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生贄の烙印  作者: 樹(いつき)
第二章
9/16

降雪の始まり

 ルガへ警告した翌日、森と山の境界線で、マナはユリクスたちを前に、次の作戦を指示していた。冬の澄んだ空気と青空の下、大きく広げられた天幕の下で、大きな机に広げられた地図を囲むようにして、彼らは立っていた。

 あの晩にガンドルトの爪に殺された仲間を集落へ連れ帰るため、人員を三人ほどとられたが、今のところ支障はなさそうだ。


「これから先、奴らへの接触は最低限に控える」


 マナの一言に、彼らはどよめいた。


「聞いて。爪に殺される機会はできるだけ少ない方がいい。あんたたちも死にたくはないでしょう?」

「じゃあ、ユカナに着くまで手は出さないと?」


 ハムシが言うと、マナは鼻で笑った。


「いや、さすがに自由にはさせられない。こちらの思っていないようなことをするかもしれないしね。ここから先は山に入るしかないし、もう少し上の方で迎え撃つ。と言っても、消耗させるだけでいい。本気で戦うのは禁止だよ。爪に殺されるからね」

「殺せるなら殺してしまってもいいんだろ?」

「できるならね。でも、どうするの?」


 ハムシの目が怪しく光る。


「おれたちの協力者に知恵を貸してもらう。ラルバも自然物には対応できないだろ?」


 マナは眉をひそめた。マナの知らないところで、外部の者が手を貸している。ずっと聞いていたが、ハムシしか連絡をとっていないため、それがどこの誰であるか知らないのだ。

 そんな人間はできるだけ作戦には組み込みたくない。不確定な要素となるからだ。

 しかし、こちらもクワルという協力者の存在を彼らに隠している。隠れ家をどうやって探り当てたのか追及してこないのは、隠し事を容認しろと暗に言っているのだ。


「その協力者は本当に信頼できるの?」

「お前よりずっと前からファルと契約を結んでいるらしい。お前もそのうち会えるだろ」

「話す気はないってことね」


 マナは詳しく知ることを諦めて視線を地図に戻した。目的が同じなら、利用させてもらう方が賢い。


「山狗を仕留められる算段が立ったら教えてくれる?」

「それもできない。協力者のことは重要な機密だからな」


 マナはため息をついた。ハムシは機密を頑固に守っているのだ。彼がここまで規則にこだわる人間んだとは思わなかった。


「――あっそ。まあ、いいわ。死なないようにがんばって。私はセルとダライを連れて一足先にユカナに向かう。結界が解けたらすぐに中の構造を調べられるように待機するわ」


 ユカナには、今はまだ、誰も立ち入ることができない。結界は何者の出入りもできない強固な壁となって、ユカナのある場所を包んでいるという話を聞いていた。

 その結界はテイクルシアにも重なるようにして存在しており、その中でガントルトは捕えられているようだ。その結界が薄くなって、爪だけなら出られるようになっていると言われても、マナには上手く想像できなかった。しかし現実として爪は出てくるため、そういうものなのだ、と自分を納得させておくしかなかった。

 ハムシをはじめとしたユリクスたちは、トガルを待ち伏せするために配置を決めていた。どうやら罠を使うらしいということは分かったが、大事な部分を伏せて話すため、マナはその作戦の半分も理解できなかった。彼らもみな、わけのわからないまま、己のやることだけを伝えられ、ハムシの命令に従うこととなった。

 マナは、自分が中心になって作戦立案や遂行をするものだと思っていたが、少しだけ事情が違ってきていた。

 もしかしたら、ファルがマナを不要だと感じ始めたのかもしれない。実際、山岳や森林地帯での戦いは専門ではない。マナは平地での戦術には長けているが、今回のような追跡や暗殺じみた戦いはそれほど経験がないのだ。


(まあ、ちょうどいいか)


 部隊から外された方が動きやすい。ファルはともかく、彼らはマナのことを信用しているだろう。ユカナへ先に向かうと言っても反対の意見がなかったのは、少なくともそう思っていてもいいはずだ。

 ユカナの結界は五十年周期で張り替えられているが、中へ入れるのはルガだけだ。そのため、内部の構造は誰も知らない。先に潜り込めるというだけで、大きな一手となる。


(それにしてもあの子は、死ぬことが怖くないのかね)


 あれからずっと、マナはルガのことが気になっていた。結界のことを調べ、結界を張ったあとは中から出られないことを知って、今のうちに逃げることを勧めたのだが、容易く払い除けられてしまった。

 自分がこの土地の出身であったなら、身を捨ててでもこの地で生きる人間を守りたいと思えたのだろうか。


(そうは言っても、自分の子供を生き残らせるために死ねって言われたら、私も考えるだろうね)


 自分に置き換えてみると、そう難しい選択ではないことに気がついた。ルガもそういう気持ちでいるのかもしれないと思うと、余計に不憫でならなかった。

 マナは作戦の立案に白熱する男たちの中から抜け出し、天幕から外に出た。遠くの空に灰色の雲が見える。


「雪が降りそうですね」


 セルが後ろから声をかけた。抜け出るマナを見て、追ってきたのだろう。


「ちなみに雪が降ると山狗でも厳しい?」

「ご想像の通りです。娘を連れていることを思えば、ひとりで進む時の三倍は時間がかかるかと」

「恰好の餌食ってわけね……」


 ただでさえ難しい山越えになるのだから、彼らにハムシたちの作戦を回避することは困難であるに違いない。


「気になりますか?」

「まあね。でも、私も自分の身が一番大事だし、妨害してまで助けようとは思わないわ」


 ハムシたちの敵意がこちらに向けば、戦う手段のないマナには抵抗することもできないだろう。何があろうと、彼らに敵だと思われてはならなかった。

 しばらく分厚い雲を眺めていると、ちらちらと雪が降り始めた。


「まだしばらく大丈夫かと思っていたけど、すぐ出かけた方が良さそうね。セル、ハムシに伝えてきて。私はダライと出発の準備を終わらせておくから」


 セルは頷くと、また天幕の中へと戻って行く。

 誰もいない野営地で、マナは預かっていた香り袋を服の内側に縫いつけた。これから山を歩くのだから、万が一にでも落としてはいけない。これがなくては、ハクジオオカミに敵だと思われてしまう。

 この香り袋は、ロスタンの町にいた元山狗の男、クワルから譲ってもらったものだ。山狗に接触するなら持っていた方がいい、と彼は親切にも香り袋を三人分作って宿にまで持ってきてくれた。

 隠れ家のことも教えてもらっていたおかげもあり、ルガに警告する時間を作ることができたのだが、それも今となっては意味のあったものだろうか、わからない。

 マナは山を越えるために準備した道具や食糧の入った大きな背嚢をダライに担いでもらい、セルを待っている間、改めて地図で歩く道を確認した。

 障害物の少ない、なだらかな山肌にそって、迂回するようにして回るつもりだ。しかしこの道は少しばかり距離がある。山狗のトガルが同じ道を歩くとは思えないため、追いつかれないようにしなければならない。

 山を越えたら、少し北海へ向かって進むと、すぐにユカナのある離島がある。離島へは巨大な橋がかかっており、船は必要ない。ユカナには鍵のついた扉などもなく、結界さえ解ければ、誰でも入れるらしい。

 結界があるのだから下手に頑丈な扉をつけるよりいいか、と考えていると、セルが駆け足で戻ってきた。

「マナさん、戻りました。ハムシ隊長たちはこれからすぐにトガル迎撃の準備に取り掛かるそうなので、この場所を離れてほしいそうです」

「そんなに大規模なことをやるの?」

「わかりませんが、そうなのでしょう。すでに下準備は終えていると聞きました」


 マナは肩眉を上げた。


「……変ね。いつそんなことする時間があったのかしら」


 わからないことが多い。しばらくここに残って何が起きるのか見ていきたいくらいに気になるが、マナはその誘惑を振り切るようにかぶりを振って、セルたちと共にユカナを目指して歩き始めた。






 トガルは目を覚ますとすぐにルガを起こした。木々の切れ間から日の光が滝のように降り注いでいる。どうやら、夜の間に奇襲されるようなことはなかったようだ。ラルバであることが関係しているのだろう。

 まだ朝日がのぼってそれほど時間は経っていない。森の中には煙幕のように深い霧が立ち込めていた。冬はよくこうした風景が見られる。昼間には晴れてしまうが、まぎれて動くにはちょうどいい。

 トガルはすぐに必要な荷物をルベルの背に積み、山へ向かって真っ直ぐ歩き出した。


「トガルさん、山に向かうんですよね?」


 ルガが心配そうに聞く。


「ああ、そのつもりだ」

「私が言うことでもないと思うんですが、待ち伏せされているんじゃないですか? 一度引き返した方が……」


 野営しようと思った場所が見つかり、隠れ家に先回りされたことを気にしているのだろう。


「待ち伏せはされているだろうな。だが、おれがラルバである以上、やつらも下手なことはできない。それに、今から街まで戻って、やつらに時間を与えるのは一番まずい。おれたちの目的地はユカナだと知られているし、入れ知恵しているやつが罠を仕掛けてくるかもしれない」

「入れ知恵している人?」

「この隠れ家と香り袋のことを知っているのは山狗だけだ。誰か手を貸しているんだろう」


 それくらいは簡単に想像できる。第三者がここまで詳しいことはありえないことだ。


「そんな、だって、仲間なんでしょう?」


 ルガは信じられないというような顔でトガルに言う。


「いや、あまりあることではないし、信用問題に関わるから普通はやらないが、これだけ山狗が組織として崩れかけだと、そうも言ってられない。ラゴウの信仰に希望を見出すやつがいても、おかしくない」

「でも、知っている人かもしれないんでしょう? なんで平気なの……?」

「野生の動物でも、縄張りが違えば争うこともあるだろう。それだけの話だ」


 仲間ではあるが、家族ではない。その線引きがしっかりしているのは、山狗であっても、互いに利益のある時しか他人と関わらないからだ。それでも仲の良かった者はいるが、それは個人的な友好関係の範疇でしかない。トガルのことを嫌いな人間が、敵側につくことは充分に考えられることだ。


「せめて誰が向こうにいるかわかればいいんだがな。人によって普段やっている仕事がはっきりわかれている山狗なら、何を仕掛けてくるか、ある程度把握できる」


 そうすれば避けやすいが、避けさせないのが山狗の技だ。何があってもその正体を死守するに違いない。


「あのそれって、仕掛けられた内容から相手を調べることもできるんですか?」


 そう言われて、トガルは思いもしなかった、と目を丸くした。


「その通りだな。だが、罠にかかった時点で死ぬかもしれないぞ」

「それもそうですね……」


 ルガは難しい顔をして考え込んでしまった。そもそもこういうことはトガルが全て担うはずだったのだが、彼女はいつの間にかトガルと同じような立場に立ってものを言うようになっていた。

 トガルはふっと短く息を吐いて言った。


「大丈夫だ。おれに任せておけ。山狗の使う罠は全て覚えている。何をされたら一番困るかはよく知っている」


 山狗の罠は見えづらく、多くの場合は毒が塗ってある。痺れさせて獲物を捕縛するための毒だが、今のように相手の命を奪いたい場合は猛毒が塗ってあるかもしれない。

 ルベルは罠に使われている金具の匂いで避けることができるが、ルガは危ないだろう。


「ルガはルベルに乗っておくか。あまり長時間乗せておくとルベルに負担がかかるが、今は仕方がない」

「よろしくお願いしますね」


 ルガがそう言うと、ルベルは顔をあげて、背中の彼女を見た。その目は優しく、香り袋のおかげだけでなく、ルガを気に入っているようであった。


「しかし、ルベルがこんなに早く懐くなんてな」

「懐いているんですか?」


 彼女は手を伸ばしてルベルの首の後ろを撫でる。ルベルも全く緊張している様子はない。

 おそらく、彼女がルベルを恐れていないからだろう。普通はこの大きさの動物に怖気づくものだ。動物はその感情を敏感に感じ取り、本能が刺激される。そうやって集団における順位づけがされるのだ。

 とくに、オオカミはその順位がはっきりしている。最も優位にいる者と、二番目にいる者までは集団の中でもきちんと決められ、他の劣位のオオカミや若いオオカミは彼らの決定に従い、繁殖さえさせてもらえない。

 ルベルにとってはトガルが絶対であり、新参者のルガは排除すらしようとするだろう、とトガルは思っていた。実際、オオカミは自分の家族ではない若いオオカミに厳しく、追い立てることはままある。山狗の中でも、違う家族のオオカミとは一緒に行動することはない。

 ルガとルベル、両方のことを思って、少しずつ慣らしていこうと思っていたのだが、それは余計なお世話だったようだ。


「こんな時でなければ、オオカミのこと、山狗のことをもっとよく知りたかったのですが……」


 ルガは揺られながら、本当に残念そうに言った。


「そう思ってもらえれば充分だ。おれもルベルも、お前に会うことがなければ、生きているうちにこんなに会話することもなかっただろうからな」

「人が、嫌いなんですか?」

「苦手なだけだ。人と接するのが好きなら、とっくに山狗を引退して街で暮らしている」


 トガルは苦笑した。おそらく、ルガは自分とは違って、人付き合いの好きな方だ。だから、こうして他愛ない話を聞いてくれている。


「……雪が降り始めたな」


 ちらちらと細かい雪が、いつの間にか灰色に染まった空から降り注ぎ始めていた。


「やみそうにないですね……」

「だが変更はしない。このまま進む。多少足はもたつくだろうが、今から進路を変えては吹雪が来るかもしれない」

「吹雪ですか?」


 確証はなく、ただの勘だ。空気や風、空の色。直感的に、この雪は激しくなるものだと思った。


「今の調子なら、山をのぼりきるころには吹雪が来るはずだ。その前に落ち着ける場所を探さないとな」


 ラゴウの待ち伏せと吹雪が重なれば、容易に隠れられるだろうが、向こうにいるであろう山狗がそれを想定していないはずはない。


「力になれなくて、すみません」

「気にするな。お前はお前の仕事だけ考えていればいい。それより、お前の話を聞かせてくれ。おればかり話している気がしてな」


 トガルがそう聞くと、ルガは嬉しそうに話を始めた。孤児院に来た時のことや、大好きな兄弟たちのこと。先生が厳しいことや、卒業した者たちが他の町で仕事をしていることなど。

 森を抜けきるまで、ルガは尽きることのない話を続けた。トガルはそれに相槌をうちながら、聞き続けた。

 覚えていてほしいと言った彼女のことを、できるだけ知っておきたかった。生い立ちや、家族、大事な人たちのことを。今までどうやって生きてきたのか。十五年の人生を追体験するように、細かく、少しでも気になったことは何でも聞いた。

 彼女は嫌がらずに、何でも答えた。楽しかったこともつらかったことも、全て笑顔で、いい思い出だったというふうに、軽やかな口調だった。

 トガルは、自分の娘が生きていればこれくらいに育っていたのだろうか、と一度だけ考えた。死んだ子の歳を数えることなどしたくはないが、たまたま同じ年に生まれたルガを見ていると、考えざるを得ない。

 しかしその彼女とも、もうじき別れがくる。胸がしめつけられるような感覚がした。彼女を殺すために彼女を守るのだ。いくら仕事で、彼女もそれを望んでいるとはいえ、本当に従っていいのだろうか。


「どうかしました?」


 急に黙り込んだトガルに、ルガは聞いた。


「……いや、なんでもない。もうすぐ山に入る。怪しいものを見つけたらすぐに教えてくれ」


 木々がまばらになった先に、短い草だけが生えた岩だらけの斜面が見える。雪は絶えず振り続け、早くも山の上を白く染めている。風も強く、少し大きくなった氷の綿を乗せて、横殴りに吹きつけていた。

 空は一面の曇天に覆われ、いつ晴れるともわからない。天候は悪くなる一方だろう。トガルの予感が当たってしまった。


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