encroachment
端的に言おう。
理解不能だった。
彼女が何を言っているのか、何について話しているのか、何語を話しているのか、理解なんてとんでもない。認識することさえ、出来なかった。
まあ、何語は言い過ぎにしても(勿論日本語だった。)、この俺と同年代と思われる女子の口から発せられる一つ一つの単語、または比喩が俺の脳のキャパシティーを軽く限界まで埋め尽くし、侵略していった。
もとから存在したであろう、知識、記憶、感情を上から塗り潰すように。
まるで、目の前で世界的に価値のある絵画を幼児に絵の具で上描きされたような、そんな不快感だった。
当人に悪意なんて無く、一切の闇を取り除いた善意によって実行されたその行動を責める事なんて誰が出来る。
そして責めなかった代償に得るものといえば、不快指数を飛躍的に上昇させる後悔の嵐と酷い無力感だった。等価過ぎて、吐き気がする。
まあ今回のケースは、
悪意が無かったとは言い切れないが。
そんなことを一人、ベッドに腰掛けながら考えていた。
言わずもがなだと思うが、一応言っておこう。
決してあの女とB級ベッドシーンを演じていた訳ではない。
うあ。言ったら後悔した。
では、今俺がこうなっている正当なる理由を真実100%嘘5%主観的憶測200%で語ろう。いや、騙ろうかな。
時は遡って、1時間前。
如何ともしがたい電波トークを熱弁し終えた彼女はまず水を求めてきた。大人しく従う俺。一階の洗面所に置いてあるうがい用のコップに純水道水をなみなみと入れ、零さぬよう気をつけながら二足歩行。階段の登頂に成功。その勢いのままドアを荒々しくオープン。どの勢いかは主観ではえてして分からないものなので僕には分かりません。
まず目に入ったのは、さっきと同じ態勢のままでいる女子A。微動だにしてないというか、微細なる動作もしてないというか、つまり変化が無かった。髪の毛一本の乱れから、瞳孔の大きさ、呼吸の間隔、況してや体の向きなんてミクロ単位の誤差もないだろう。
しかしまあ。なんというか、なくはないんだよなぁ。さっきまでの女子Aと今の女子Aとの大きな違い。
でもなぁ。
言いたくないなぁ。
言ったら突っ込まなくちゃいけないしなぁ。
でも言わなくちゃ話し進まないしなぁ。
はぁ。
それでは、遠慮無く。
「どうして俺のパンツを頭に被ってるんですか。どうして裸なんですか。」
敬語にもなります。その訳は、主に恐怖心。空気中で窒素の割合分ぐらいはこれが占めてます。その他の割合は、軽蔑、失望、嫌悪などの感情が占めていて、つまるところ赤の他人として接する為の1番の方法が敬語だったという事です。
簡単に距離を置くことが出来る、悲しい手段だということ。
意図して人の心を抉ることが出来る、悪事を働くことが出来る、悪因悪果の源。
なんて昔話が、あったな。
しかし、今思い出す事柄じゃないな。それは。
今、思わなければならない問題は。
今、考えなくてはいけない問題は。
今、思考しなくてはいけない問題は。
この、俺の部屋に鎮座している奇怪な造形の裸婦像についてだろう。
「私の..趣味が...人のパン..ツを被る事だ..から。服が.邪..魔だった..から。」
先程の質問の答えも、糊塗したことうけあいな言葉だった。
「糊..塗した..こと。」
思考が筒抜けだった。なんで分かんだよ。つかリピートすんなよ。せっかくスルーしたのに。
「本当は、貴..方に私の...体を見て...欲しかった..から。」
真実は必ずしも良い結果だとは限らない。身をもって知った瞬間だった。
なんだよそれ。嘘の方がいくらかマシだったじゃねぇか。いや、《いくらか》なんてもんじゃねぇ。《筋子か》ぐらいはいってる。
だって唐突にパンツを被る趣味があるって言われるのと、変態的嗜好、つまり露出趣味があるって言われるのどっちがいい。
ん?
比べて、並べてみるとどちらも大差ないな。いやむしろ露出趣味の方が一般ピープルにとってはポピュラーであるからして、こちらの方が《イクラ》なのかもしれない。つまり、この度は真実の方が吉報になった訳だ。しかしまあ嘘も方便なんて偽善を正当化する語も存在するのだから一概にこれが正しいとは言えないのだが。
そしてこっからは、アッという間に時間が進みました。
さっさと水を飲ませ、パンツを我が手中に取り戻し、一糸纏わぬその裸体を眼中に収めないよう無駄な足掻きをしながら着衣を催促し、着替え終わったと同時に腕を強引に握り、引っ張り、玄関へ連れていき、外へたたき出し、「覚えてろよっ!!」とは勿論言わず、「あとで、また詳しく聞かせろ。」と捨て台詞にもならない一言を呟き、そして扉を閉めた。
部屋に戻ると、健気にも俺の嘔吐物を掃除している唯の姿があった。
「...ん?ってあっ!!お兄ちゃんっ!!」
何故か俺の事を指すであろう固有名詞を大声でシャウトされた。
「そんな状態でなに出歩いてんのよっ!!」
頭に#を付けた唯が俺のTシャツを無理矢理に掴み、そのままベッドに放り込んだ。うぇっ。背中おもいっきり打った。
「そこで大人しく寝てなさいっ!!」
呪縛の念を込めた心の声も、俺の中には上手く浸透してこなかった。
まださっきの電波トークの方が、俺の中に入ってきた気がする。
いや、あれは侵略だったか。
侵略。侵掠。encroachment.
まったく、背筋が寒くなる話しだぜ。
この世に一人しかいない家族の言葉より、今さっきあったばかりのコンビニの店員さんの言葉の方が身に染みるなんて。
あっちゃならない事、の筈なのに。
身の周りに電波が増えたから俺まで受信しちゃって、もしや電波化しちゃったかな俺も。
出来れば同属嫌悪したいなあ。
間違っても馴れ合いはしない。
まあ最高の結末としては、《俺が家族愛なんて持ち合わせていなくて、ただたんにコンビニの店員と会話がしたかった。》ってのが当てはまるのかな。
ご都合主義にもほどがあるが。
以上回想。
唯は、ゲロを拭き終え部屋に戻っていった。因みに、「あんま心配させないでよねっ!」とのこと。染みないなあ。
そして今思えば、なんであの女を帰してしまったのか。とても疑問に思った。
あのまんま聞いときゃよかったのに。
単語が分かんなくたって、英文は解ける。
比喩が分かんなくたって、小説は読める。
つまりそういう事なのだ。
俺があの女を帰した理由。
それは、あいつの異常さに驚いたから?
違う。
それは、誰かがあの空間に踏み入ってきたのが分かったから?
それもあるかも知れない。
しかし違う。
それは、
恐かったから。
真実を知るのが恐くなったから。
怖じけづいたから。
たったそれだけだった。
まったくもって。
迂闊だった。
そんなジメッとした、自滅っとした考えが途方もなく続く。
繰り返し。繰り返し。
そして、
「誰か来てたー?」
あの空間に踏み入ってきた者。
沙紀《妹》が俺の部屋にも踏み入ってきた。