心は傷ついている
その樽は、ぼくらの住んでいる家の下にある、大きな湖の岸に浮かんでいた。
ある日、ビリビリウナギの皆が、網ですくって持ち帰ってきた方だ・・
その前にも、湖には樽が流れ着いていた。
それには、お酒好きのドワーフのお姉さんが入っていたんだ。
「うっかり、お酒の樽に飛び込んじゃったのかなあ?シャー」
お母さんに聞いたら、
「大きくなっても、お酒はほどほどにね、シャシャ」
と言われた。
だから、あのお姉さんが特別にお酒が好きなんだと思っていたんだ。
うっかり樽ごと飲み干そうとして、川に流されてしまうぐらい・・・
ところが、また樽があらわれた。
その樽にも、中にドワーフが入っているらしいんだ。ドワーフって、鉄で剣とか鎧を作るのが上手い人たちだと思っていたけど、違うんだね。
お酒を飲みながら、樽で旅をする人たちのことだったんだ・・・
でも今度のドワーフは、中々出てこないんだって。
きっと恥ずかしがり屋さんなんだね。
他所のドワーフのエライ人が、様子を見に来たけど、樽の中のドワーフは出てこなかった。
いつの間にか、あの樽は、あそこに浮いているのが、当たり前の景色になっていったんだ・・・
「今日は何して遊ぶ?シャー」
「いつものアレかな・・シャシャ」
「じゃあ、一番はあたしね、シャー」
最近のぼくらの遊び場は、地下の湖の岸だ。
骸骨の兵隊さんや、でっかい蛙の皆が居るので、家の外より安全なんだ。
なので、ぼくらは、いつもの召喚ごっこで遊ぶことにした。
「いでよ、わがあるじよ!われはなんじの、しもべなり!」
幼馴染のモモジャが、召喚の呪文を唱えたけれど、どこか変だ・・
「ねえ、あるじとしもべが逆さまじゃない?シャー・・」
「ええ?だって、来て貰うのに上から目線はどうかなーって、シャシャ・・」
なるほど、そう言われると、そうかも・・
「でもモモちゃん、それだと、出てきた召喚獣に命令されちゃうよ?シャー」
1脱皮上のマッサオジャが、ぼくの言いたかったことを、代わりに言ってくれた。
「そっかー、それじゃダメだね・・次はだれ?シャシャ」
「そしたら、おれがやるね、シャー」
マッサオジャが、樽に向って両手を振り上げた。
「いにしえのめいわくにより、きたれ、せいりゅうよ!」
「あ、なんかそれっぽい、シャー」
「でも、なんか昔の悪戯を責めてるみたいだよ・・シャシャ」
モモのダメだしが入った。
「最後はぼくだね・・」
二人には黙っていたけど、今日のぼくには隠し技があるのだ。
ぼくは、樽に向って片腕を突き出すと、もう片方の手に、それを握りこんだ・・・
「いだいなるりゅうおうよ、われはシャケのほねをささげて、なんじにいのる・・」
その呪文をきいたマッサオジャが、叫んだ。
「だめだ!それは禁しられた超古代呪文・・シャー」
けれどぼくの詠唱は止まらなかった・・
「・・せかいのはんぶんを、われにあたえたまえ!」
その瞬間、目の前の樽が、音をたてて開いた。
「「「でたあああぁぁ」」」
採掘技師マンガンの日記
この日記を誰かが読む頃には、私は既に存在しないだろう。
だが、この狭い世界で、私が何を思い、どうやって生き延びていたかを、後の世に伝える為に、ここに書き記しておく。
それが、貴重な脱出艇を回してもらいながら、無駄にしてしまった私の、唯一できる贖罪なのだから・・・
事の発端は、我らがクランが襲撃を受けたことに始まった。
以前から険悪な関係であった「氷炎の魔女」が、突如として侵略をしてきたのだ。
いや、その予兆は前からあった。
ただ、我々は、たかが魔女と侮っていたのだ。このクラン「鍛冶場の番人」に戦いを挑む愚か者など居ないはずだと・・・
結果は惨敗だった。
クランの防衛隊は壊滅的な打撃を受けて、その機能を失った。
その時点で、職人の中でも上位の技能を持った者達に、避難勧告が出されたのである。
私は、該当者としては7番目であったのだが、長老の二人が頑として、鉱山からの撤退を拒んだが為に、脱出艇の権利が回ってきた。
私は、魔女から逃げるというよりも、古代文明の遺産である、脱出艇の材質に興味があったので、それに乗り込み、地下水路へ脱出を図った。
途中、魔女の水棲の眷属に阻まれそうになったが、目の前を先行していた他の船が捕獲されている間に、横をすり抜けることができた。
私が脱出できたのは、まったくの偶然で、一つ間違えば捕獲されていたのは自分だった・・・
この脱出艇の内部は、身体の向きを変えるのがやっとというほど狭く、操縦桿などもないので自力で操作するのは不可能であった。唯一、外の様子が見える小さな窓があったが、そこには暗い地下水路の壁面が流れていくだけであった。
艇内は狭いが、保護材によるクッションが効いていて、居心地は悪くはない。
食事は、頭の位置にあるホースの様なものから、流動食と水が吸いだせるようになっているが、酒がないのが残念だ。水の代わりに酒を入れる案も当初はあったらしいが、それだと脱出艇の目的にそぐわないので取りやめになったらしい。
排泄は、腰の位置にある専用の穴にする。最初は戸惑ったが、なんとか周囲を汚さずに済ませるコツを掴む事が出来た。要領としては・・・止めておこう・・・あまり読んで爽やかな印象を与えるとは思えないから・・・
艇内では、何ができるわけでもなく、ただ、うつらうつらと眠っていた。
もし、この日記を読んでいる者が、私と同じ境遇に立たされる機会があったならば、時間つぶしの出来る何かを持ち込むことを、強くお勧めする。
どちらにしろ準備する時間もなかった私は、ただ地下水路の流れのままに南に下っていくことしか出来なかった・・・
窮屈な体勢で、メモ帳に日記を書き記して私は、前半を書き終えたところで、休憩を取ることにした。
突如出現した、骸骨達に運ばれて、どこかに連れ込まれてから3日が経った。
最初は外部から、こじ開けようと無駄な努力をしていたが、最近はあきらめて、周囲で監視するだけになっている。
外の様子は、覗き窓に泥が付着していて良くわからないが、どうやら地下水路ではなく、洞窟に運び込まれたらしい。地上と繋がっているのなら、隙をみて逃げ出すことも可能かもしれない。
だが、逃走に失敗すれば、骸骨兵士に殺される可能性もあった。
だから、自分の身に何が起きたのかを、メモに記して艇内に隠しておこうと思い立ったのだ。
何度か推敲を重ねたのち、半分ほどを書き上げることができた。これから、脱出艇の推進装置に故障が発生し、絶体絶命の危機に陥る場面に差し掛かる・・
ここは最初の山場なだけに、じっくり書き込まないと、読者を引き込むことが出来なくなる恐れがあった。事実をありのままに、だが、緊迫感を持った文章にするにはどうするか・・・
私は、真剣に悩みながら、ふと、久方ぶりに覗き窓から外を眺めてみた。
するとそこには、骸骨兵士ではなく、リザードマンの子供が3人、何やらこちらを指差して騒いでいる姿が映っていたのだった。
私は会話が出来そうな亜人を発見して、慌てて、居留守モードにしていた脱出ハッチの緊急解除レバーを引いてしまった。
警告音が響き渡る中、上部ハッチがゆくりと開いていく・・・
先ほどの子供達が、奇妙な叫びをあげながら、慌てたように逃げ去るのが視界の隅に映った。
「竜王降臨って、なんだ?・・・」




