第一話 自覚
あぁ、どうして忘れていたのだろう。あんなにも好きで、毎日仕事終わりにするそれだけが日々の救いで、有休をねじ込んで深夜バスに揺られてまで大型イベントで同じものを愛する人たちの萌えの産物を買いあさって、自分でも絵を描いたりアップロードしたり、フォロワーと考察をして転がりまわるくらい好きだったのに。
「酷いですわ、殿下! わたくしが、わたくしが貴方の婚約者ですのに! どうして……」
「黙れ、ローズワース! 婚約者と言えど家の決めた間柄、俺はお前を婚約者などと思ったことは一度もない!」
目の前で、大好きだった二人が言い争っている。たくさんのギャラリーがいるなかで、殿下の言葉に彼女は大きく目を見開いて、あぁ、と絞り出したような声をあげてその場に泣き崩れた。今まで誰にもほころびなんて見せてこなかった彼女が、人目も憚らず泣いている。制服の白い上等な靴下が土に汚れる事も厭わずに、顔を覆った両手の隙間から涙を落として泣いている。
私は知っている。この光景を知っている。初めて見た時にショックを受けたことを鮮明に覚えている。
プレイターミナル4対応ソフト、『ジュエル・ラブ・プリンス~硬度10の愛の輝き~』クリスタル王子ルート第五章の5枚目のイベントスチル、通称「レッドベリル断罪イベ」。
私の推しカプが、公式で破局する瞬間のイベントスチルである。
『ジュエル・ラブ・プリンス~硬度10の愛の輝き~』は宝石をモチーフとした恋愛ゲームだ。主人公は王国で一番大きな魔法学校に入学した地方貴族の少女で、モチーフがダイヤモンド。デフォルトネームはアリス・カルボン・ダイヤモンド。ファーストネーム以外は固定。宝石の王様として名高いあれだ。めちゃくちゃに堅い防御魔法が使えて、それで攻略対象を守ったり自分の身を守ったりする。
攻略対象は王子がクリスタルとエメラルドとラピスラズリ、宰相の息子がサファイア、商人がトパーズ、騎士団長の息子がルビーで、あと幼馴染枠がアメジスト。オタクって宝石がモチーフだと推しの宝石を買いがちだけど、私も私のフォロワーたちも皆その例に漏れない。宝石を二石好きに選べるアクセサリーなんかもう誰もが義務教育で教わったのではないかというほどに周知されていた。
ただ、私の場合推しカプが高価ということでかなり大変だった。その義務教育のアクセサリーにも私の推しの片方の石が選択できなかったりするし、なんなら他の何よりも高いから、初めてボーナスでその宝石を手に入れられた時、私はもうベッドの上で飛び跳ねてはしゃぎ、スプリングを何か所か駄目にした。
それが今目の前で泣いている彼女、ローズワース・リリ・レッドベリル。王国の王位継承権第一位、レオンウォード・アルツ・クリスタル・レインマリア王子の婚約者で、クリスタル王子に関する恋敵、ライバルポジションのキャラクターだ。悪役令嬢とかいうくくりにもなるらしいが、二十数歳のアラサーだった私にはライバルの方がしっくりくる。他にもライバルキャラクターは攻略対象の数と同じだけあって、百合好きのフォロワーさんがライバル同士をくっつけた妄想で毎日楽しそうだった記憶がある。
どうしたって恋敵でライバルである以上、主人公がクリスタル王子のルートに進めば彼女は婚約を破棄されてしまうのだけれど、私はそんなライバルの彼女がクリスタル王子と結ばれてほしいとずっとずっと願っていた。
簡単に言ってしまえば、クリスタル×レッドベリルが推しカプだったのだ。少数派ではあるけれどレッドベリルを好きな人は居て、私はそんな同志たちと夜な夜なこのスチルのレッドベリルまじ天使とか、このドレス最高だとか、海外サイトで見つけたこのドレスが絶対レッドベリルに似合うとか、そういう話をしていた。レッドベリル救済の二次創作だって書いたし、オールキャラほのぼの恋愛ゼロの漫画のサンプルでレッドベリルがかわいいのを見たら確実に手に入れるために始発の電車に飛び乗ることもあった。
私のボーナスが全額消し飛ぼうとも、彼女が小さくても手に入るならいいやと思うくらい、私は彼女が好きだったし、クリスタル王子と結婚して幸せになってほしいと思っていた。
そう、これは私の前世の話。どうしてこうなっているのかは分からないけれど、私はアリス・カルボン・ダイヤモンドで、そしてあの頃の記憶も持っている。これが転生という奴だろうか。それはそれで嬉しい、生身のレッドベリルまじでかわいい。抱きしめたい。
「アリス。今ここで君に伝えよう」
私の脳内はそんな声を聞いて一旦鳴りを潜めた。あぁ危ない。顔を上げればクリスタル王子のめちゃくちゃに良い顔面。私の推しカプほんと顔が良い。しかしその顔に私は見覚えがある。ゲーム三昧だったあの頃の記憶が、すぐに答えを弾きだした。レッドベリル断罪イベントの後、直後にあるのはクリスタル王子ルート最大の山場ともいえるイベントが続く。あの王子が、自ら膝をついて地方貴族の主人公を見上げるのだ。
「私の婚約者になってくれ、未来の王妃に、君は相応しい」
ああ~~懐かしい~~。このシーンなぁ。これのイベントが入るとクリスタル王子ルート確定ってことになるんだよなぁ。これより前は共通イベントが多いけど、各種ルートが確定すると個別イベントが多くなる仕様で、ひとまずここまでくれば一安心というイベントだ。本来ならここで両想いのアリスは「はい、喜んで」と口にして二人は婚約者になる。
しかし答える前に私の目に留まったのは、クリスタル王子の奥で、たった一人で泣いているレッドベリルの姿だった。普段はいる取り巻きも遠くて、ギャラリーたちからは憐れみと言うよりも、愉快な物を見るような目。スチルだけでは気が付かなかった周囲の視線。
よく考えたら、王子ちょっと酷くない? たった二人で冷静に話をつけるならともかく、こんな大衆の面前でこっぴどく振った上にその直後に新しい婚約者を作ろうとするなんて酷くない? レッドベリルは確かに主人公に対して冷たかったりはするし、ちょっと高飛車な部分はある。まぁそこが可愛いんですけど。でもそれは、本当は自分に自信がないからそうふるまっているだけだと設定資料集に書いてあった。
確かに地方貴族で自由気ままで明るく優しい主人公に好意を抱くのは分かる。でもそこまでする必要はあったのだろうか?
あの小さな宝石を思い出す。レッドベリル。世界でたった一か所しか採掘できない、もう採り尽したとすらいわれる奇跡の石。0.1カラットで二桁万円にすら到達するあの小さな石。
美しくて、でも小さなあの私の宝物が、今あそこで一人ぼっちで泣いている彼女に重なって、私は答えるよりも先に、差し出された手を弾く。
「ア、アリス……?」
「お言葉ですが、殿下!」
私は大股で王子を通り過ぎ、泣いているレッドベリルの背中に触れた。涙をこぼしながら見上げて来た彼女の目元にハンカチを当てて、彼女に微笑んでから、王子の方を見る。
「私はローズワースさんが好きなので、無理です!」
周囲の生徒たちがざわつく。隣のレッドベリルすら息を呑む音がした。クリスタル王子は信じられない物を見るように立ち上がって、私はそれから目を逸らさない。
決めた。私は彼女を幸せにする。私は……本当はクリスタル王子と結ばれるレッドベリルが見たかったんじゃなくて、幸せになるレッドベリルが見られれば良かったのかもしれない。
レッドベリルを幸せにできるのは、クリスタル王子だけだったから。
あのゲームの中でレッドベリルはクリスタル王子だけに恋をしていたから。
でももうこのルートで王子と結ばれることがないのなら、私が幸せにしよう。
「人前で女の子を振った上に目の前で他の女の子に告白するなんて、サイテー!」
こうして、私の原作から大きく外れた転生人生が幕を開けたのです。