プロローグ
石畳はとうの昔に血で染まっていた。
こべりついた茶褐色は雨でも洗い流すことは出来ないのだろう、ところどころに見える灰色こそが本来の石の色だ。そんな穢れきった石畳に両手両足を投げ出しているその男もひどく汚い男だった。
もう何ヶ月も体を洗ってないのか、すさまじい体臭が漏れ出ており、煤と埃にまみれて薄汚れた髪は脂ぎって絡み合っている。うつむいた顔には表情らしいものは浮かんでおらず、体の周りにはハエやアブがたかり彼が死ぬのを待ち、空を舞っている。
だが、道端の乞食、浮浪者より酷い有様の男は意外にも痩せ衰えてはいない。
引き締まった体つきには筋肉が無駄なくついており、ボサボサになっている髪は良く見れば元は鮮血のような赤毛だったのだろう。ちゃんと濯ぎ、櫛を通せばそれなりに映える髪だろうと思わせた。
「ひどいザマだな。普通は此処までくれば死ぬか、狂うかの二択だが。運がいい奴だ、まだ壊れないとは運がいい……いや、その堅固さが逆にお前を不幸にしているとも言えるな。……まぁ、いいだろう」
男はふと聞こえてきた声にぴくり、と反応し薄汚れた髪の間からどろりと濁った目で『そいつ』を見た。
「で? お前はどうする?」
「……」
どうするって、何をだ?
男はうつろな瞳で虚空をとらえた、目線が定まらずゆらりゆらりと泳ぐ。
「だから、生きたいか? それとも逝きたいか?」
「……」
男が黙っていると声の主は鼻を鳴らした。何かが面白かったらしく上ずった声で話す。
「それほど悩むな。私としてはどうでもいいことだからな。どうだっていいし、別に気にもしない。お前がそこで朽ち果てようが或いは永遠に石になって様が私には関係ない。だが、何、少し興味がわいただけだ……。手足を捥がれ鎖に繋がれ体は恥辱と汚物に塗れている。だが、それでも尚死なん男だ、嗚呼面白い、どうした? 何故死なない? 神に背く行為でもしたか? 弔う者もなく果てるのが嫌か?」
コツコツと軽快な足取りで、『そいつ』は石畳を歩いていく。健康で健常な者のみが奏でることを許されたリズムで地を蹴る。
やがてとてつもない腐臭が『そいつ』の鼻を抉るだろう、だが、そんなことは気にも留めず『ソイツ』は歌うよう話す。
「否、答えは否だ。お前は『死』には臨まないし、望むこともない。望む資格すらない。哀れなものだ。哀れな生き物、哀れな化け物」
冷笑……ニヒルな微笑みを口元に浮かべる『そいつ』の指先がトン、と男の胸元に突き立てられた。その下にはドクンドクンと心臓が確かに脈打っている。
「さぁ、どうなんだ?」
『そいつ』の指先がグリグリと胸を抉るような動作をする。
「さぁ?」
問いかけてくる声色は砂糖のように甘く、密のようにとろりとしたものだった。人の思考を絡めとリ、思うが侭に酔わせてくる陶酔の声色。そんなズルイ声色に思わず男は意識を手放そうとする。
「さぁ!」
「………な……いう…………。生き……」
もしかしたらどっかで見たことあるワードが入ってるかもしれません。