最終話 「くのいち」炎上
店の奥から紅蓮の炎が伝える熱気が吹き付ける。カウンターやボックス席のかしこでも、争いの音が起こり、中央ホールではそれらが一体となり轟音を形成していた。店の外でも争いは行われているようだ。ときどき衝撃と共に破砕音が伝わってくる。
「なかなかやるじゃないか。六乳とやらも」
「現時点では妾らの方が優勢のようじゃのう。どうするえ?」
「そいつは認めよう。だが、関係ないね。あたしらが死ぬか。あんたらが死ぬか。二つに一つだ」
「そうじゃのう。これもよい機会じゃ。決着をつけてしまうとするかのう」
元禄小袖と漆黒のロングドレスが睨み合う。かぐ弥の両手に鉄扇が広がった。暮子も金剛棒を担ぎ上げ、左手の中指で挑発する。
「伽羽忍軍小頭、奈与竹かぐ弥。参る」
「寒座忍軍棟梁、暮子。遊んでやるよ」
暮子が突進し、金剛棒を振るう。かぐ弥は両鉄扇で辛うじて受け止めた。振り払うようにして二撃、三撃。かぐ弥は受け、いなし、紙一重で避けてゆく。
「どうした。その程度かい?」
「ほほ。焦らずとも、夜は長いのじゃ。ゆっくり楽しもうではないか」
「楽しませて貰うさ。十二分にな!」
中央ホールに足音が響いた。
「小頭!」
「棟梁!」
六乳の由紀恵、須狩。そして六人衆のお七が中央ホールに駆けつけてきた。双方の生き残りが一堂に会したのだ。
「やるか」
「そうじゃな」
炎が上がる。それを突っ切って暮子が仕掛ける。かぐ弥が鉄扇で受け止める。
由紀恵が宙を舞った。空気を蹴り、天上へ到達する。ジョリー天使の術を模倣したものだ。天井に空気弾をぶつける。白粉降りしきる空が露出した。
須狩が瞳を閉じる。両手を天に伸ばす。掌を、大きく広げる。
何か来る。そう感じたお七は物陰に身を隠した。
レーザー光線が衛生軌道上から降り注ぐ。隠れたお七を狙えない攻撃衛星は、暮子を集中して砲撃する。暮子は身体中を穴だらけにして、死に至るはずだった。だが。
「無駄だよ」
高収束されたはずの光線は、お暮の肌に触れると同時に拡散消滅した。
「だったら!」
空中から由紀恵が血液の矢を撃ち込む。だがそれも、暮子に触れるや霧散した。
「無駄だと言ってるだろう?」
須狩の目前に暮子が迫っていた。防御を無視した構え。
一閃。下半身だけをその場に残して、須狩の上半身が千切れ飛び、宙に舞った。
寒座暮子は生まれ落ちた瞬間より、すでに威圧感を放っていた。
凶暴性といってもよい。見る者すべてを恐怖させ、怯え従わせる力を、暮子は持っていた。
力の方向性は、人間だけに限らなかった。様々な動物を含め、植物、さらには土や風や火や水など、地球上に存在するすべての原子構造が暮子という存在を畏怖し、付き従うようにプログラムされていた。
詰まるところ。地球という惑星自体が暮子という一人の女に恐怖し、脅され膝を屈したのであった。
地球上に存在するもの、地球から派生したもので暮子を傷つけることは敵わない。この絶対的防御こそが暮子の能力であり、また存在意義そのものでもあった。生まれながらの女帝。それが寒座暮子という女であった。
弊害もあった。夜の女であるにも関わらず、お暮は生娘である。これまで数百人の男を、暮子は喰らってきた。だが誰一人として。男たちがこの星で生まれた存在である限り。暮子の処女膜を破ることはできず。望まざる鉄の女を通すことと相成った。
このままでは、寒座の棟梁であるにも関わらず、暮子は子を成すことも敵わず、また一生女の悦びを知ることも敵わない。力を弱め、統制することは暮子にとって大きな命題であった。
だがその力が一党を従え、今こうして強大な力を持つ伽羽一族と相対することを可能にしている。皮肉な現実であった。
「そしてテメエらは、今日ここで肉塊に変わる。これもまた現実さ!」
腰を落とした構えから、金剛棒を振るう。音速を超えた先端から発した真空波が宙にいる由紀恵に迫り、首から上を切断した。胴体が、次いで頭部が中央ホールの絨毯に転がった。
金剛棒を担ぎ上げた暮子が傲然とかぐ弥を見下ろす。隣りにお七が並んだ。半壊状態の『くのいち』に、かぐ弥は一人佇んでいた。
「残るはテメエだけだ。覚悟しな」
二対一。しかも残っているのは、六人衆の中でもトップツーの二人である。いかなかぐ弥とて、勝てる術はないように思えた。
だがしかし。かぐ弥は笑っていた。
「……運が悪いのう、お主。その体質のこともじゃが……今この時点でも、の」
「……どういう意味ですか?」
お七が一歩進み出る。己の力には絶対の自信を持っている。空気弾を放つ力であろうと、千本の槍を召還する力であろうと。それらの事如くを退けるだけの能力をお七は備えている。火を操る能力は、それだけ強大なものなのだ。
「わからぬかえ? 雪は、止んだ。止んだのじゃ」
先ほどまで降り続いていた雪は、確かに止んでいた。そしてかぐ弥の頭上には。
大きな満月が、顔を出していた。
深い黒であったかぐ弥の瞳が、今時黄色に輝いた。
轟音が響き、地が揺れる。倒壊しかけた『くのいち』に止めを刺すが如くに、地表のあちらこちらから無数の竹が伸び、辺り一面を瞬く間に生い茂る竹林へと変貌させた。
「い、いったい何を!」
「知れたことよ。ここは『くのいち』。妾の店じゃ。つまりここは、もとより妾の領域よ」
口元を扇で隠してころころと笑う。その姿は、全身が輝く黄金色に包まれていた。
「ええい、うっとおしい!」
お七が炎を凪ぐ。すべてを灰に変える灼熱は、だが黄金の光に弾き返され用を成さない。
「竹が生長の早い植物であることは、存じておろうな」
忍びが備えているのは肉体能力だけではない。その頭脳には、様々な知識が詰め込まれている。当然様々な動植物に対する知識も、そこに含まれているはずであった。
驚愕しているお七を無視して、かぐ弥は続けた。
「なよ竹は、七夜竹とも書くことはご存知かえ?」
鉄扇を開き、頭上へ掲げる。
「二、四、八、十六、三十二、六十四。……七夜で、百二十八」
上空の月より、鉄扇に光が収束する。百二十八倍に圧縮された月光はそのまま。
膨大なエネルギー波動となってお七の身体に降り注ぎ、その存在を原子レベルで分解消滅させた。
「ちいっ!」
間、髪を入れず暮子が突進する。周囲の竹からレーザー光線の如くに月光が放射される。
無数の斜線を驚異的な身体能力でかわし、金剛棒で受ける。お暮の愛棒は無数の穴を穿たれ、手中より溶け落ちた。
「無駄なことよの!」
鉄扇から再び月光が放たれる。身体を捻った暮子の肩口より、金色の刃は左腕を裁断した。
月は、地球上のものではない。暮子の脅しは、届かない。
それは、暮子が初めて負った傷であった。生まれて初めて経験した、痛みの感情であった。
「ああああああああ!」
驚異的な精神力で痛みをねじ伏せる。血流が竹林を濡らす。致命傷であった。
「勝負あったのう、お暮」
「そのようだな」
暮子は天を見上げた。月が憎らしく笑っている。
暮子も笑みを浮かべる。
お七、千鶴子、前張、葉赫那拉、ヴィクトリア。 皆、逝ってしまった。自分一人だけ生き残ったとて、何の意味があろう。
「……けどなあ、かぐ弥。テメエら伽羽一族だけは、生かしちゃおかねえ。生かしておいちゃあ、死んでいったアイツらに、申し訳が立たねえ」
暮子は宙を睨み付けた。
「おい地球。ぶっ殺されたくなかったら……自転を変えろ」
先ほど以上の地震が竹林を襲った。縦に、横に、大きな揺れが『くのいち』を震わせる。その揺れは収まる気配をまったく見せず、大きく、大きくなっていく。
凄まじい勢いで夜が白みはじめ、月が姿を消してゆく。竹林とかぐ弥の身体からも光が消えてゆく。
満足そうに、暮子が巨大な双丘を揺らしていた。
「何という馬鹿なことを! そんなことをすれば、この星自体が……」
「どうでもいいさ、後のことなんざ。あたしらの戦いに相応しい舞台になったじゃねえか。さあ……決着を、つけようぜ」
片腕の暮子が戦闘態勢を取る。かぐ弥も鉄扇を構えた。
「いざ」
「参る」
竹林の中を影が走った。暮子がドレスより乳をまろび出す。その先端には、乳首の代わりに鋭い牙の生えそろった顎があった。暮子の奥の手、忍法海豹の牙。
かぐ弥も最期の力を振り絞り、体内に寄生させた竹の種子を生長させ、腕から槍状にして飛び出させる。
牙が届いたのが先か。竹槍が届いたのが先か。
その瞬間、星は目映い光りに包まれていた。爆発的な、最後の輝きのようであった。
世界が、星がどうなったのか。伝えるものはだれもおらぬ。
(完)