドベリルは少し訝しげに片眉を上げた。あ、その顔好き。カトラリーを音もなく置いて口元を拭って、真っ直ぐ私を見て来る。
「全てにはないと思いますわ。そもそも主催側はちゃんとした身なりの方々で、食器や茶葉の選定から給仕などまで主催側が行いますし。毒見をしたとしても最初の準備の段階で、各テーブルに毒見役がいる事もありませんわよ」
「そうですか……」
「どうかなさいましたの?」
ここでゲームをプレイしたのでこの先のお茶会でペリドットが死ぬ可能性が高いと言うわけにはいかない。私は少し考えて、よくありそうなそれっぽそうな言い訳をすることにした。
「いやぁ、ちょっと嫌な夢を見ちゃって。毒が混じってて人が死んじゃう夢を見ちゃったので、本当になってほしくないなぁと思って」
「貴女も夢でそんなこと思うんですのね」
せせら笑うような顔ありがとうございます。私は照れ笑いをして誤魔化して、それから少し身を乗り出してレッドベリルにしか聞こえないくらいの声で言う。
「ローズさん、一緒に嫌な夢が本当にならないように、ちょっと手を貸してもらえませんか?」
「わたくしが……?」
「ルセフォーネさん達の目を盗んで毒を入れる人がいたら大変ですから、お二人にも内緒で見張りっていうか、そういうのしませんか?」
私の言葉にレッドベリルは少し顔をしかめた。私が姿勢を戻すと呆れた顔をしてポワレの最後の一切れを口に入れる。すかさず給仕の人がお皿を下げて持って行った。それを当然のように見送る事もなく、レッドベリルは私の事を見ていた。
「それは主催者の人望に対して不満や不安があるという事と同義になりますわ。気を配る事は大切ですけれど、参加者として最もすべき事は主催のもてなしを楽しむことです」
「やるべきじゃないってことですかね……」
「えぇ。主催を信用していないということになるもの。不敬よ、そう教わりませんでしたの?」
レッドベリルの言葉に頷き、そのまま目線を下げる。そもそも信用していないわけではない。デザートと紅茶が運ばれてきて、シャーベットをスプーンで口に運びながら考える。
お茶会でペリドットを毒から守る事が出来たらそれをレッドベリルの功績にしてこの人はすごいんですよー! 勘当するべきじゃないですよー! とアピールする作戦は無理そうだ。ううん、となると一人で見張りをするのも見とがめられそうだ。
「……貴女の見た夢の内容は知りませんけれど、主催者にその旨を伝えればいいのではなくって? 何故わたくしを誘うのか分かりませんわ」
「いやぁ、命を救ったとなればローズさんの実家からも怒られる度数が低くなるかと思って……」
「……っふふ、おーほっほっほ!」
突然の高笑いにぎょっとなって顔を上げると、席を立ってレッドベリルが笑っていた。思わず周囲の生徒たちも見て来るが、彼女は全く気にした様子はなかった。それもそうか、彼女は人の目を集める環境は慣れっこだろうし。
「わたくしの? あぁおかしい、貴女ごときがわたくしの心配をするとは、わたくしも地に落ちた物ですわね」
「え、だって、婚約破棄とかされたら、御実家から怒られませんか……?」
「えぇ、怒られますわ、勘当すらありえます。王家レインマリアとレッドベリル侯爵家の繋がりが断たれるのですから」
そうは言うものの、レッドベリルの表情に曇りはなかった。自信に満ち溢れた顔。私の見慣れた、私が恋した、レッドベリルの表情。
「でも、他人の手を借りてでも縋るような真似はいたしませんことよ。別の何かしらの道がありますし、それに……」
レッドベリルが手を伸ばして、私に触れる。頬をなぞるように触れて、挑発するように笑う。食堂のシャンデリアの明かりが彼女の目を輝かせて、あぁ、なんて綺麗なんだろう。
「貴女はわたくしを心配するのではなく、幸せにするのでしょう?」
「……はい、はい、ローズさん。なにをしてでも、貴女を守り、幸せにします」
恍惚とした気分だ。シャーベットに洋酒が使われていたかと思うほどに。いやーこれはもうレッドベリルの下僕にしてほしいレベル。この人本当に最高だ。守りたくなる顔もあるし従いたくなる顔もある。心をくすぐるなぁ、ほんとに!
「お茶会までまだ日もありますから、もうちょっと考えます!」
「そうなさいな」
レッドベリルは再び席に座って紅茶を優雅に飲む。私は元気よく返事をして残りのシャーベットを口にした。後悔しても仕方がない。今から出来る事しか私には出来ないのだから、私に出来る事をしよう。
100日後に悪役令嬢を幸せにする主人公、とか言っておこうか。でも100日もかけたくないので、脳内で却下。