まだ始まらない
冷たい水の中に静かに浮かんでいる感覚がずっと続いている。
呼吸が苦しくなるとか、水底に沈んでいくわけでもないので、焦ることはないが、このままだと・・・
「退屈だ」
ぽつりと独り言をもらしてみたが、誰も反応してくれなかった。
一塊の泡が口から沸いて出て、ゆっくりと右に流れていく・・・
「こっちが水面なのか?」
水にしては奇妙に抵抗感のある、まるでゼリーの中を泳ぐように泡の後を進んでみた。
やがて前方が眩しいほど明るくなってきたかと思った瞬間に
意識が覚醒した。
目が覚めるとそこは見知らぬ石室だった。
なぜなら天井も壁もピラミッドの内部のような石造りで、今、僕が寝そべっているベッドも背中に当たる感触から石棺のようなものだと推測されるからだ。
部屋の四隅には松明が壁に据え付けてあり、周囲をたよりなげに照らしている。これで壁に象形文字でも刻まれていればエジプトにでも来たかと思えるが、どうやらそれらしきものは見当たらない。
目を凝らして何か変わったものがないか探してみたが、見つけたのは天井に巧妙に隠された沢山の槍の穂先だった・・・
「知らない・・釣り天井だ・・・!!」
お約束のセリフを口ずさみながら身体をひねって石棺の横に転がり落ちると、そのとたん轟音と共に天井が落下してきた。
うつぶせになり両手を後頭部に乗せて、いわゆる武装解除の上で無抵抗姿勢をとる。
「石棺が木棺だったらアウトだけどなーーー!」
誰にどなっているのか不明だが、何か叫んでないと恐怖に押しつぶされそうなのだ。
数トンはあろうかという重量物がズドドンという地響きとともに停止した・・・
パラパラと何かの破片が降り落ちる音がする・・・
背中を槍で串刺しにされたような痛みが走ったが、それは恐怖心からくる幻痛だったようで、天井から突き出した槍の穂先は床から60センチほどの高さで止まっていた。
ヒューヒューという過呼吸寸前の自分の呼吸音を聞きながら、思わずつぶやいていた。
「いくらなんでもハードすぎるでしょう・・・神様」
時は遡り主人公が現世に別れを告げた頃
「臨死体験や死後の世界の話は幾つも読んだけど、どれともちょっとずつずれてるんだなー」
今まさに自分があの世とこの世の境目にいることを、自覚しているのかいないのか、暢気に辺りを見回している男がいた。
彼は・・・まあどこにでもいるラノベ好きの青年で、「やればできる」男だったが、「明日から本気だす」前にリバーサンズを渡河してしまったのである。
「花畑は無いし、死に装束を着てる人はお年寄りばかりで、スーツ姿や寝巻きのままの人も多いな」
そういう青年はスウェットの上下にスニーカーという近所のコンビニに夜食を買いに出るかの様な姿ではあったが。
「案内してくれるのが動物というのが予想外というか、実はアリスは冥界に逝っていたというオチとか」
自分の前を先導するように飛び跳ねているのがガマの穂を手に持った白兎で、その横を提灯を下げた狐が足早に走り抜けていった。
頭上には伝書烏が3本の脚のそれぞれに手紙を結んだまま飛び交っているのが目に入る。
「眷属的に言えば神道系かな?狼や熊がいないのは危険なイメージが強いからかも。だとしたら鹿はいてもよさそうなもんだけど」
そうつぶやいた青年の視界の端に、幼い子供を背中に乗せた白い鹿が軽やかに走っていった。
「マイシカ・・・欲しかったなー」
一部の読者にしか通じないセリフをはいて、とぼとぼと兎の後をついていくと見覚えのある場所にたどりついた。
「伏見稲荷?にしては鳥居の通廊はあるけど、社が見当たらないな」
そこはうっそうとした小高い森の中に、薄く紅く光る小さな鳥居が何百何千も連なって廊下のようになっている神秘的な場所であった。
「ここを登っていけばいいのかな?」
鳥居の廊下の先を覗くと、段差の小さい石段がゆるやかにカーブしながら上っているのが見える。
近づいて最初の鳥居を観察してみると墨色の文字で梵字が7文字と漢字が2文字書かれていた。
「梵字かー、密教でちょっとかじったぐらいでソワカとオンキリキリぐらいしか読めないんだよね。もっと勉強しとけば役にたったかな。しかし鳥居に梵字って神仏混合てこと?下の漢字は読めるけど・・業壱ってなんだろう?」
先の鳥居を見ると梵字は同じで、漢字だけが業弐、業参と変わっていた。
「普通に考えればこれはカルマの判定場所なんだろうけど」
青年のつぶやきを聞いた案内兎が「おいおい、その発想は普通とはいわないんじゃないか?」とでもいいたい風な表情をしていたが、彼がそれに気がつくことはなかった。
「鳥居の密度からして最初の一ノ宮まで2・3百はありそうだ。奥ノ宮までは無理としても三ノ宮まで行ければ5百カルマぐらいはあるってことだよね」
自己完結して、それでも最初の鳥居の前で屈伸運動を3回してから呼吸を整え最初の一歩を踏み出した、
その瞬間、どこからかけたたましいブザーが鳴り響いた。
「空港の入国審査ゲートかよ!」
青年のつっこみに呼応するかのように、鳥居の両脇からぬうっという擬音を背負いながら巨漢の獄卒が2体現れた。
鬼の身体に牛馬の頭をもった、俗にいう牛頭と馬頭なのだが、なぜか警備服に特殊警棒を携帯している。
泣く子も黙る地獄の門番に両脇を抱えられた青年は、目の前の鳥居の廊下が下り階段に変化しており、書かれた文字が悪業壱/弐/参になっていることに気づいた。そして牛頭馬頭コンビに無理やり引きずられて鳥居の下り廊下をすすませられる。
「やめろー、僕の身体に何をする気だーー」
ピンチになってもお約束は忘れない青年を案内兎はガマの穂を振って見送ったのだが、次の瞬間、驚きのポーズをとることになる。
下りの最初の鳥居を潜り抜けたとたん、先ほどと同じブザー音が鳴り響いたのだ。困惑して顔を見合す牛頭馬頭と兎と青年・・・・だが最初に我に返ったのは青年であった。
「僕のカルマは0ってことか・・・」
牛頭馬頭の2体は互いに頷き合うと、青年の肩を優しく叩いて鳥居の隙間に消え去った。
初投稿です、よろしくお願いします。