オープニング
頬を撫でる風が、耳に心地よい音を奏で、僕の上で新緑の葉を揺らす。
僕がもたれかかる大樹は、見上げる僕に優しい歌を歌う。
ここには僕を縛るものは何一つない。昼下がりの長閑さが、どこまでも続いているようだ。体を起こせば見えてしまう、瓦の屋根とか神社とか、そういう俗世が垣間見えるものから、この大樹はいつも僕を守ってくれるのだ。
しかし、僕以外の人々にとってはそうではなかった。
僕がもたれかかる側とは反対側にある大きな森から熊が出て負傷者が出た事件があって以来、この大樹の丘に立ち寄るものは誰もいなくなっているのだ。負傷者には申し訳ないが、僕にとっては都合がよかった。僕は熊なんて怖くはない。僕にとっては熊よりも、僕を縛るものの気配がする道路の匂いとか、瓦の屋根の下から聞こえてくる喧噪とかの方がよっぽど怖かった。
でも、僕は決して、森の側にはもたれかからない。何となく、抵抗があるのだ。誰かが、そこはダメ、と僕の袖を引くような、そんな気分が僕を立ち止まらせる。一体、誰なんだろう。いや、何なんだろう…。僕は、やっぱり熊が怖いのか?…いや、違うはずだ…。
ごろんと寝返りを打って、今がお昼ごはん時であることを思い出す。お昼ご飯…給食…
もう1度、僕は寝返りを打つ。もう1ヶ月も行っていない建物の匂いが、僕の鼻をかすめた。
今頃、クラス替えも三年間ないあの窮屈な箱の中では、誰が何をしているんだろうなぁ…
そんなことを結局、ふとした時に気に掛けている自分は、どれほど中途半端な人間なんだろう。
複雑な思いをあくびで吹き飛ばし、少しまどろんだその時…
「まーた学校サボってるのね、こーくん?」
僕のよく知る、いつもの声がした。