表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生贄の烙印  作者: 樹(いつき)
第三章
11/16

北限の地

 雪はすっかり吹雪となり、日の光さえ届かない暗黒の空間に、向こうの見えない銀幕を作り出していた。

 マナは、体の大きなダライに先導してもらいながら、目を凝らして向かう先にある景色を睨んだ。微かに聞こえる波の音から、この道のすぐとなりの崖下が海なのだろうということはわかるが、全てが暗闇に覆われており、高さすらもわからない。

 手にしたランタンの灯りが足元だけを照らしており、真っ直ぐ進めているのかも自信がない有様である。

 かなり近づいているのだろうが、あとどれだけ歩けばいいのかわからないというのは、精神的に負担を強いる。

 マナは鼻から下を覆っていた布をずり下げた。息苦しさから少しだけ解放されたが、今度は冷たい空気が皮膚を刺す。


(まったく、こんなに歩いたのは久しぶりだわ)


 オグニに居たころだって、これほど徒歩で移動したことはない。軍部の高官ともなれば、馬車があって然るべきだった。


(子供たちと一緒に、オグニに帰ってもいいかもね……)


 今回のように、ただ静かに暮らしたいだけの生活が叶わないのであれば、少しでも味方の多い所に引っ越してしまうのもいいだろう。夫が死んだ時にそうしなかったのは、死の真相を調べているうちに、離れられなくなってしまったからである。

 黙々と歩いていると、まるで寒い日に稀に見られる天を覆う光の滝と同じように、薄闇の中で七色に輝く淡い光が見え始めた。


「あれがユカナ?」


 マナが後ろを振り返って聞くと、セルは頷いた。

 その光は、小さな孤島を筒状に丸ごと覆っていた。島の中心には大きな塔があり、その入り口から伸びた巨大な石橋が、こちら側の崖にかかっている。

 近くに人の影はなく、マナたちは橋の手前で立ち止まり、塔を眺めた。

 この光が結界なのだろう。そして、淡い光にはところどころ切れ目があり、それが効力の弱まりを示しているようだ。


「これって、あとどれくらいもつの?」

「三日もたないかと思います。見てください。あそこに、新しい穴が空きました」


 セルの言う通り、みるみるうちに、光の領域は少なくなっている。今晩中にはすっかり解けてしまうに違いない。


「結界のこと、もう一度聞いてもいい?」

「はい。結界は、五十年に一度、ルガが身を犠牲にして張る絶対に破ることのできない封印の壁です。一度張られてしまえば、出ることも入ることもできません」

「それってさ、ルガにしか張れないの?」

「結界を張る方法は不明なので、確かなことは言えません。ですが、ルガが特別な人間でなければ、可能かと思います」


 ルガは孤児院で育てられた孤児だ。特別な生まれや血筋ではない。そう考えると、結界を張るのは誰でもできるということではないだろうか。


「マナさん、代わりに結界を張るつもりなんですか?」

「まさか。そんなことしないよ。でも、それも使えそうだ」


 その辺りの詳しいことはルガに直接聞けばいい。あと一日か二日すれば、彼女もここに来るだろう。


「さて、まずはこの辺を調べましょう。結界が解けたらすぐに入れるように、この近くで寝泊まりできそうなところを探して」


 マナが指示を出すと、セルとダライのふたりは素早く吹雪の中へ消えていった。

 マナはまず、都市部の大通りほどの幅がある大きな橋から調べ始めた。人の胴体ほどの大きさの石を無数に組み合わせて作られているようで、中央に向かっていくに連れて山なりになっている。これは、普通の石造りの橋と同じ構造だ。しかし、これが作られたのはガンドルトを封印した大昔だとすれば、当時の技術にしては恐ろしい精度である。

 橋の上は風を遮る物がなく、ちょっとした強風でも体がよろける。そのために幅が広く作ってあるのだろう。


(しかし寒いわね。ここまでやるなら屋根まで作ってやればよかったのに)


 マナは顔も名前も知らない、この石橋を施工した石工に、心の中で文句を言った。実際、それが不可能だとは思えないからこそ、余計にそう感じたのだ。

 結界のすぐ近くまで歩き、手に持っていた小石を立ち上る光の壁に向けて放る。

 想像では何らかの危険な反応が起こるはずだったが、意外にも、小石は普通の硬い壁に当たった時と同じように、弾かれて転がった。

 それを見て、マナは手を伸ばして結界を触った。温かくも冷たくもなく、ただ硬く分厚い壁がそこにあるように感じる。


「……これ、どうして橋がかけられるのかしら?」


 ふと、そんなことを考えた。石橋も結界に弾かれるはずではないのか。しかし、橋は結界の中にも続いており、塔と陸地を繋げている。

 見た目には普通の石に見えるが、特殊な素材を使っているのだろうか。

 マナは冷たい橋に耳をつけ、手袋を外して軽く叩いた。反響音が響き、橋の中を突き抜けていく。


「……ん?」


 マナはそれを不思議に思い、もう一度繰り返す。先程と同じように、反響音は橋の中で鳴っている。

 普通の石であれば、このような音はしない。もっとくぐもった音が短く鳴るだけだ。反響音が鳴るのは、中が空洞である証拠だ。


(この橋、やっぱり何か隠してる……)


 ただの橋ではないのだろうが、空洞の先を探すのは、この天気では不可能だ。せめて明るく晴れた日でなければ本格的な捜索はできない。


(中に入って調べられたら早いんだけどね)


 マナは暗闇の中に浮かぶユカナを見上げた。結界も飴のように少しずつ溶けているが、まだ入るには充分な穴が空いていない。

 その様子をじっと見ているうちに、セルとダライが帰ってきた。


「どう? 休めそうな場所はあった?」


 セルは黙って首を振った。この辺りは木々もまばらで、雨風を防げる大岩や洞窟などもない。崖下まで降りれば空洞くらいはあるかもしれないが、この暗さと天気では難しい。

 マナがどうしたものか、と考え込むと、セルがひとつ提案をした。


「仮小屋を作りましょう。木を切り倒す必要はありますが、一晩くらいなら凌げるはずです」


 仮小屋がどのようなものかマナにはわからないが、セルは作り方を知っているようで、ダライの大荷物の中から、手斧や縄を取り出した。


「作ったことあるの?」

「ええ。昔、こいつと遊びで何度か作ったことがあります。集落の近くに来ていた猟師に教えてもらったんです」


 セルは笑って、子供のころの遊びがこんなところで役に立つなんて、と恥ずかしそうに言った。


「私に何か手伝えることある?」

「いえ、すぐに済みますから、我々に任せてください」


 彼の言う通り、作業は迅速に行われた。針葉樹を一本切り倒して、その枝葉を集め、ふたりほどなら寝られるくらいの広さがある仮小屋を作った。

 中央で火を起こし、マナは凍えた手を温める。ダライとセルは交代で見張りに立つようで、先に木を切り倒すために体力を使ったダライが休むことになった。

 マナは火を前にひざを抱え、やがて厚手の外套に顔をうずめるようにしてうつむき、眠りについた。






 ラゴウの集落にある神殿で、ファルはずっと待っていた。雪が降り始めて、すでに一日経っている。この天候の中逃げ回られては、分が悪いだろう。

 あの者が協力を名乗り出てきたのは幸運であった。この大地を帝国の手から取り戻したい者は、何もラゴウだけではないのだ。


(これで、ガンドルトさまの爪を使った選別も、心置きなくできるというもの……)


 ガンドルトさまが完全に復活すれば、その目を用いて、人の心を見透かすことができると言われている。ラルバとして完全にガンドルトさまと一体になれば、自分に逆らう者や危険な思想の者を爪でまとめて排除することも可能だ。

 ガンドルトさまの復活というのは、そういうものである。巨大な怪物が現れるのではなく、その力を行使して、こちらの世界からあちらの世界へ、供物を送る役目を担うことだ。

 ファルはラルバになりたかった。そのために、何人かの同胞を惨たらしく殺した。

 恨みの力は、殺した人間にも宿るはずだからだ。マナの旦那であるルカルを殺したことなど、今でも思い出す。

 ルカルのときは、爪を剥ぎ、骨を一本ずつ折ってやった。どれだけ拷問しようとも彼は暴れず、ただひたすらに怨嗟の視線を投げつけていた。寡黙な男であったが、それだけに憎しみの力は強かったように思う。

 そのおかげか、充分に恨みの力を感じていた。しかし、なぜかラルバの役目を、どこの馬の骨かもわからないやつにとられてしまった。

 マナかリーヴァのどちらかが、やつを殺せればいい、と思っていたが、どうやらマナは期待していたほどの女ではなかったらしい。結局、リーヴァから聞いていたクマに襲わせる作戦が一番うまくいきそうであった。

 結果がどうあれ、もうじきユカナでルガを迎え撃たねばならない。結界を張られてしまえば、自分が生きている間にラルバとなる機会は二度と来ないからだ。

 ユリクスたちがユカナへ向かう際には、連絡が来る手筈になっている。ファルが待ち続けているのは、それだった。

 そして、雪の中、神殿へ駆け込む音が聞こえ、ようやく来たか、とファルは出迎えた。

 神殿へ来たのは、若い青年であった。一番体力がある者をよこしたのだろう。


「お迎えにあがりました」

「おお、待ちわびたぞ」

「すでにハムシ隊長たちはユカナへ向かっております。ファルもすぐにお連れします」


 集落の外では、彼の準備した馬が二頭いた。馬に乗って街道を走っていけば、明日には到着できるはずだ。

 すぐに出発して、馬に揺られながら、ファルはラルバを捕まえてリーヴァの指示通りにクマに捧げたことを聞いた。もしクマに襲われることに失敗したとしても、中から開けることのできない木箱の中では、凍死するまでそう長くかからないだろう。


「ルガはどうなった?」

「姿を見ていません。すでに向かったものかと思われます。マナさんの方が早く出ていると思うので、先を越される心配はないかと」

「マナか……」


 そもそも外から来た人間であるマナは信用に足る人材ではない。念のため子供を人質にとっていたが、ラルバが死んだ今となっては、ただ邪魔なだけだ。

 ルガを始末し終えたら、マナも殺してしまった方がいいだろう。ガンドルトさまの力を得る前に邪魔が入られては面倒だからだ。

 それに比べて、ハムシは信用できる男だ。暴力的なところはあるが、きちんと利害関係をはっきりさせてやれば裏切ることはない。彼に憧れる若者が多いことからもそれはわかりきっている。馬鹿は考えが読めるため、警戒しなくても問題ないのだ。

 雪は一段と激しくなり、ラゴウの集落からユカナへと続く街道は真っ白で、先を行く青年の灯りのほかには何も見えなくなり始めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ