忘却亡き記憶
声のした方向は、俺の後方だった。
振り向けば、すぐ俺の後ろに制服姿の妹が居た。何故制服なのか、何故こんな時間に呼び出したのか、何故そんな所に居るのか何故何故何故...。聞きたいことは山ほどあった。しかし、そんな常識の範疇なんて助走無しで飛び越えられる程の疑問が今、俺の中では克明に浮かび上がっていた。
「お前は誰だ。」
声に出して言ってみれば、余計に気持ち悪かった。こいつが誰で、何処に住んでいるのかも知っていて、誕生日も知っていて、
誰が好きなのかも知っていて、
逆に知らない事を探す方が難しいような仲の人間に、お前は誰だと言ったこの瞬間。俺の日常はベルリンなんか比じゃ無い強度を誇っていたはずなのに、まるで障子のように、脆くも消えうせたのだと知ったのはこの時から数日たってからだった。
しかし、そんな自分の人権がズタズタに切り刻まれているともつゆ知らない純粋無垢な当時の俺は、再度己の身を削りにかかった。
「お前は、誰だ。」
誰だ、を強調しはっきりと相手の心に届かせる。
「誰って、妹だよ。まーいー。」
物覚えの悪い子供に言い聞かせるような、そんな喋り方だった。
しかしそのおかげで、なんとも皮肉な事にある確信を持つことが出来た。
こいつは、妹ではない。
そんな、些細で事の核心には一切掠りもしないであろう事実は、この上なく俺を安堵させた。
妹を知っている人間なら、誰でも分かるであろう。
ここまで露骨なのだから。
まず雰囲気とでも言おうか。
人間は、ある種オーラのような物を持っている。その人の人間性をトレースしたかの様な、そんな空気が放出主を中心に広がっていると考えれば解りやすいだろう。
そして妹の雰囲気はこんな、負の感情を全部ぶっこんで作ってみましたみたいな絶対友達に成りたくないタイプの人間が放つオーラではない。
第二に、目である。
今の妹の目は濁っていて、こんな廃人のような生気を感じさせない目を妹が持っているはずがない。これでも幼なじみなのだから、間近で目ぐらい見たことある。今のは決して自慢ではないのであしからず。
そして、決定的なのがその格好である。
何年か前、一度だけ妹を褒めた事がある。その日は妹の誕生日で、俺はうっかりプレゼントを忘れてしまった。そしてその代わりにと妹が提案したのがこれだった。その時の妹の顔は今でも覚えている。