よくぞ、たばかった
クラン「凍結湖の鮫」の居住地にて
クランの族長に呼び出しを受けたトロンジャは、彼女にずっと従ってきた右腕の幹部と一緒に、奥の広間に顔を出した。
ちなみ生意気なドワーフの子供相手に本気で暴れたので、トロンジャの身体のあちこちには、擦り傷や青痣が幾つもついていた。
件のニッケルは、このクランの女衆に保護されて、どこか別の場所に移されたようだった。
「お呼びだそうで・・」
その広間には族長を始め、クランの主だった幹部が勢ぞろいしていた。
「ああ、お前さんに話したい事があったんだが、その前にその傷はどうした?」
「あ、いえ、これは大したことないので、お気になさらずに・・」
「そうもいかんだろう・・まさかうちの若い者が血気に逸ったりしたのではないだろうな?なあ・・」
暗にお前が答えろと話をふられたトロンジャの御付が、うろたえてしゃべりだしてしまった。
「いえ、その、お身内のせいでなくてですね、例の流れ者の坊主がやんちゃしまして・・ジャジャ」
「ああ、そう言えばあれの対応を任せていたか・・なんだ、反抗期なのか?」
「へい、まあ、そんなところでやす、ジャー」
「ふむ、礼儀を知らぬ子供は、やっかいだからな・・その件についてはこちらで処理をしておこう・・」
「すいませんね、お手数をおかけして・・」
てっきりその件で呼び出されたと思っていたトロンジャは、警戒しながら周囲の様子をうかがった。
普段から、あまり好意的な目で見られていなかったトロンジャだが、今、広間に並ぶ幹部達から注がれる視線には、完全に敵意もしくは侮蔑の感情が混じっていた。
移籍当初は、このクランの若頭をむざむざ見殺しにして、逃げ帰った疫病神と言われていた。それ以降、泣き落とし、色仕掛け、買収と、とにかくあらゆる手管を駆使して、やっとクランでの居場所を確保できたと思っていたのだが、今の雰囲気は、その頃に逆戻りしたかのようだった。
先ほど「若い者が血気に逸って」うんぬんの言葉を、手下同士がいざこざを起こした末に、と勝手に判断していたが、もしかすると、この敵意の結果、気の早い鉄砲玉が功を急いだという意味だったのかもしれない・・
何か知らないうちに、このクランの逆鱗を踏んでしまったのだろうか・・・
悩むトロンジャにもたらされた情報は、彼女の想像のさらに上を行っていたのだった。
「先ほど、『小竜会』から臨時の会合の知らせがあった・・」
「・・はあ・・」
「その議題は、流れてきたドワーフの扱いについて、であったのだが・・」
まあ、トロンジャにしてみれば議題としては順当に思われた。ドワーフの生意気な坊主一人の扱いに長老会議が動いたのは微妙ではあるが・・
「その席で、現在空位の第8席に推薦された者がいる」
「どなたでしょう?」
「元『下弦の弓月』の族長、ハクジャだ」
「はあ?」
一瞬、トロンジャには意味がわからなかった。
「『小竜会』には故人を偲ぶ風習でもあるんですか?」
「ない、だからハクジャは生きていたということだ・・」
その言葉が、ゆっくりとトロンジャの頭に染みこんでいった。
「このあたしを、たばかったってことかい・・・」
族長と幹部連の前であることも忘れて、トロンジャは喉から搾り出すような低い声で呻いた・・
それと同時に、自分が危険な立場に立たされたことにも気がついた。
騙されたのは「凍結湖の鮫」も同じだった。彼らにしてみれば、トロンジャとハクジャが手を組んで、自分達の勢力を削りに来たようにもとれるのである。いや、この雰囲気からして、幹部の殆どはそう信じているに違いなかった。
トロンジャは素早くその場に平伏した。
「申し訳ございません!『下弦の弓月』の欺瞞を見抜けなかった罪は、この身に代えましても償わせていただきます!どうか、どうか、このあたしに、奴らへの報復を許可していただきたく・・」
冷たい目で見下ろす族長が、静かに答えた。
「すでに『小竜会』から通達を受けた今となっては、それを承知で抗争を仕掛けたウチが総スカンを食らう事になるんだがね・・」
「・・それでしたら、こちらの方々は一切知らない事にして、あたしが独断で復讐に行ったことでいかがでしょうか?」
「それで親分さん方が納得するかい?」
「女伊達らに一家を構えていたあたしが、格下と思っていた相手にコケにされたと知って、形振り構わず飛び出すのは、ありそうなことだと思いやせんか?」
下から見上げるトロンジャの顔には、鬼気迫る怒りの表情が張り付いていた。
「なるほど、そう言われれば頷けなくもないか・・」
周囲を見渡すと、幹部連中も大半が同意していた。
「いいだろう、好きにしな・・ただしこちらからは一切援助は無しだ」
「ありがとうございます・・・・」
詫びの印に、尾っぽの30cmも切り落とさなければいけないかと、覚悟していたトロンジャにとって、お咎めなしで自由にさせてもらえたのは望外な結果であった。
広間の空気が変わらないうちにと、急いで席を立つと、手下の待つ部屋に駆け戻っていった。
それを見送った幹部の一人が、族長に話しかける。
「よろしいのですか?ジャジャ」
「ん?どれの事だ?」
「あの女狐が裏切り者でなければ、事実を知って殴り込みに行くのは想定内です。ですが、向こう側にも流れドワーフが保護されている以上、それが抗争に巻き込まれると、少々まずいかと、ジャー」
「ああ、そのことか。既にハクジャと流れのドワーフは『小竜会』に接触している。留守に誰かが殴り込んでも問題ない・・」
「そうですか・・ではハクジャの後見をダンジョンマスターがしていることについて女狐に教えなかったのは?ジャジャ」
「おいおい、あの女親分とうちとは、もう何の関係もないんだぞ。うかつな情報漏洩は、他の連中から勘繰られるだけだろうが・・」
「それはそうですな、出過ぎた事を聞きました、ジャー」
「・・それに、あれには消えてもらった方が、後腐れがなくて済む・・・」
最後の呟きは、幹部連中には聞かれることはなかった・・・




