刻砂の文様
必殺の一撃を避けられたロザリオは、一旦、黒蜘蛛から距離をとった。
身の危険を感じたからではなく、この能力を他の3人に使われた場合を危惧したのだ。
「気をつけろ、毒霧以外にも何か隠しもっているぞ!」
ロザリオの叫び声に、ハリモグラ隊が反応した。
「キュキュキュ!」
すぐさまテオが翻訳する。
「足音が瞬間的に16回聞こえたそうです!」
移動の際に、足を使ったのなら、転移や身代わりの類ではない。幻影なら元から動く必要もないとなれば、加速系のスキルに違いなかった。
「ヘイスト(加速)使いというわけか・・」
ロザリオは、慎重に間合いを計りながら、背後のビビアンをカバーするように動いた。
敵が加速しても、ロザリオならば見切ることが出来る。だが、高速で回り込まれて、ビビアンを狙われると拙い。
「防御陣形を狭めろ!隙間を作ると加速されて、お姫様をさらわれるぞ!」
ロザリオの警告に冒険者達が反応を返す。
「加速って、蜘蛛がヘイストの呪文を掛けるのかよ?!」
「スキルだな・・腹の砂時計の文様が、薄ら光っている・・」
「厄介なスキル持ちさね。こっちは相打ち覚悟で打ち合っているのに、まだ素早くなるってのは頂けないね」
テオはロザリオの指示に即座に従って、ハリモグラ隊と一緒に少し下がった。
「大尉殿、接近戦は身を呈してでも止めますが、毒霧はどうしますか?」
この距離で吐かれたら、後ろに庇っているビビアンも、確実に毒霧を受けることになる。毒の効果自体は、抵抗を高める呪文も張ってあるし、毒消しも常備している。しかし精神集中を乱される可能性は高く、そうなれば炎の壁が消失してしまう・・・
「その前にケリをつける!」
「大尉、無茶です!」
「為せば成る!!」
兎に角、重傷を負わせている1体だけでも倒してしまおうと、ロザリオが呪文を詠唱し始めた。黒蜘蛛がキャンセルしに襲ってきたなら、カウンターで仕留める作戦だった。
しかし黒蜘蛛はその誘いには乗らず、4体が同時にヘイストを発動すると、高速で守備陣営の周囲を回り始めた。黒い影が残像を生み出し、数が増えたような錯覚を覚える。
赤い目と牙、そして腹の裏に刻まれた砂時計の文様だけが、怪しく浮き上がって見えて、尾を引くように横に流れていく・・・
「どれが来る・・」
「速ええ、蜘蛛の動きじゃねえぞ!」
「惑わされるな、目で追わず殺気を読め!」
「難しいことを言ってくれるさね・・」
その時、残像が残るほどの高速回転移動が、不意に消えた。
正確には消えたように見えたのだ。
ガツンッ ガシッ ズシャッ
盾と爪、剣と牙がぶつかる音が響き渡る。
ロザリオは、体勢を低くしてタックルを仕掛けてきた黒蜘蛛を盾で押さえ込んだ。
テオは、ロングソードで牙を受け止め、ショートソードで爪を弾く。
ソニアは、勘で放った一撃が、重傷の黒蜘蛛を捉えて、致命傷を負わせた。
そしてスタッチは・・・
「あれ?俺の担当は?」
「上だ!!」
3体を囮にして、1体が宙に跳んでいた。
8本の足を網のように広げて、守備陣形の中心にいるビビアンに襲いかかろうとした。
「させるかあああ!」
ハスキーが、渾身のツインショットを放ち、装甲の薄い蜘蛛の腹を2本の火矢で突き破った。
「「キュキュ!」」
ハリモグラ隊も、ありったけの刺を、頭上の黒蜘蛛に発射する。
しかし、黒蜘蛛に重傷を負わせたものの、その落下を止めることはできなかった。
「ビビアン!」
ハスキーが飛びついて地面に伏せさせようとしたが、ビビアンの意志の篭った視線がそれを押しとどめた。
今、伏せれば、確実に呪文は途切れる。
炎の壁が無くなれば、押し寄せるレッドバックウィドウに、全員が轢き殺されるだろう・・
一縷の望みに賭けて、ビビアンは恐怖に耐える・・・
その時、塹壕から声が聞こえた。
「・・ウィンド・ウォール(風の壁)・・」
それと同時に、ビビアンを風の壁が丸く取り囲んだ。
一点に集中された上昇気流が、落下してくる黒蜘蛛の巨体を、一瞬だけ浮き上がらせた。
ドスッ ドスッ
空中に静止状態になった瞬間を狙って、左右の崖の上から放たれたバリスタが突き刺さった。
高速で移動する目標を狙うのは諦めて、チャンスをひたすら待ち続けていたのである。
左右の脇腹を、槍の様なバリスタのボルトに貫かれて、頭上の黒蜘蛛は即死した。
それを見た、残りの2匹が、道連れとばかりに毒霧をビビアンに向けて吐き出した。しかしそれは全て、彼女の周囲を覆う、気流によって吹き散らされてしまった。
「なんでオラが風の壁を選んだかわかってないだな」
塹壕から顔だけだして、3姉妹の末っ子が自慢げに胸を張った。
「いいから仕事が終わったんなら降りろよ、ブヒィ」
「お前もレンジャーのクセに重いんだよ、少しはダイエットしろよな、ブヒィブヒィ」
「ガウガウ」
末っ子ドルイドの下には、熊を踏み台にして義妹を肩車する二人の義姉の姿があった。
足元が不安定なので、今にも崩れそうではあったのだが・・
「「よし、今だ!」」
毒霧を吐いて、隙ができた残りの2体に、4人の戦士が斬りかかる。
ギィギィギィギィーーー
魔力が切れて、再加速が出来ない黒蜘蛛は、4つの刃に切り裂かれて、倒れていった・・・
その断末魔の悲鳴を聞くと、炎の壁の向こう側にいたレッドバックウィドウの集団が、一斉に北の湿原に向かって逃走を開始する。
それは、あたかも巨大な波が、沖に引き戻っていくような風景であった・・・
「・・落し仔が4体も出向いて、術者一人倒せないとは・・」
遠くから隘路を眺めていた、ダークライダーの神官にも、戻ってくる下僕達の姿が見えていた。
「この失態は死をもって償うとしても、奴らの情報だけは、我が主に伝えねばならぬ・・」
神官は、周囲の護衛蜘蛛に声を掛けた。
「主の元に戻るぞ」
そう言って、後ろを振り向いた神官の後頭部に、ボルトが突き刺さった。
「ガッ!」
さらに続けて、3本のボルトが正確に、急所を貫いていった。
「ば、馬鹿な、どこから・・」
それが神官の最後の言葉になった。
周囲を固めていた護衛蜘蛛が、敵を探してウロウロするが、彼らの探知範囲に、それらしき生物は見つからなかった。
やがて諦めた護衛蜘蛛は、戻ってきたレッドバックウィドウと共に、湿原へと帰っていった・・・
その光景を、遠く離れた蛸壺から見つめる、4人のスノーゴブリンのスナイパーがいた。敵の注意が隘路に集中している間に、穴熊チームに抜け穴を掘ってもらい、遠距離狙撃を敢行したのである。
「ギャギャ(全弾命中、すべてクリティカルです)」
「ギャ(任務完了)」
「ギャギャギャ(死体は他の蜘蛛が離れてから回収ですかね)」
「オイラ達の縄張りに、ここまで踏み込んでおいて、無事に帰れると思ったら大間違いっすよ」
愛用の黒鋼のクロスボウを、背中に背負直して、ワタリがポツリと呟いた。
「・・仇は討ったっす・・」




