神という考え
今日も変わらず自由に過ごすアフィ。
そんな中教会の前で礼拝を終えたメリヌと遭遇する。
神殿騎士団は神に仕える騎士団というのが一般的な認識だ。
そしてそこにまた一人加わる事になる。
「あれ、メリヌだ」
「あら、アフィじゃない」
「相変わらずの礼拝か、教会だもんね」
教会では月に二回ほど礼拝が行われる。
神に祈り、その感謝を捧げる行事だ。
「にしても神様か、あたしにはどうにも馴染めないよ」
「別に神様はなんでも屋じゃないわよ、あくまでも見守ってくださるっていう考えなの」
「見守るねぇ、本当に見てるならなんで助けてくれなかった、あたしはそう思うよ」
「教会ではそういう教えなのよね、アフィの気持ちは分からなくはないけれど」
「なんだ、人が多いと思ったら礼拝だったのか」
そこに交代で仕事はしばらく休みになった流が声をかけてくる。
流もこの国の礼拝には興味があるのか、少し気になっている様子。
「あら、流じゃない」
「礼拝の時間だったんだろ、それにしても神様っていうのもどうにも実感しにくいよな」
「流も神様を信じてたりするの?」
「信じてるっていうか、神様なんてどこにでもいるだろって考えだな」
「どこにでも?流の国だと神様ってそういう考えなの?」
国にって価値観や宗教観も当然変わってくる。
流は東の方の国の出身なので、その考えも当然違うわけだが。
「俺の国だと神様ってのはそれこそ八百万、米粒の一つにまで宿るって考えるからな」
「へぇ、なんか面白いね」
「神様を祀ってる神社なんて国のどこにでもあるし、自然から動物までみんな神様だよ」
「みんな神様って、神様がそんなにいるっていう考えなのかしら」
「うーん、難しいな、でも神棚のある家もあるし、農業とか学門とか神様は多様だぞ」
神というものへの考え方の違い。
この国というか、教会の考える神というのは一神教で東の国は多神教というべきか。
その違いから流も神様は否定こそしないが、遠い存在ではなく身近な存在と考える。
神頼みという参拝も当然あるし、大きなイベントの前には神様にお参りしたりもする。
「俺の国からしたら神様ってのは一人じゃないんだよ、だからそこは違いなんだろ」
「教会の考えとはずいぶん違うのね」
「そこはお国柄だろ、神様ってのは身近な存在なのが俺の国での一般認識だし」
「つまりこのパンにも神様がいるって事なのかな」
「そうなるな、俺の国だと豊穣の神様とかも当たり前にいるし」
その考え方はメリヌには新鮮に映るようだ。
東方の国の神というものへの考え方は教会とは違いすぎる。
だがその考えの面白さもメリヌは感じているようで。
「神様はあらゆる物に宿るなら例えば他にはどんな神様が?」
「うーん、知名度があるものなら太陽神とか狐、あとは福の神とか水の神様とか?」
「流の国って神様だけで凄い事になってそう」
「そもそも俺の国の神様ってのは多神教だからな、宗教というより考え方なんだ」
流の国においては表現では多神教になるだろう、だが宗教という考えは薄いという。
ちなみに外国の宗教も普通にあるので、宗教の自由という考えは一般的だ。
どんな神様を信じようともそれはその人の自由なのだと。
「あくまでも神様っていうのは考え方に過ぎないしな、元々宗教じゃないし」
「ふむ、国が違うだけで神様というものさえも違う、それはなかなか興味深いわ」
「流にとっての神様ってなんなの」
「俺にとっての神様?うーん、仕事からしたら医療の神様ってとこだな」
流も独自の考え方を持っている。
メリヌとは対象的な考えなのも神様との接し方の違いがよく分かる。
「でも面白い話が聞けたわ、今度時間のある時にもっと詳しく聞かせてくれるかしら」
「それは構わないけど」
「私はそろそろ行くわね、約束よ」
「神様ねぇ、教会も大変だな」
「流らしいとは思ったよ」
「そうだ、先輩にもらったパンがあるけど一緒に食うか」
「これ売り切れ必須の限定パンじゃん、やった」
そんな神というものへの考え方。
それは国や宗教といったものへの考えの違い。
流もメリヌも神を信じる気持ちは変わらない。
だが国の違いはよく分かる話でもあった。




