エリウス・ファイン
ある日。
私の宿敵とも言うべき、変態野郎がやってきた。
「………死ね、ユズリハ」
低く、おどろおどろしい声音が聞こえてきたかと思うと、横からひゅん、と影が飛んでくる。
間に合わないと思った私は、瞬時に受け身を取る。ぱん、と弾け飛ばされた私は、ずさあっと足で地面を削る羽目になった。
ちっ、と舌打ちがでる。
ばっと顔を上げると、嫌味に笑うバカと、取り乱して駆け寄ってこようとするアンリと、それを取り押さえるジュディが見えた。興味なさそうなロンとシードが、地味に腹立つ。ヤヤは、敵襲かと剣を構えている。
よかった。
お前だけだよ、まともなのは。
私は、腕組みをして突っ立っている黒ずくめの男に向かって叫んだ。
「てめえ何すんだバカ死ね!」
もうそろそろ、わかってきたと思うけど、魔界にはバカしかいない。私があそこで生きていれたのは、ひとえに魔王様のおかげである。ほんとに魔王様だけ。ほんとに。
「……しぶとい虫」
「はあああ!? やんのかてめえええ!」
このバカの罵倒に、ヤヤは全てを理解した面持ちで武器を引っ込めた。
が、アンリは更に発狂。
ジュディとシードが二人掛かりで差し押さえている。まあ、よかろう。無視だ無視。
ロンは舌打ちをした。ぼそっと、めんどくせえ、と言ったのがわかった。わかりたくなかった! うぜえ! こけろ!
私の意識がバカから逸れたところで、わざとらしくヤツは、ああ、と声を上げた。
「……自己紹介がまだだったな。…我が名は、エリウス・ファイン。……貴様らに断りを入れるまでもないが、このバカ女を殺す」
黒ずくめのエリウスは、その黒いフードのせいで片目しか見えない琥珀色の瞳を、すいっとこちらへ向けた。
どこもファインな要素がない。
言ったなてめえ誰がアホだアホがよく言うわよく言ったな!と私はわめいたが、それ以上にわめいたアンリのせいで、私の言葉はエリウスに届かなかった。
「ユズリハに向かってなんて口の聞き方をするんだ! やっぱり君なんだな!ユズリハを殺すのは! そんなこと絶対にさせない! ユズリハは僕の最愛で可愛くて、ずっとずっと僕の支えだったんだ!僕がどんなにダメなやつでもユズリハだけは違った!だから、今度は僕がユズリハを助ける番なんだ!ユズリハはおとなしくて虫も殺せないほどなのに、なんで暴力なんて振るうんだ!酷い男だな!ユズリハは——!」
とりあえず、わけのわからないことを喚くアンリに近づく。
私は、ヤツに向かって出したことがないような猫なで声で、あんり、と名前を呼んだ。
「ゆ、ユズリハ…」
ヤツはぴたりと暴れるのをやめて、なんだか感極まったように私の名前を呼ぶ。私はゆったりと微笑んだ。
「てめえはいったん黙れ!!」
どごん、と殴ると、アンリは気を失った。うむ。よかろう。
虫も殺せないどころか、勇者すら殴って気絶させる女、ユズリハである。わかったら黙れ。
背中から倒れたヤツへ、ジュディが大丈夫かと慌てたように駆けよった。シードが笑っている。なぜ笑っている。それが面白い。笑い顔が面白いって、王子としてどうなの。
何と無くしばきたくなったけど、バカのことを思い出したのでやめた。よかったな鍋。
くるりとエリウスへ振り向いて、睨みつける。
エリウスは、にやりと笑っている。口元しか見えないけど、めっちゃ笑ってる!
かあああっ!
はらわたが煮え繰り返るうううっ!
エリウス・ファイン。
ぶっちゃけ、一言で言うと、あのロリの信者だ。
あのロリ、もといベルガモットは、その幼い見た目を悪用して、そこらへんのロリコンのハートを総ナメにしているのだ。私は、敬意をこめて、ハートを射抜かれたバカどもを信者と呼んでいる。何気に魔王様も使っていた。光栄だ。
奴らは、影ながらロリを支えるなどと豪語し、正面からロリを構い倒しに行って、心身ともにぺちゃんこにされる強者である。
エリウスは、その中でも際立ってロリコ…いや、幼児信者だ。
その琥珀色の瞳の中にキラキラと黒い色彩が浮かんでいることや、黒を好んで着ることなどから、一部の物好きからは、漆黒の王子、なんて呼ばれている。けっ。なにが王子だ。変態王子はシードだけでじゅうぶんなんだよ。私に言わせれば、無論、漆黒なのは、その腹の中である。
すらりとした長身で、よくわからん魔術を使う。陰湿な性格をしているから、きっと、呪いとか禁忌の黒魔術とかだと思っている。怪しい。
やつが私を殺したがっている理由は明白だ。きっと、スパイな私が愛するベルガモットを助けなかったとか、そんなことだろう。信者の頭の中は、一から百までベルガモット、あとの九百は魔王様でできている。たった10%と侮ってはならない。本来ならば、100%魔王様でなければならないのです!! 魔王様を差し置いて、一割を占めるロリ。恐ろしや。
ベルガモット筆頭信者は、ゆらりと近づいてきた。危ない。まとう空気が、既に殺人犯そのもの。
慄いた私は、素早く魔法陣を組み立てる。
対して、エリウスは、しゅんしゅん、と両側に大きな魔法陣を作っている。あの形、基礎魔法か。なんだ。呪いかと思ったぜ、まじびびるわー。
「……覚悟しろ。貴様のせいでベルガモット様に怒られた」
恨みがましい視線で、エリウスが言った。
はあ?
「なんも覚えがねんだけど」
バカにしきった嘲笑で言い返すと、ヤツの背後の魔法陣が大きな音を立てて爆発した。
こわっ!
「……なんでこんな手紙を書いたんだと言われた!」
「いや、だから知らねって」
怒りに打ち震えるエリウスに、即答した。
……いや。待てよ。手紙だと。
そこで、私はスカートを漁るロリの姿を思い出した。
『勇者!貴様は我らが魔王様…えーと、間違ったの。足りなかったの。……なんでこんな文章を書いたのか後でエリウスに怒ってやるの』
そう、ぷんぷん、と手紙を読むのをやめて、すらすらと魔王様への美辞麗句を並べたてたロリの姿。まさしくこれだ。
私は、憤怒に顔を歪めた。
そして、怒鳴った。
「魔王様への賞賛がないとは何事だ!!」
突如怒鳴った私におののいて、エリウスはビクリと肩を揺らした。
「ロリに現を抜かし! 我らの父たる魔王さまにそんな仕打ち! 言うまでもなく私が滅してやるわっ!!」
突然として怒り始めた私について来れない様子のエリウス。ふっ、時代は刻一刻と変わっているのだよバカめ。
衝動の赴くまま、ひゅんっ、と地面を蹴った。
エリウスが魔法障壁を組み立てる。だが、間に合わない。
私はそのまま回し蹴りを食らわした。
ばすん、と地面に倒れこむバカ。ちょろい。
引きこもりは死ね!
魔王城のただ食いめ!
「死んだの?」
ヤヤが慎重に問うた。
ほう。不安なのかヤヤ。
ならばもう一度、と私はバカを蹴飛ばした。
小さく呻いたので、どうにも生きている。ちっ、しぶといのはどっちだ。この害虫め。
と、そのとき。
おもむろに草むらから信者2が現れた。
よくもエリウス様を、なんていかにも陰鬱に呟いている。
ううむ。どうにも見たことがあるような気がするけど、見たことがない気もする。
とにかく、うざい。どこにいた。私は無視することにした。
続いて、がさごそと信者3が現れた。またしても陰鬱。うざい。
私は無視することにした。
続々と信者4と、5と、6が現れた。
うざすぎるので、私は無視することにした。
信者18が現れたところで、無視できなくなってきた。
ううむ。最上級にうざい。
私は、おもむろに足元に極大魔法を展開しようとしたとき———
「まさか!君たちはユズリハのストーカー!!」
勘違い野郎が目覚めた。
さすが勇者である。復活が早い。
ゲームの魔王か。
私の渾身の拳だったというのに。
「危ないよユズリハ!」
先ほどまで気絶していたとは微塵も悟らせない、確かな足取りでアンリが近づいてきた。
その他勇者パーティは、神妙な面持ちで事の次第を見守っている。
アンリは私を背に、信者たちからかばうように立ちはだかった。
「ユズリハ、僕がいつでも守ってあげるからね。………今度は、僕の番なんだ。そのために、ここまで来たんだから」
ボソボソと何事か呟いているが、聞き取る努力もせずに適当に頷いておいた。うん。
なんだか知らんが、このうざいのをやっつけてくれるようなので、今のところは黙っておこうと思う。魔法陣も解く。
でも、守ってくれとは言ってないぞ。
面倒くさいだけだからな、わかってんのか。
アンリは何もかもわかったような顔をして、何もわかっていないことを言った。
「君たち。女の子を追いかけ回して恥ずかしくないの」
それは貴様にそっくりそのまま返す。
「恥ずかしい、だと?」
「そんなわけない」
「彼女は我々の支えなのだ」
「見つめているだけでもいいというこの健気な気持ちがわからんのか」
もぞもぞと黒いフードをかぶった集団がうごめいて、意義を唱える。陰鬱すぎる。
ベルガモットよ。こんなんに四六時中見張られて、よく精神参ってないな。
「そ、そりゃ俺だって、その気持ちはわからなくはないけど…」
いきなりもじもじし始めたアンリ。
おお、とどよめく信者ども。
「彼女のキュートさには、かなわんだろう、勇者よ」
「実はわたくし。成長日記をつけているのだ」
「ううむ。実に可愛らしい」
「ちょっとバカなところもまた…」
「なんといっても、あの無邪気な笑顔ですな」
「わかる、わかるよ!」
なにやら雲行きが怪しい。
集まってボソボソ会議を始めた。
勇者。なぜ貴様もそこにいる。
話が通じているアンリにドン引きである。
私は怒鳴った。
「いいからとっつかまえろバカか!」
私が見張っている中、アンリは信者どもとエリウスを縄で縛った。
その際に、視姦だ、などとふざけたことを呟いたので遠慮なく電撃をぶち込んだ。
* * *
「………必ず殺す。覚悟しろ…」
陰気な顔で、エリウスが言う。その瞳がギラギラと殺意に満ちている。
体を縄でぐるぐる巻きにされてもなお、そのオーラはダークネス。
私は鼻で嘲笑した。
「ふん、貴様にできるわけがねえだろ。しぶとい虫」
蹴飛ばすと、まさしく虫のごとく転がって呻いた。
無様だな!!
「うわ、根に持ってるわ…」
「あいつ、あんな顔して執念深けぇのな」
「…まじ性格悪ぃ女だな」
「でも、可愛いから許せちゃうけどな」
「………なんですって?」
「てめえは黙ってろ下半身!」
「……貴様は顔がよければいいのか」
「え? いや、性格も肝心だけどさ。性格悪くても、結局離れて暮らすんだからそんなに関係ないよね?」
「この子、王子だったわねそういえば」
「……なんだか、かわいそうになってきたぜ」
「…なんか悪かったな」
「なんかこの流れ多いよね!? その哀れむ目線やめてよ!」
「……くそっ、魔王様がいなくなった今、ベルガモット様しか我らの支えはないというのに…っ!」
「…なに?」
「ベルガモット様はどこにいるんだ!」
「え、…あのロリ行方不明なの?」
「我に一言怒るや否や!ベルガモット様は!泣いて城から飛び出てしまったのだっ!」
いつもの陰気な雰囲気を吹き飛ばす勢いでエリウスは叫んだ。
私は驚いて、少しのけぞった。
しかし。
ベルガモットがどこへ行こうと知ったこっちゃない。私のせいにされても困る。
「ぶっちゃけ、どーでもいい」
「は!?」
やんややんやと文句を言い始めた集団。もはや敵はエリウスだけではなくなった。ロリにやられすぎてる。
代表として、エリウスをもう一度蹴飛ばしてやった。
「もうほっといて行きましょう? 王国までもう少しなのよ」
ヤヤが言った。
腕組みをして、差別的な視線を奴らに向けている。なかなか女王的なプレイが似合うと思ったが、頭がいい私は言わない。
代わりに、そうだな、と賛同の意を示した。
ふむ。足元でエリウスが腕と体を一緒に縛られているせいで、身動きが取れずに、芋虫のようにもぞもぞしている。しかも、先ほど私が蹴り飛ばしたせいで、顔面は土に埋まっている。くふふ。無様な虫だ!
「………なあ、成長日記よこせ」
少し目を離したスキに、女盗賊がかつあげを行っていた。それでこそ盗賊。立派だ。これからも、したたかに生きろよ。
しかし、それに読む価値はない。一から百までロリのあどけなさを賞賛しているのみである。
もちろん、私は無断で読んでやった。というのも、わざとらしく私の目の前で書き付けるのがいけない。余地なく強奪である。
「な、ならぬ!これはわたくしの愛の結晶であり…いや、けれど、どうしてもと言」
「どうしても」
「うむむむ…!いやしかしだな、」
そして、信者に言いたい。それは、そんな風に勿体ぶる価値は、小指の爪ほどもない。
腹いせに足元の虫を蹴飛ばすと、顔が出てきた。おめでとう。
「きっさまあ!!」
土で汚れているお前に睨まれても、何も怖くねえよばーかばーか!
「俺もつけよっかな、成長日記…」
くそ!貴様らのせいで、アンリがよからぬことを企み始めた!!
私は憤った。
苛立ち紛れに、信者を投げ飛ばす。ちなみに、投げ飛ばす方向は空中である。遥か彼方の森へ飛んで行った。いい軌道である。一番飛ぶ角度は45度。そう、ナポレオンが大砲を飛ばした角度だ。よし、次!
「ま、まとめて五人を投げ飛ばすだと!?」
後ろから、ロンの悲鳴が聞こえた。
失礼なやつだ。しかし、私は害虫駆除に忙しいので許してやらんこともな——…
「……ゴリラ女」
許さん!!
エリウスをロンへ投げつけた。
「ユズリハ。せっかくの可愛い顔がだいなし——ぶほ!!」
何故かシードに当たる。
ロンはふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
今に見てろよ貴様だけは許さん。