第一話 十二人のくのいち
X県の北端に伽羽倉という地名がある。南北に山脈が走り、その谷間に僅かに拓いた盆地に附けられた名である。
旧名は伽羽蔵。鎌倉時代の守護の流れを引く伽羽氏なる一族が流れ着き拓いた土地であり、その蔵屋敷があったことから伽羽蔵と呼び倣わせるようになったと伝えられている。
新たな勢力に敗れ逃げ墜ちた者が隠れ棲むには格好の地である。南北を山に囲まれ、東西もその行き来には幾重もの谷と幾筋もの小川を超えねばならない。事実、現代においても県中心部との交通路は国道が一本だけで、往来は少ない。伽羽倉はその地のみで独自の生活圏を成している。
赤谷と呼ばれる赤土の丘陵を降った先に密集した宅地と、ささやかな歓楽街が広がっている。とはいえかしこに田畑や自然樹、舗装されていない土のままの道路が散見され、建物の間から覗く空はどこを切り取っても遠景に霞んだ山嶺の線が望める。都会から来た者なら、ここが本当に歓楽街であるのかと疑いを持つであろう。
酒場や風俗店やカラオケボックスが林立する街並みの片隅にキャバレークラブ『くのいち』はあった。ホステス在籍数十五人の、伽羽倉では大きい部類に入るキャバクラである。
『くのいち』は毎夜賑わいを見せている。客の顔ぶれを知れば、驚く者は多かろう。X市長や代議士、病院長からX県の大地主まで。地元の名士といわれる人間で『くのいち』を訪れぬ者はいない。また、『くのいち』に足を踏み入れて初めて名士と認知されるのである。
理由は、『くのいち』の裏の顔にある。伽羽倉に居を定めた伽羽氏は地方豪族となり、戦国の世にも併合されることなく生き残った。近代化された今日にもその勢力は根付いている。この地方に多い伽羽姓、香場姓は辿れば伽羽氏の一族に行き当たる。歴代のX市長も例外なくこの両姓のどちらかである。つまりX市は、現在においても形を変えた封建制度がそのまま根付いている土地であるといえる。
キャバクラ『くのいち』のオーナーの名を奈与竹かぐ弥という。奈与竹氏は伽羽氏腹心の一門である。戦国の頃より、奈与竹氏は伽羽氏の影となり手足となり働いてきた。その関係は現在に至っても残っており、今もなお伽羽氏の隠密諜報部隊として暗躍している。『くのいち』は、伽羽倉の影働きを担う、現代の忍びなのだ。
その『くのいち』に、今宵、風雲急が告げられる。
二月十四日の『くのいち』は、常日頃とは違った熱気を発していた。
バレンタインデーである。女を売る商いとしては特別な意味を持つ一日であった。普段は客より贈り物を受け取る立場の女たちが、逆に贈り物をするのである。女たちはそれぞれで知恵を働かせ、己の顧客たちに喜びを与えるためにあらゆる手を尽くす。もちろんそれらは撒き餌である。一ヶ月後には、三倍返しとも、十倍返しとも云われる男どもからのお返しが待っている。その収穫物をより美味なものにするための肥料なのである。
収穫は物品ばかりではない。『くのいち』においてはこちらがより重要であるのだが、見返りが情報によってもたらされることもある。隣接する他県や、県内に潜伏する市長及び伽羽一族の抵抗勢力、つまりは御館様の敵に関する情報を集めることこそが『くのいち』の第一の目的であり、存在意義である。一ヶ月後のホワイトデーは、そのような重要情報が集積される一夜でもあった。
ナンバーワン、ジョリー天使の馴染みに、県庁の役付がいる。県外折衝担当のその役付はここ半年、隣県に新たに建設される大型歓楽街の実地調査に当たっていた。
歓楽街に出店される店舗の内に、『あざら志』なる名が伺える。オーナーの名を寒座暮子という。
寒座氏はこれもまた、元もとは伽羽氏の一門である。が、天正時代に織田軍が現在のX県まで伸長してきた際、地元豪族の連合を裏切り敵方へ就いたのである。以来、伽羽氏一門と寒座氏は、陰に日向に争いを続けている。
三月十四日。ジョリー天使のもとには県庁の役付から『あざら志』に関する一切のデータが届けられる予定であった。もしもこの情報が『くのいち』に渡れば、『あざら志』はもとより寒座氏一党に大きな打撃を与え得るであろう。長年の抗争に終止符を打つ好機であった。
もちろん『あざら志』が、それを座して待つ理由がない。
斯くして三月十四日の夜。降り続く雪は朱に染まることに相成りぬ。
粉雪降りしきる宵闇を縫うように人影の一団が進み行く。僅かも音を立てることなく、後に残る足跡だけがその存在を知らせている。だがその跡も、積み重ねられる氷粒に少しずつ掻き消されてゆく。
先頭を行くのは漆黒のロングドレス姿の女である。寒空の下、肩と背中と、胸の上半分が露出した格好である。ドレスを押し上げる胸部は、すらりとした姿態に合わぬ異常な盛り上がりを見せている。右肩には四尺ほどはあると思われる金剛棒を担いでいる。
後へ続くのもすべて女であった。ビクトリア朝、京友禅、清朝民族衣装、卜部流、学校指定セーラーと格好こそ様々であったが、それぞれが音もなく滑るように足を運ぶ。もちろんただの女御衆ではない。『あざら志』より派遣された忍びの精鋭たちであり、先頭を行くのは紛れもなく寒座氏一党の長、暮子であった。
影の前に、影が立ち塞がった。
「寒座一党。これより先は通さぬ」
黒装束を纏った人影が二十。お暮たちを素早く取り囲んだ。お暮が左右に目をやる。長い黒髪を掻き上げると、笑った。
「お七。景気付けだ。温めておきな」
「承知」
京友禅の女が一歩進み出た。緑字に金を散らした袖を一振りする。中空に火が灯る。そう思った瞬間。
豪炎が渦を巻いて前方の黒装束三人を燃え上がらせた。
京友禅の女がどこからともなく扇子を取り出す。一振りして開くと、踊るように一回転した。
お暮たちと黒装束の間を遮るように炎の壁が立ち上る。壁はそのまま円を広げるよう、黒装束たちに襲いかかった。
ぱちり、音を立て扇子が閉じられる。後に残ったのは二十の消し炭と。丸く積雪が切り取られた景色だけだった。
あざら志六人衆が一人、八尾屋お七。自身の放出エネルギーを火に具現化し、自由に操る発火現象を用いる火の女である。
六つの影が静静と進む。彼女たちが次に立ち止まったのは、正に『くのいち』の前であった。
あざら志六人衆、X市に入るの報は、『くのいち』に届いていた。
「やはり来たのう」
長い黒髪を撫でつけて、かぐ弥は呟いた。
カウンターのストールから立ち上がり、竹の文様をあしらった元禄小袖の襟元を正す。来るのはわかっていた。しかしまさか、あざら志六人衆が揃い踏みでやって来るとは。役付が持っている情報は、相当に重要なものであるようだった。
「どうされますか、小頭」
繋ぎの黒子が控えて訊ねる。小頭とは、かぐ弥のことである。伊賀甲賀で云えば上忍に当たる。かぐ弥の上にいるのは伽羽忍軍棟梁にして市議の伽羽丈一郎のみである。
すでに市中すべての忍びに連絡が走っている。ほどなく人数は集まろう。
「我らとて六乳と名指される女忍びが集っておるのじゃ。あざら志六人衆、何するものぞ」
「姐さんの言うとおりだよ。六対六。恐れるこたあねえ」
ピンクのカットソードレスを纏った長身のブロンド美女が乱暴に答える。六乳が一人、ブリトニーだ。大きく開いた胸元には銀色のロザリオが輝いている。隣で漆黒のスリップドレスを纏ったジョリー天使とチャイナドレス姿の由紀恵が頷いた。
「ではこちらで迎え撃つということで、よろしいか」
「結構。手勢は此処に集めてくだされ」
「御意」
黒子が消えると同時に、かぐ弥はベトナムの民族衣装を纏ったヘルプの女三名に指示を出した。ホステスたちもある者はドレスを脱ぎ捨て、ある者は髪の毛を纏めて散って行く。
「ようこそ『くのいち』へ。歓迎するぞよ」
叩き潰された樫の扉の先に、金剛棒を担いだ暮子が立っていた。
「歓迎ならもう受けたぜ。お返しはきっちりしておいたがねぇ」
「強欲なそちのこと、あれくらいの饗応ではまだまだ足りまい。遠慮せず、我らの接待を受けるがよいぞ!」
かぐ弥の言葉と共に六名の黒服が忍び刀を手に暮子に襲いかかる。
暮子は肩に担いでいた金剛棒を片手で一振りする。突風が巻き起こり、それだけで六名の男を弾き飛ばした。
暮子の後ろにビクトリア朝ドレス、京友禅、清朝民族衣装、卜部流緋袴装束、学校指定セーラー服を纏った女たちが並ぶ。同じくしてかぐ弥の後ろにも五人の女と、忍び装束の者どもが集った。
「いざ」
「勝負」
忍びどもの戦いが始まった。