風が通り抜けるだけ
久々に一晩ぐっすり眠れた次の日の朝、さっそく遠話の試しも兼ねて、第一独立機動部隊を周辺の警戒に送り出した。
「CQ,CQ,こちら本部、アップルリーダー応答願います」
「ギャギャ(こちらアップルリーダー、現在ヘラジカ湖の湖畔です、オーバー)」
「本部了解、湖の様子はどう?」
「ギャギャ(ヘラジカの群れを3つ確認、脅威になる猛獣とは遭遇なし、落ち着いてます、オーバー)」
ヘラジカの群れか・・・ここまで追い立てることが出来るかな・・
「こちら本部、ヘラジカの群れをここまで誘導することは可能かな?」
「ギャギャ(狼チームの協力があれば、やってみる価値はあるかと、オーバー)」
「本部了解、すぐに増援部隊を送り出すので待機してて」
「ギャギャ(了解です、オーバー)」
これで遠話で15DPを消費したことになった。だいたい1分間の会話が可能で、距離によって通話料が変わるらしい。1kmにつき1DPなので、ヘラジカ湖との距離が、およそ15kmだということも判った。
「コア、狼チームに出撃を指令。アップルリーダーと協力してヘラジカ捕獲作戦を発動」
「らじゃー」
「「バウバウ」」
ケンを先頭に5頭の狼達が走り去っていった。
「コア、ダンジョン内の警戒モードを1ランク上昇させて。戦力が減っている今、不意打ちは喰らいたくないからね」
「でふこんつー」
「蜜蜂警戒網も索敵範囲を拡大」
「はにはに」
「水中監視も厚めのシフトで」
「ほねほね」
「影の軍団は勢子用の弓矢を装備して、丘の北側で待機」
「弓矢は転送っすか?」
「邂逅推定時間は30分後だから、悪いけど武器庫に取りにいって」
「問題ないっす」
「主殿、私達はどうすれば良い?」
「さすがにただの鹿狩りだからね。これ以上の戦力投入は過剰でしょう」
「ふむ、獅子はカピバラを倒すにも全力を出すという諺もあるが・・まあ今回は独立機動部隊のお披露目だ、譲るとしようか・・」
その頃、地上の畑を手入れし終わったノーミンが、親方達と、穴熊ファミリーに囲まれて日向ぼっこをしていた。
「この時間、東南の斜面は陽が差し込んで、最高だでなあ」
「キュキュ」
「ギュギュ」
以前は護衛として狼チームの誰かが同行していたが、ハリモグラチームも穴熊チームも進化して、戦力的には問題がなくなっていた。索敵能力も、エキドナのアースソナーと、蜜蜂の航空警戒網があれば、よほどの相手でなければ奇襲は受けないと思われた。
「畑は耕すのは一瞬だったで、大麦、カラス麦、大豆の作付けも無事に終わっただ。毎日1回ずつプラント・グロウスの呪文さキャストすれば、すぐに収穫できるだよ」
「キュキュ?」
「ライ麦は・・わかんねえだなあ。なにせアレには植物繁茂の呪文は効かねえだから・・」
親方とノーミンは、丘の反対側にあるはずの、ライ麦畑を思い浮かべていた・・
話題のライ麦畑では
北側に新設されたキャッチャー・イン・ザ・ライは、金色に実ったライ麦の穂が、ゆっくりと風に揺れていた。
しかし邪神教徒との戦いで、完全に燃え尽きてしまった旧いキャッチャー2面分を移設した方は、小さな芽が出始めたところである。
この状態では奥まで丸見えで、畑の中央にポツンと麦わら帽子の案山子が立っているのが見える。
今は項垂れていて帽子の庇で隠れているが、その頬には大きな火傷の跡があるという。
たまに渡り鳥が新芽を狙って、舞い降りてきたりするが、その度に、見えない糸のカラクリが働いたように、右腕の鎌を振り回して追い払っていた。
その様子を、土着の野鳥たちが、離れた木々の枝から冷めた目で眺めていた。既に彼らは幾度と無く、あのライ麦畑に挑んでおり、その恐ろしさも身を持って味わっていたのだ。
彼らは、風に飛ばされて畑の外に転がり出た落穂以外には手を出さなかった。
それがここの掟である・・・
掟を破れば・・
「ピィーーー」
案山子の可動範囲を見切ったと勘違いした余所者が、その必殺の鎌で首を断ち切られていた・・
首と胴の2つに分かれた死体は、地面に落ちると、ゆっくりと土の中に沈んでいった。一瞬だけ周囲に色濃く立ち込めた血の臭いも、すぐに風に吹かれて霧散してしまう・・・
だが、そのとき、聞きなれないささやき声が、ライ麦の芽吹いたばかりの畑に木霊した・・・
それは若い女性の歌声のようでもあった。
『・・・歌を・・忘れた・・カナリヤは・・・』
しかしそれを聞いたのは、数羽の野鳥と、1体の案山子だけであった・・・
「キュキュ?」
「いや、オラはなにも言ってないだども?」
「キュキュー」
「ああ、そろそろ追い込み猟の時間だな、邪魔にならないところに移動するだ」
「キュ」
現状では風は北から南に吹いている。風下になるから、穴熊ファミリーの臭いが狩りの邪魔になることはないとは思うが、逆風になればその限りではない。ノーミン達は屋内へと戻っていった。
しばらくすると、北に向かう獣道を、大量のヘラジカが疾走してくる足音を親方が感知した。
「キュキュ!」
「そにっく!」
いやいや、音速で走ってはこないでしょう。
「コア、アップルリーダーに遠話つなげて」
「とぅっとぅるー」
「ギャギャ(こちらアップルリーダー、現在15頭の群れを誘導中、もう少しで丘が目視できるはずだと・・)」
「本部了解、そのまま北側のライ麦畑に追い込んで」
「ギャギャ(了解です・・)」
「ワタリには直接、念話が届く?」
「・・・けんがい」
「そうかー、まあ1km以内なら1DPだからいいか、状況を聞いてみて」
「とぅっとぅるー」
「カチャッ、はい、こちらニンジャマスターっす」
「・・・すいません、番号間違えました。本人にコレクトコールで掛け直してみます・・」
「うそ、うそっす、ワタリっす」
「時間ないんだからボケ禁止ね」
「ういっす」
「状況は?」
「左右に伏せて逃げ道塞ぐ態勢っす。狼軍団の吼え声は聞えるっすけど、まだ目視はできないっすね」
「森の中じゃ視界は通らないしね」
「あ、今、ちょっと何か動いたっす。足音も聞えてきたっすよ」
「了解、 打ち合わせ通りで」
「ラジャーっす」
そして森の中の獣道からヘラジカの集団が飛び出してきた。
正面の丘を迂回しようとして左右に分かれかけたヘラジカの群れだったが、両側から矢が射掛けられると、逃げ道を失ってその場でかたまり出した。
獣道を挟むように併走していた狼チームが、身体に落ち葉や小枝を一杯に纏わせながら、森から飛び出してきて、ヘラジカの逃走路を完全に塞いだ。
さらにそこへ、獣道を辿りながら、3騎の騎牙猪兵が突進してきた。
恐怖にかられたヘラジカ達は、唯一身を隠せるライ麦畑の中へと、我先に逃げ込んでいった・・・
直感に優れた個体は、ライ麦畑に飛び込む直前に、何かを感じて踏み止まったが、群れのほとんどは闇雲に麦の穂の中に走り込んで、そして消えていった・・
立ち止まった個体も、外から矢を射掛けられては、他に逃げ場もなく、何かに引きずり込まれるように、畑の奥へと消えていった・・
そして周囲には、何かが焼け焦げたような臭いが立ち込めるのであった・・・
「今晩は焼肉っすね」




