食のゲリラ戦
翼は腹の鳴る音に誘導されて、酒場らしき店の入り口をくぐった。
感じたのは賑やかさ――それが第一印象だった。
ただ地球の居酒屋でいう賑やかとは少々レベルが違う。
地球のそれは、なんだかんだ言っても隣に気を遣う程度の遠慮があるものだが、ここは違う。
30人ほどの客達は声よ届けと言わんばかりに騒ぎ、叫び、笑い声をあげ合う。いうなれば、店全体が一体感を持っている。イベントらしき事が行われている様子もないのに、まるでコンサート会場のようである。
周囲の空気に圧倒されながらも隅の空いた椅子へと翼は腰を掛ける。ただそんな心境も暫く眺めていると変わってきた。まだ酒が入ったわけでもないのに、釣られたように高揚感が湧きあがってくる。もちろん嫌な感覚じゃない。これならここに人が集まってくるのも理解できると言えた。
そんな少々周りの空気に馴染み始めた翼の元にもエプロンを付けた女性が近寄って来る。頭から羊のようにクルリと巻いたような角が2本あるところを見ると、この女性も地球人とは、かけ離れているかもしれない。ただ可愛い。寝ている猫を眺めている時の様な可愛さである。そんな可愛さに見慣れない角が生えている姿を見ると悪魔的な妖美を感じる。悪くない。
そんな自分の世界に入りかけた翼を無視するように彼女は話かけてきた。
「……! ……?」
当然、その言葉は理解出来ない。
ただし状況を考えればオーダーを聞きに来たであろう事は予測できた。
どう応えるべきかと悩んでいると、周りの人々が持つ木製のジョッキらしき物が目に付く。
どのような飲み物なのかは分からないが、今は飲み物を腹が欲していた。その欲望に素直に従う。何しろ食べ物は串焼きを口にしているが、飲み物はペットボトルを見られるのを警戒して口にしていなかったのだ。空腹を満たす前に潤いを手に入れたかった。
とりあえず注文方法については考えてあった。翼はジョッキを煽るドワーフのような人物を指差して”アレ”と意志を示す。それで彼女には十分に理解してもらえたようで、軽く指で○の形を作るとカウンターの奥へと消えて行った。
残る問題は支払いについてだが、周りを見ると銅貨をテーブルに何枚も乗せっぱなしになっている。
賭け等をしている様子はない事から、支払いに使う為である事は簡単に予想できた。だから翼はそれを見習うように銅貨を何枚かテーブルの出しておく。恐らくこれで放っておいても必要な分だけウエイトレスの羊女が持って行ってくれるのではないだろうか。ただ……銅貨以外のテーブルに載っていた物が心配ではあるが。
「……~!」
周囲の観察を続けている間に先ほどのウエイトレスがジョッキと何か乗った皿を持ち戻ってきていた。
やはり言葉は理解出来ない。それでも彼女が「お待たせしました~~~!」と言っているようには聞こえた。恐らく、それほど間違ってはいないだろう。
彼女は両の手にある物をテーブルに置くと、先ほど翼が用意しておいた銅貨を1枚摘み上げ、軽くウインクすると別の客の元へと消えて行った。金銭のやり取りについては問題がなかったようだ。どうやら予想は的中のようである。しかし、安堵した翼がテーブルに視線を落とした時、先ほどの心配が現実になった事を突き付けられた。
まずはジョッキに入った飲み物。
ガラス製でない為、中身はハッキリとは分からないが周りの様子を見る限りは酒だろう。飲んでみるまでは正解とは言い切れないが、こちらは心配していない。問題はもう1つの方。皿に乗った物である。どうやら飲み物とセットのようだが、一瞬だが翼の思考は凍り付く。
「これも……食べられるんだよな……?」
周りに聞こえない程度ではあったが、使い慣れた言葉が思わず洩れてしまった。
何故なら皿に盛り付けられた物は明らかに”昆虫”だからである。
南米やアフリカ等の一部地域では貴重なタンパク源として食されているのは知っているが、日本育ちの翼には縁のない食料である。その種類は3つ。
1つ目は黄金虫の様な体に、足は本体の3倍くらいはありそうな昆虫。
どうやら丸焼きのようだ。持ち上げようと足を摘んでみたら、ポキリッと折れてしまった。焼き加減はウエルダン。とても”こ・ん・が・り”と仕上げてある。
2つ目はムカデ。それ以外に表現はない。
恐らくは油で揚げたものだろう。お陰で生きている時のような、ウニョウニョした動きは見られないが、地球のムカデと見た目の差が無いだけに涙が出そうになる。
3つ目は蝶のような昆虫。
アゲハ蝶のように鮮やかな色の為、蝶と判断したくなるが妙に腹の部分だけが大きく膨らんでいる。蝶と一緒にすべきではないのだろうか。更に他よりも翼を驚かせるのは生にしか見えない事だろう。魚の生ならまだしも、昆虫の生は翼の思考を麻痺させるには十分な威力を発揮した。
どれくらい停止していただろうか。周りから見れば、恋に破れて落ち込んでいる男に見えたかもしれない。実際のところは、それ以上の衝撃を受けていたわけではあるが……。
翼は乱れた思考を無理やりに回復させようとジョッキの飲み物を口にする。
飲む前のイメージとしてはビールのような予想をしていたが少々違っていた。それも当たり前と言えば当り前。この世界の文明レベルを見る限り炭酸なんてあるわけがない。味については麦焼酎に似ているが、アルコールはそれほど強い物ではなく、さわやかな感覚が残るものだ。飲みやすく、後味が癖になりそうである。
これなら皿の上の物も見た目は兎も角、翼の予想を裏切ってくれる可能性がないとは言い切れない。郷に入れば郷に従え。昔の人の言葉だが、今はそれに従って見る時だ。
翼は覚悟を決めると、足の折れた黄金虫らしき昆虫を口に運ぶ。
もちろん、既に瞳は閉じている。心の中で「これは海老だ海老だ」と思い込む事で自分を納得させようとしていた。結果――
口の中で乾いた音と共に砕け散る疑似黄金虫。しかし広がる香りと風味は……
――あっ、これ本当に海老だ。
多少の青臭さと苦味が感じられる気はするが、基本は海老と違いがないように思える。つまり美味しい。
こうなってくると人間は現金なものである。お腹が催促するままに次のムカデへと手が伸びる。
こちらは黄金虫よりも抵抗はあったが口に放り込めば、まるで煮干しのようだ。
パリパリした感触や噛めば噛むほど広がる旨みは煮干しそのものである。
しかし、最後の蝶のようなモノは生。流石に手が止まる。
本当にこれを食べるのかと周りの様子を伺うと、彼らは蝶の腹の部分だけを口にしている。どうやら、腹の部分以外は食べないようだ。あやうく、これも丸ごと口にするところだった。危ない所である。
翼は最後の挑戦へと足を踏み出すべく、勇気を振り絞り、恐る恐る弾力のあるソレを食い破る。そして口に粘度の高い液体が広がっていく。
――うまいっ!!
この昆虫も他の昆虫のように魚介類を想像していた。ところが全く違っていた。
味としては濃厚な紅茶に蜂蜜を入れた様な香ばしさと甘さ。つまりはデザートというわけである。
当初の予想を裏切った”彼ら”に謝罪を心の中で告げると腹へとそれらを放り込んでいく。
僅か数分後には皿は空となり、食欲が満たされた事で冷静さが生まれた翼は、求めていた最後のピースが、この酒場に転がっている事に気づいたのだった。




