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生贄の烙印  作者: 樹(いつき)
第二章
6/16

権謀術数

 ロスタンの町では、雪が降っていた。

 マナがセルとダライというふたりの青年と共に町へついた時、すっかり辺りは暗くなっていた。冷たい風が吹き抜け、まだ軽く小さな雪を体へ打ちつける。

 もう少ししたら、この雪も激しさと大きさを増し、町から町へと移動することも困難になる。その中でも特に、北側の海に面した部分は、激しく風が吹きつける。ユカナのあるところは大変な天気になることだろう。


「ふたりとも、ロスタンに来たことは?」


 マナが聞くと、長身でやせ細ったセルが言った。


「僕はありますが、ダライはありません」


 ダライは大きな体を揺らして、ゆっくりと頷いた。

 このふたりはやたらと対照的な体つきをしている。彼らが兄弟同然の幼馴染という話を聞いて、マナは彼らを連れていくことに決めた。仲が良いふたりの方が、自然と互いの欠点を補うように動いてくれるため、効率がいいからだ。


「じゃあまず、ふたりは宿をとっておいて。私は町の様子を見て回るから、終わったらまたここで落ち合いましょう」


 マナはふたりと別れて、夜の町をひとりで歩き始めた。ロスタンの町は四つの区画で作られている大きな町で、ここを隅々まで調べつくせば、山狗の手がかりがあるに違いない。

 今は時間も遅く、店はほとんど閉まっているが、昼間の活気は想像に難くない。大通りについた無数の足跡が、それを裏づけている。

 歩きながら、マナは山狗に関連する言葉を頭の中でいくつか思い浮かべる。山で暮らす人間、傭兵のような仕事、彼らにつき従うオオカミ。


(手がかりを追うなら、仕事から、か)


 この界隈に住む同業者で、彼らを知らないはずはない。

 マナの故郷であるオグニにある昔話に、ホンガラという怪物の話がある。どこにでもよくある『悪い子はホンガラが来て食べてしまうぞ』というもので、子供にそう言い聞かせる大人のほとんどは空想上の生き物だと思っている。しかし、その話はほとんど実話なのだ。ホンガラは南に住む大陸の先住民で、敵対する人間を殺して食べる文化を持つ。

 そういった昔話は、その元になった出来事が必ず存在する。各地で痕跡が見つかり、空想が実体を持つ。その現場をマナは子供のころに何度も目にした。だから、今度もその可能性が高いと判断できた。

 ロスタンの町にある護衛組合の屋敷は、小さなものであった。実際、この冬山では野盗よりもクマの方が恐ろしい。傭兵よりも猟師の方が多いのは、当然と言える。


(明日はここで話を聞くことになりそうね)


 そんなことを考えながら元の場所へ帰っていく道すがら、一軒の教会が目に入った。

 大きな教会と、それに併設するように孤児院が立てられている。それ自体は別段珍しいものではないのだが、マナの目を引いたのは、井戸にいたひとりの少女だ。

 マナは暗闇に紛れるようにして、そこへ近づいた。すると、会話が聞こえてきた。どうやら、近くにもうひとりいたようだ。

 ルガ、という単語が聞こえ、マナは目を見張った。ここで本命を見つけられるとは思っていなかった。


(ファルはこんな年端もいかない少女を殺そうっていうの?)


 彼ならやりかねないことだが、少し心が痛む。とはいえ、自分の子供を人質にとられている状態で、裏切るわけにもいかない。せめて、このことを誰にも話さないようにするしかない。

 マナはそっと離れ、ふたりと待ち合わせしていた場所へ向かった。無事に宿を見つけられたようで、ふたりはすでに待っていた。


「マナさん、顔色が悪いようですが……」

「なんでもないわ。宿で少し休みましょう」


 セルたちのとった宿は質素であったが、それでも屋根のあるところで眠ることはできる。食事は残っていたシカの干し肉で済ませた。

 翌日の昼過ぎから、マナたちは活動を始めた。まずは昨日見つけた護衛組合の屋敷を目指す。どのようにして情報を引き出すかは、すでに考えてあった。

 屋敷の扉を開くと、中は依頼を受け付けるための最低限の人員しかいないようで、たったひとりの年老いた男が、受付を行っていた。

 マナは少しおおげさに辺りをきょろきょろと見回しながら、歩みを進めた。


「すみません、護衛のお願いって、ここでできるのでしょうか」


 たどたどしく、マナは言った。不安気な顔を忘れずに、老人を見る。老人は訝しんだ様子で言った。


「あんた、どこから来た人だい?」

「オグニから来たのですが、どうしても近日中に北海へ行かなければならないのです」

「後ろのふたりもかい?」

「はい。あのふたりは私の旅の仲間で、同じ宗派の僧なのです」

「なるほど、僧侶か……」


 この土地のことをよく知らない人を演じるには、南から来たことにするのが一番いい。それに、僧侶と聞けば行動を理解できなくても仕方ないと考えるだろう。


「しかしね、この時期の護衛は高額になるよ」

「なぜですか?」

「クマが出るからさ。クマを倒すにはたくさんの道具がいるし、危険も多い。猟師や、少なくとも土地や気候に詳しい者も同行しなければならない」

「そんな……。私たちはお金がありません。どうにかなりませんか?」


 旅の僧侶がお金を持っているはずがない。そんなことは老人もすぐに気がついているだろう。路銀を惜しんでいるわけではなく、手持ちさえあればいくらでも払う気でいることを証明するには、彼に誠実であると感じてもらわなければならなかった。


「どうにかしてあげたいが、クマが完全に冬眠するまで待ってはどうかね? そうすれば少しは値が落ちる」

「いえ、私たちにはあまり時間がないのです。北海に住むコウラシンさまに祈祷をして、我が子の病気を祓わなければ、春まで生きられないのです」


 コウラシン、というのは適当に出したオグニの言葉だ。どこにもそんな神さまはいない。

 病気の子供を救うため、遠路はるばるやってきた人間を追い返せるほど、この老人は冷酷ではないだろう、とマナは思ってそういう言い方をした。


「だがなぁ……」


 老人は少し考えて、それから言った。


「あんたが本気なら、人を紹介してやる。だが、説得は自分でやっておくれ。熱意が通じれば、手を貸してくれるかもしれない」

「あ、ありがとうございます!」


 わざとらしく、おおげさに、マナはお礼を言った。

 その人物をすぐに紹介しなかっただけでも、信憑性は高い。恐らくはわけありの大物だろう、とマナは緊張すると同時に少し安心した。ここで何も出てこなかったら、また別の視点から探し直しになるからだ。

 バーダと名乗った老人の教えてくれた住居は、ここからそう離れていないところであった。他の住居と同じように、木の柱に真っ白な壁、大きな窓はあるが中の様子は見えない。あまりにも特徴のない外観をしており、知らずに訪ねることはまずないだろうと思える。


「ふたりは少しここで待っていて。わずかな特徴でラゴウの人だと気づかれるかもしれないから」


 マナがそう言うと、ふたりは無言で頷き、その住居がある通りから少し離れたところへ向かった。

 玄関の扉を叩き、しばらく待っていると、無精ひげを生やした筋肉質な男が扉を開けて姿を現した。その顔はいかにも迷惑そうに、腫れぼったい目を開いて、マナを見ている。


「誰だ?」


 低く、好意の欠片もないその声にマナは緊張を高まらせながらも、演技を続けた。


「あ、あの、バーダさんからの紹介で来ました。護衛を、受けてほしいのです」


 それを聞くと男は面倒くさそうに頭を掻いて、言った。


「……とりあえず、中で聞こうか。そこのふたりも、仲間なんだろ?」

「え?」


 この玄関口からは見えないところにいるはずの、セルとダライを指さしていた。


「隠れてるつもりなら、いくらなんでも下手すぎるな。入って来い」


 マナは外にいたふたりを呼んで、男のあとに続いた。

 先手をうつつもりが、完全にやられてしまった。マナは彼に聞こえないように、小さくため息をつく。

 家屋の中は、不思議と物が少なかった。暖炉や棚、机と椅子はある。しかし、生活に必要最低限のものだけがあって、それ以上のものはない。板張りの床に絨毯が敷かれているが、特別な模様もなく、無地の赤いものである。

 部屋の中を見れば彼の趣味嗜好が見えて、そこにつけこもうと思っていたが、悪い方向に見えてきた。所有物が少ない人物におおまかに共通することは、とにかく頑固で、自分の信じるもの以外を信じない。人の言葉に心を動かされることは少なく、こういう人間を口先でどうにかするのは難しい。完璧主義の自己完結型は、一度騙すことができれば、あとは坂道を転がり落ちるようにうまくいってくれるものだが、すでに向こうからは不信感を持たれてしまっている。


「さあ、お三人方、おれにいったい何の用だ?」


 彼は居間の一番奥でマナたちに向き直り、腕を組んだ。


「私たちは、オグニから来た僧侶です。子供の病気を治すため、北海に向かっているところなのです」

「なんで?」


 マナの背筋に冷たい汗が伝う。彼の目は、じっとまっすぐにマナを見ている。表情に陰りは見られない。


「祈祷のためです。そのために、今の時期に山へ入りたいのですが、私たちにはお金がありません。そこでバーダさんに相談したところ、ここを紹介されたのです」


 彼は興味がなさそうに指で顎を触る。


「ふうん、そうか。それならそれでもいいんだが、北海沿いに祈祷場なんてあったか?」

「ええ、あまり知られてはいませんけど、北の端にあるのです。コウラシンという神さまを祀っている社が」


 そう言った途端、彼は笑い出した。


「コウラシン! 馬鹿言っちゃいけないな。それ、オグニ語だろ? たしか、卵か何かをそういうふうに言うところがあったはずだ」

「……オグニのことに、お詳しいのですね」

「まあね。……君は見た目もオグニの人間らしいが、後ろのふたりまでオグニの出身だと言い張るのは難しいだろ。おれの目にはどう見ても、この辺りの地域の人間に見える」


 セルとダライが狼狽える様子を、背中越しに感じる。マナはまた、大きなため息をついた。


「すみません。嘘をついていました」

「やけに素直だな。最初から全部嘘かい?」

「ええ、私たちは僧侶ではありません。実は、調べていることがあるのです」

「何を?」

「山狗、という組織についてです」


 マナがそう言うと、彼は眉をぴくりと動かした。やはり、彼は知っている。


「なぜ知りたいのか、と聞く前に、君たちの本当の所属を聞こうか。そういえば、まだ名前も聞いていなかったな」

「私たちは、研究者です。噂や昔話が真実かどうかを調べるため、各地を転々としています。山狗という組織は、今はほとんどなくなっていると聞きます。そういった組織があったことを、私たちは記録に残しておきたいのです。誰の目にも止まらないまま、消えていくというのは、文化を保存していく観点から、あまり好ましくありません」


 マナは、できるだけ、情に訴えるように言葉を吐き出しながら、彼の納得できるような理屈を並べたてた。もちろん、ほとんどが嘘だが、山狗について調べていることは、本当だ。本当に相手を騙したい時は、真実をほんの少し混ぜることが有効であることは、充分すぎる経験の上で知っている。それが、自分の方が賢いと油断している相手には、よく刺さることも。

 マナの言葉を聞き、彼は少し考えて、答えた。


「調べて、それでどうするつもりだ? 山狗のことを調べて記録に残しても、君たちに得はないだろ?」

「いえ、私たちは自分の知的好奇心を満足させられたらそれで良いのです。山狗について何か知っているなら、少しでもいいので、教えてください。お願いします」


 マナが頭を下げると、ふたりも慌ててそれに続く。


「頭を上げてくれ。それで、何を聞きたい?」

「え? あの、それって、いったいどういう意味ですか?」

「おれは山狗だよ。まあ、今はもうやっていないがね」


 彼は自嘲気味に笑いながら言った。


「まあ、君のように嘘をついていると思われると心外だから、なぜ話す気になったか教えてやろう。山狗はもう終わりだからさ」

「終わり?」

「君も知っているように、もうあと数年のうちに、山狗という組織は完全になくなる。山で死にたい者は山で死ねばいいし、町で死にたい者は町で死ねばいい。これは山狗全体の決定だ。もうじきなくなる組織のことなんて、秘密にしておく必要もなくなった。翁だって、聞かれたら何でも答えるだろうさ」


 もう仕事をしないから、隠しておく必要がない。彼らはこれまで人を殺さず、恨みを買ってこなかったから、正体を喋っても、命を狙われる心配がない。やめる時のことまで考えて不殺を貫いたのだろうか。


「とりあえず、座って聞こうか。君たちが危険な相手ならお帰り願おうと思ったが、話を聞きたいだけなら、そう邪険にしなくてもいいな。ああ、そうだ。おれの名前はクワルだ。君たちは?」


 クワルに促され、椅子に座りながらマナたちも自己紹介をした。

 彼も、山狗の話をしたかったのだろうか。こちらの想定よりも、かなり友好的な態度を見せていた。


「山狗は、オオカミと一緒に暮らすんだ」

「オオカミと言うと、あの?」


 マナの頭に浮かんだのは、犬の形をした、あの人懐こい動物だ。


「君が想像しているよりも、遙かに大きく力強い。クマを狩ることのできる数少ない動物だ。ハクジオオカミと言って、雪のように真っ白な体毛をしている。彼らは頭がよく、人間を避けるから、普通に暮らしていると、お目にかかることはそうないだろうな」

「ハクジオオカミとは、生まれた時から一緒なのですか?」

「少し違うけど、だいたいあってる。五歳になった時に、相棒となるオオカミの子をもらうんだ。でも、ハクジオオカミの寿命は二十年から三十年だ。生きている間に何度も世代を重ねることになる」

「クワルさんは、なぜ山狗をやめたのですか?」

「理由はいくつかあるが、一番の理由は、続けられなくなったから、だな」


 マナは不審に思った。山で暮らし続けられなくなるということが、いったいどういうことなのか、素直に理解できなかった。


「その顔、不思議に思っているようだな。山狗って組織は、全員が等しく技能を持っているわけじゃない。早い話、分業制なんだよ」

「仕事を分けて行っている、と?」

「そうそう。おれがやっていたのは、人間相手の諜報。だから、もうやってられなくなったってわけだ」


 諜報する相手がいなくなれば、その技術は全く役に立たないものとなる。他の仕事を一から習得するよりは、違う生活に手を染めるのもいいと考えたのだろう。


「クワルさんのオオカミはどうなったんですか?」

「死んだよ。元々病気だったんだ。山狗辞めるって言っても、さすがに自分の家族を放っておくわけにいかないからね。しっかり最期を看取って、それからおれはここで暮らし始めたのさ」

「道案内の仕事ですね」

「これならおれでも務まるからな」


 彼はそう言って苦笑する。自分には他にできることがない、とでも言いたげな顔であった。

 マナは彼の気持ちがよくわかった。戦術家としてオグニで戦争を経験し、功績をあげたが、戦争が終結すると同時に、居場所を失った。兵士はまだ鍛えた体を活かして他の仕事もできる。しかし、頭脳労働を主としていたマナでは、つぶしがきかない。

 戦術家など、戦争の他に何ができるだろうか。帝国が雇ってやると言ってきたこともあったが、文化が違えば思う通りに兵を動かすことは困難であり、彼らの望む戦果をあげさせてやれるとは言いきれなかった。

 だからマナは、後進のために書物を残すと、そのころ出稼ぎに来ていたルカルに嫁ぎ、オグニを去ったのだ。二度と戦術家としての仕事をしないと誓って。

 ルカルは、優しい男だった。マナが戦争の話を嫌がっているとわかると、必ずその話題を口に出すことを避けた。劣等感にまみれていたマナが、ラゴウの集落で生活できているのも、彼が無邪気にマナを肯定し続けたからだ。

 生きているだけでいい。傍にいてくれるだけでいい。そんな彼の言葉は、今もまだ、マナの心を優しく包んでいる。彼が死んだと聞いて、立ち直ることができたのもまた、彼のおかげだ。

 クワルには、支えてくれる人がいない。だから、自分でどうにかするしかない。クワルにできることを頼ってきてくれる人が、クワルを肯定することになるのだ。

 そう考えると、彼が嬉々として話をしてくれていることも理解できる。とにかく人の役に立ちたいという気持ちは、痛いほどによくわかる。

 マナは、そろそろ本題を聞き出して、彼を元の生活に戻してあげようと思い、口を開いた。


「最後にひとつ、どうしても聞いておきたいことがあります」

「なんだ? なんでも聞いてくれ」

「今も活動している山狗の中に、護衛や戦闘に優れた者はいますか?」


 それを聞くと、彼の目が一瞬だけ、獣のように鋭く光った。


「……なぜ、そんなことを?」

「いえ、深い理由はないのですが、護衛に長けている人がいるなら、紹介していただきたいと思いまして。我々は、話を聞くことも大事ですが、直接現場を見ることも重要視しているのです」


 信じたのか、信じていないのか。彼の表情からは推察できないが、彼は重い口を開いた。


「……ひとり、とんでもないやつがいる」

「とんでもない?」

「トガルって名前の、おれと同じくらいの歳の男だ。鉄の手甲を腰からさげているから、見ればすぐにわかるだろう」


 手甲、とマナは小さく呟いた。敵を殺さないのだから、武器が刃物である必要はないのだろう。


「そのトガルさんは、いったい何が恐ろしいのですか?」

「山狗でも一番の強さと胆力を持っていたが、妻と子を亡くしてから、少し変わってしまった。不用意なことすれば、山の中に置いていかれるかもしれない」

「妻子をなくせば、そのような精神状態になるのも無理はないのでは?」

「そうかもな。だが、非常に感情が不安定だ。もしあいつが本気で暴れたら誰も止められないだろう。危険な男だ」

「その彼が落ち込んでいる時、誰も助けてくれなかったのではないのですか?」


 マナは少し感情的にそう言った。すると、彼は困ったように頭を掻いた。


「山狗っていうのは、徹底した個人主義だ。何か起こったとしても、励まし合うようなことはしない。その文化があいつを傷つけたのなら、山狗には向いていなかったってことだな」


 彼はまるで他人事のようにそう言った。

 しばらく言葉が出てこなかった。仲間の家族に不幸があった時に、そういうふうに振る舞えるということが、理解できない。


「まったく、建設的ではありませんね」

「君の言う通りだ。おれも山狗を離れてそう思ったよ。中にいると気がつけないことだからな」


 彼も、今からどうにかしようという気はないらしい。組織をやめたのだから、関係ないと言うのだろう。


「さて、ここまで聞いてどうする? 彼を紹介しようか?」

「……いえ、考えさせてください。あなたに頼むのも、考えることにします。話を聞くと、誰を信用していいものかわからなくなってしまったので」

「そうか。まあ、仕方ないな。山に入りたくなったらまた声をかけてくれ。基本的にはこの家にいるから」


 クワルはそう言って笑った。なんと優しい表情をするのだろう。


「今日は貴重なお話をありがとうございました」

「どれだけ力になれたかわからないがな。研究の本でも出たら教えてくれよ」

「はい、必ず。では、そろそろお暇させていただきます」


 クワルの家を出るころには、すっかり日が傾いていた。セルとダライはすっかり話に入れていなかったが、聞いていたことを持っていた植物繊維のごわごわとした用紙に書き留めていたようだ。


「これから一度宿に戻ろうと思うけど、ふたりは他に何か提案ある?」


 マナが聞くと、セルがおずおずと言った。


「ハクジオオカミについて、少し調べておきたいのですが」

「あてがあるの?」

「泊まっている宿に、獣皮の商人がいました。もしまだ居たら、話を聞くことができるかもしれません」


 ハクジオオカミについて調べておく必要はあまりないと思っていたマナは、予想外に彼がやる気を出しているところを見て、調べておいてもいいか、と考え直した。


「任せられる? 私は山狗の情報をもう一度まとめて、作戦を立てるから」

「わかりました。ダライを連れていってもかまいませんか?」

「うん、大丈夫。問題ない。ああ、もし相手が喋りたがらなかったらすぐに退いてね。身元を割らせてまで調べることじゃないから」

「承知いたしました」


 宿につくと、マナはふたりと別れて、二階にある自分の借りた部屋へと向かった。

 荷物から地図を取り出し、ユカナへ向かうと予想される道のりを、もう一度指で辿る。この町にルガがいることは間違いない。この町からユカナへ向かうには、街道を使う方法と、森を抜け、山を越える方法がある。相手が山狗であるなら、この、森と山を抜ける方を選ぶに違いない。単にその技術があるからというだけでなく、クマと見紛うようなオオカミを連れて、人通りのある街道を歩くことができるとは思えないからだ。 

 それと、ルガの護衛にはほぼ確実にトガルという男がつく。数の少なくなった山狗の中で、最も腕の立つ男を使わないはずがない。それくらいに、このガンドルトの封印をめぐる一連の流れは、大きなものなのだ。マナはこの一件に関わる人間たちから、そのように認識していた。

 腕の立つ男であるなら、自分の得意な地形で逃げ回ることは容易に想像できる。比べてラゴウは、森や山で獲物を追うようなことはほとんどしない。狩人としての技術がある者もいない。樹皮衣を売って、市場で肉を買うのが当たり前だった。ラゴウの男連中にできるのは、せいぜい、魚をとるための釣りや漁くらいのものである。

 つまり、逃げられると追えない。それは確実なことであった。

 このままでは圧倒的な不利を免れない。どんな手を使ってでも勝とうと思うのなら、今のうちにルガを始末して、近日訪れるであろうトガルを、ラゴウの総力を持って叩き潰すこともできる。しかし、それを選ぶことはできない。兵士でもない少女を手にかけることなど、許されるはずがない。


(うーん、こうなるといっそ、結界を張ってもらえた方が楽だな……)


 ファルの企みに加担する気がそれほどなかったマナからしてみれば、必死になってラルバを追い詰めて、巻き添えになることだけは絶対に避けたい。むしろ、ルガを支援して、ファルの企みを阻止できないだろうか。

 しかし結界を張ったあと、ファルが自暴自棄になってラゴウに八つ当たりすることは、ありえないことだろうか。


(ありえる、というより、裏切りそうなのが私くらいしかいないってことが、一番大きな問題だね。子供たちが危険な目に会わない保証があるなら、どうにかできるかもしれないけど……)


 犠牲になるのが自分だけなら、これほど悩まないだろう。ファルもそれくらいのことは読んでいるだろうし、もしマナが独り身であったなら、裏切られることを考えて、手を借りるようなことはなかったはずだ。

 マナが唸りながら悩んでいると、部屋の扉が叩かれた。


「マナさん、いいですか?」

「ああ、開いてるよ」


 セルとダライは、厳しい顔をして、マナの部屋へと入ってきた。表情から察するに、結果が芳しくなかったのだろう。


「ハクジオオカミについてですが、獣皮の商人にも値がつけられないほど希少だと聞きました。この北の大地において、生態系の頂点に君臨しているにも関わらず、数年前から個体数が激減し、山狗の飼っているものを除くとほとんど生きていないようです」

「特徴は何かわからなかった?」

「大きいということ以外は、獣皮の商人も知りませんでした。期待させて、申し訳ございません」

「いや、いいよ。間違いなく、ハクジオオカミの皮は高価なんだね?」

「……はい、それだけしか……」


 マナは声を押し殺して笑った。あまり大声を出すのはよくないと思ったが、それでも、ひとつの冴えたやり方がひらめいて、笑みを殺しきれなかった。


「あの、何かいけなかったでしょうか……」


 心配して聞くセルの方を、ぽんぽんと叩く。


「いや、あなたたちは充分よくやった。ところで話は変わるけど、ガンドルトさまが甦ることについて、どう思う?」


 ふたりはきょとんとした顔でマナを見た。質問の意味がよくわかっていないのだろう。


「別に深い意味はないの。ただ、そのガンドルトさまが甦って、帝国を滅ぼして、ラゴウのみんなを救うって話について、どう思ってるのかなって」

「どうって、そんなの……」


 顔を見合わせて、ふたりは何とも言えない顔をする。


「ラゴウの中に、もしガンドルトさまのことを信じてなくて、裏切ろうとしている人がいるとしたら、どうする?」

「そんなの、ファルに報告して罰してもらうに決まっています」


 セルが毅然とした態度でそう言った。


「でもさ、どうやって相手が本当にそう思っているかどうか調べるのかな。例えば、ラゴウの中に裏切り者がいたとして、自分にとって邪魔な人を、信心がない人だって報告したら、ファルはどうするのかな?」

「……ファルは、頭のいい人です。必ず公平に判断して――」

「それって、ファルが自分の判断で、人を裁くってことだよね。じゃあ、もし私が、喋るのが苦手なダライを、裏切り者ですって報告するとするでしょ? でもダライには自分の身の潔白を証明する手段がない。そういう時って、ファルはどうやって判断するの?」

「それは……」


 言葉に詰まったセルに、マナはさらにたたみかけた。


「今みたいにセルが代わりに喋ったとしよう。でも、ダライの本当の気持ちは、ダライにしかわからない。いくら代弁しても、代弁は本音じゃない。じゃあ、ファルはダライが思っていることを全部言うまで待とうなんて、気の長いことをやってくれると思う?」


 セルはすっかり黙り込んでしまった。彼がダライのことを幼馴染としてと言うより、家族の一員のように大切に扱っていることをよく知っている。ダライがそんな場面に追い込まれることなんて、考えたくないに違いない。


「……そんな自分勝手な判断をする人に、ガンドルトさまの力を行使する権利なんて、与えていいわけないわ。そうよね?」


 セルは戸惑い、ダライと顔を見合わせたが、やがて静かに頷いた。これで、全ての準備が整ったと言ってもいいだろう。マナはたしかに、自分の手の平の中に、全てが丸くなって収まる感覚を味わった。これは、計画の成功が見えた時に感じる、一種の全能感だ。こうなったあとで、失敗したことはない。


「……ふたりとも、今から話すことは内緒よ。私たちが、私たちを守るための、とっておきの作戦なんだから」


 マナは声を低くして、セルたちに言った。


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