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聖女牢の死に戻り聖女  作者: 青色豆乳


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2/2

消える私、壊れる世界

 3


「エリアナ様、またそのような格好で」

 私は裸足でバルコニーに立っていた。四度目の今日だ。

「掃除をするのは私だから放っておいて。今日の午後、公女殿下と刺繍の会よね。刺繍の会はキャンセルします。王城に連絡して」

「え、え?」

 マリアンヌが何も言えないようにまくしたてた。

「突然何を! 公女殿下のお誘いを平民ごときが断るなんて、なんと不敬な!」

 私は手にしびれるような違和感を感じた。今、過去を変えたからだろうか。

 私はこんなに決断の早い人間だっただろうか? 自分の思考にも違和感がある。能力を使うたびに、何かが私からはがれ、そぎ落とされる感覚があった。


 私はマリアンヌを無視して、着替えを取りに衣裳部屋へ行こうとした。彼女はそれを止めようとして、私の手を掴もうとし――

 その手は空を切った。マリアンヌは私がよけたと思ったのだろう。舌打ちが聞こえた。


「神殿に行きます。それならいいでしょう」

 聖女が神殿で祈ることは義務だ。侍女が口をはさむ筋合いではない。

 私は彼女を振り返ることなく言い捨てた。


 ――――


 神殿は王都の中心に建っている。白い石柱が並ぶ巨大な建物で、巡礼者や神官たちが行き来していた。高い窓から差し込む光が、床に長い影を落としている。

 神官たちは私を見ても、目も合わせようとしない。視界に入れたくないのかもしれない。

 彼らは私が無能なせいで、神殿が恥をかいたと思っているのだ。


「……今の聖女様はねぇ……」

「何もおできにならないから……」

「今の代はハズレだよ」


 私の背後で人々のうわさする声が高い天井に響く。もう慣れてしまった。


 私は祭壇に向かい、膝をつき、型通りの礼拝をおこなう。何百回も繰り返してきた動作だ。

 私の着ている聖女の衣装は首元が詰まった、すとんとしたワンピースだ。袖が長く、手にはグローブをはめている。透明になった手首から先を隠すのにちょうど良かった。


 祭壇の奥に、遊色の輝きの要石があった。私の体の奥から流れる聖力が、要石に向かって吸い込まれていく。


 要石は初代の聖女が作ったと言われている。国境を覆う結界を支える、最も重要な装置だ。


 私はふと、要石の表面にひびのような細い線が入っているのに気がついた。

 その箇所を凝視しようとしたけれど、虹色のきらめきに紛れて再び見つけることはできなかった。

 見間違いだったのかもしれない。


 ――――――


 礼拝ののち、資料室に向かった。


 私は誰もいない資料室で、過去の聖女の能力について調べた。


 結界、豊穣、治癒、預言――


 時を戻る聖女の記録はなかった。


 聖女には墓がない。

 神殿の記録を調べていくうちに、私はその事実を改めて思い出した。

 聖女教育では教えられなかった真実。


 聖女の最後。

 地下の牢。

 石床。


 聖力を搾り取られる苦痛。最後の一滴まで力を奪われ、地下で命を終える。

 あそこが、聖女の終着点だ。


 要石は国境を囲む結界を支えている。


 結界の中に入った敵国の兵は、力を奪われるという。体が重くなり、武器を振るう力も鈍るそうだ。

 まるで呪いのように。


 だから聖女の犠牲の上に、この国は長く平和だった。


 ――――


 私が次に行ったことは、この能力の検証だった。何も考えず義父に能力を報告したことは、本当に愚かだった。


 その結果わかったことは、私の痛みに応じて、巻き戻ることができる時間の長さが変わるということだ。

 苦痛を加えられると過去に戻る力。そして、代償がある。過去を変えると、私の身体が透明になっていく。

 存在そのものが薄れ、この世界から切り離されていくように。


 私の透明になった手で、何かを持ったり触れたりする分には何の問題もない。他人は私の透明な部分に触れることはできない。

 しかし、服を着たり手袋をしていれば、その限りではない。

 私の身体は見えないが在るのだ。いや、見えていれば在るというべきだろうか。

 ただ、私に他人がふれる時は、叩いたりぶったりするときだけなので、そのことの確認はあまり楽しい作業ではなかった。


 カミーラに熱い紅茶を顔にかけられた時。

 出されていた食事が腐っていて、お腹を壊した時。


 私は少しだけ時を戻って回避することを覚えた。私は私に加害しようとする世界を、もう認めない。


 そして、その作業の中で、未来には跳べないことも確認した。



 ――――――――



 数日後、夜会から屋敷に帰ると、執事のゴードンが、私を不躾にながめてきた。


「どこにもワインの染みなんてないわ」

 私がそう言うと、ゴードンは何もなかったように私から目をそらした。


 ゴードンは私のドレスを持ち物を売り払って、代金を横領しているのではないか?

 そのことに気がついたのは最近だ。能力が発現してから、萎縮するばかりだった私の視野は広くなった。

 以前の私なら、ドレスなどは元々養父母から与えられていた物で、私の物ではないからと黙っていたかもしれない。

 しかし、持ち物が無くなると私は養父母に責められてしまう。


 私はゴードンを無視して自室に戻った。背中に彼の粘りつくような視線を感じた。


 翌日の深夜、私はゴードンの事務室に忍び込んだ。時間遡行の力を使えば、屋敷のマスターキーを手に入れることは簡単だった。


 いつかの時間で、私はゴードンがいつも誇らしげに、胸からかけている鍵を奪った。

 鍵を返さない私を、ゴードンは殴りつけた。その瞳に愉悦があった。私をいたぶる良い口実ができて嬉しいのだ。

 私はゴードンから受けた暴力で鍵を持っていた過去に戻った。私が強く握りしめていた鍵は手の中にあった。

 強く望んだ物は、私と共に時を飛ぶことができるのだ。青い花の栞のように。


 私は鍵を持ち続け、ゴードンは鍵を首に下げ続ける。屋敷には二つの鍵が存在している。その鍵を使ったのだ。

 手燭の明かりに照らされた机のまわりは乱雑だった。私は散らかった書類などの中から、私の装飾品の空箱を見つけた。


「やっぱり……。私の物を売り払っていたのね」

 となれば、領収書や裏帳簿などもあるかもしれない。

 私は書類の山を調べた。


 ゴードンはギャンブル好きのようだ。負けが込んで、ヴェルモンド家の金を使い込み、私の持ち物を売ったり金や、私に割り当てられた予算から補填していたようだ。


 書類の間に隠すように、一冊の本が紛れていた。中を開くと、それは日記だった。

 ゴードンの癖の強い字が並んでいる。

 ぱらぱらとページをめくり、流し読みしていると、私の手があるページで止まった。

 そこには衝撃的な内容が書かれていた。


 ――――


 ◯月◯日

 聖女の両親を名乗る平民の夫婦がやってきた。自分たちの娘が、世間で無能と言われている噂を聞き、能力が無いなら返して欲しいと言う。


 旦那様は、彼らを追い返した。そして、私に彼らの始末を命じた。


 ――――


 膝から力が抜けた。私はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。

 積み上げられた書類が、どさどさと音を立てて崩れ落ちた。

 机の上に置いていた手燭が転がり落ちた。


「なんてこと……父さんと、母さんは、私を迎えに来てくれていたの……」


 床に落ちた蝋燭の炎が、書類に燃えうつる。しかし、私は衝撃のあまり、そのことを意識することすらできなかった。


「エリアナ様! ここで何をなさっているのです!」

 突然扉が開き、私の名を呼ぶ声が聞こえた。ゴードンが部屋の魔道灯をつけたので、私の姿があらわになった。

 ゴードンは、部屋の様子と床に転がった宝飾品の空箱で、状況を悟ったようだった。

 部屋には書類の燃える煙が充満しつつあった。


「ゴードン! この日記……どういうことなの!? 父さんと母さんはどうなったの……!」


 我に返った私は叫んだ。煙を吸ってむせた。私とゴードンの間のに炎が上がった。

「なんてことをしてくれたんだ! このクソアマが!」

 ゴードンは、上着を振り回して目の前の炎を消した。そして、私の襟首をつかんだ。


「あなたが! 父さんと母さんを……」

 ゴードンは私の首を締め上げた。


「お前はここで死ね。両親のところへ送ってやる。火の不始末で死んだとなれば、帳簿もすべて燃える。私は証言しよう。お嬢様をお助けしようとしたのですが、火の回りが速くて、とな」


 残っていた炎が再び勢いを増していく。

 行き場を失った血潮が、頭部を巡りこめかみで激しく脈を打つ。

 喉を絞められる苦しさから逃れようと、私はゴードンの腕を掴み、爪をたてようとする。

 しかし、既に私に抵抗の力は残されていなかった。私の指はゴードンの腕からすべり落ちていく。

 意識が失われ、視界が闇に沈む。


 そして、遡行。


 遠くへ、飛べるだけ跳んで、過去へ――


 私は朧な記憶の中の、本当の両親を思い描いた。

 もう一度会いたいと。


 そして――


 ――――


「エリアナ様、またそのような格好で――」

 私が戻ったのは、最初のバルコニーだった。


 4


 四度の死。五回目のバルコニーでの朝。

 私はマリアンヌを部屋から追い出して、寝台に倒れこんだ。

 涙は出なかった。


 私は気がついてしまった。

 私は()()()()()()()()()()()()()()()


 一本の大河の流れのようであった世界が、私の回帰によって壊れてゆく。四度の死から回帰した私は、その世界の流れを感じられるようになっていた。

 二枚の栞、二つの鍵、あるはずのない存在が、裂けた世界をさらにゆがめる。

 今、世界は倒れそうな積み木の塔のようだ。

 抜き取られた穴だらけで、合わない、存在しなかったパーツが押し込められ、積み上げられている。


 私自身にも変化が続いている。体の透明な部分が増えている。

 そして、薄れていくのは体だけではなかった。過去の記憶も薄れていくのだ。辛かった記憶から順番に。

 記憶そのものがなくなるわけではないが、それによる心の痛みは失われた。


 生活の全ての場面で、無能の私がいけないと言われて萎縮して生きてきた。笑えば、無能のくせにいい気なものだと言われ、黙っていればせめて愛想よくできないかと言われ。


 カミーラとフェリクスが結ばれないのも私のせい。長雨が続けば、先代の聖女の時はそんなことがなかったと言われる。


 喜びも怒りも封じられて、私は食事の味もわからないほど追い詰められていた。

 痛みは私にとって、最後に残された感覚だった。


 それが、失われた。父と母の死さえ悲しむことができない。


 神は何を思って、こんな力を私に与えたのだろう。誰にも伝えられない力を。


 ――――――


「エリアナ、今日の君は美しい」

 夜会で私をエスコートするために、伯爵邸に現れたフェリクスが言った。

 マリアンヌのふざけた化粧はやめさせていた。つけぼくろももうないし、私の顔は、今は地味だが道化ではないだろう。

 とはいえ、私が美しいなんてことはないだろう。

 彼の言葉はただの社交辞令だ。


 彼はいつもはカミーラをエスコートするというのに、どういう風の吹き回しだろう。こんな婚約者らしい扱いを受けるのはいつぶりだろうか。

 これから城まで馬車の中で二人きりなのだ。何の話をすればいいのだろう。そう思っていたら、彼の方から私に話しかけてきた。


「先日のサロンでの君は……いつもと違った」

 私は彼を見上げた。彼の目に中にある感情は、今までの侮りや蔑みではなかった。


「殿下は、どのような私がお好みですか?」

 私の言葉に、彼は目を見開いた。そして、ゆっくりと微笑んだ。


「君が自分の意志を持っている方が、ずっと魅力的だ」

 夢にまで見た、彼の微笑みが、カミーラではなく自分に向けられた瞬間。

 心臓が高鳴る――はずだった。

 でも、何も起こらなかった。


「ありがとうございます」

 私は機械的に微笑んだ。

 フェリクスはそんな私を見て、蕩けるような微笑みを浮かべた。カミーラと見つめ合うときのように。


 私は彼を、舞台の観客が俳優の演技を鑑賞するように眺める。


 彼への思慕はもうない。昔、彼に恋焦がれていた感情。傷つけられた痛みも、怒りも、すべてが遠くなっているのを感じた。


 ホールに入場すると、カミーラと目が合った。

 カミーラは、金と碧を基調とした、フェリクスの色のドレスをまとっていた。カミーラは、私とフェリクスの姿を見て、ふん、と鼻を鳴らして扇で顔を隠した。汚いものを見た、というように。


 フェリクスもカミーラに気がついた。ばつが悪そうに苦笑すると、自分の腕から私の腕をするりと抜いた。


「じゃあ」

 と、私に声をかけて、カミーラの方へ去っていった。

 フェリクスは気まぐれで私をエスコートしただけで、婚約者として扱う気はないのだ。


 ――――――


 今や、私はほとんど感情を失っていた。

 首から下は透明だった。触ればそこに実体はある。しかし裸体を鏡に映せば、生首が浮いているように見えるのだ。その様子は、今の私には恐ろしいというより、滑稽に感じられた。

 私は襟元までつまった服で体を隠し、何事もないように過ごしている。


 しかし実際は、時の流れを観察していた。三か月後より先の未来を視ようと思っていた。

 当たり前だが、過去が変わると未来が変わる。私が未来へ飛べないのは、そのためだと思われた。

 一度構成された三か月後までは、存在を感じられるが、その先が視えない。


 今の私は積み木の塔の先端部分を足したり引いたり崩したりしているだけだ。もっと根本的に、この閉じ込められた時間から出ることはできないだろうか。何が私を閉じ込めているのだろうか。


 そう考え、私は聖女の結界ではないかと思い至った。

 私は要石を破壊しようと試みた。斧を叩きつけてみたり、火薬を使ってみたり。

 その度捕私は死んだ。


 もうすぐカミーラが私を冤罪にかける夜会がやって来る。

 恐れと痛みを失った私だが、聖女牢は嫌だった。次に牢に入った時が本当の終わりのような気がする。

 粛々と終わりを受け入れる事だけは絶対に受け入れたくない。


 ――――――


 手袋に包まれた私の手を取り、フェリクスは優雅に唇を寄せた。


「エリアナ、君は本当に変わったね。凛とした百合のように美しい」

 花にかこまれた美しい庭園で、彼は優しく微笑む。


「この庭園の薔薇も、抜いてしまって百合を植えようか。そうしよう、それがいい。君の美しさに比べたら、薔薇は慎みがなくていけない」

 フェリクスは熱のこもった瞳で私を見つめる。その瞳は最上級のエメラルドのように煌めいている。

 私が全てを知る前に、彼にそう言ってもらえたなら。私は天にも昇るほど喜びを感じたことだろう。


 でも、今の私は何も感じない。彼への愛も、もうわからない。

「そうでしょうか。私は無能です」

 私は静かに返す。


「そんな事、君の美しさの前では些細なことだよ! 君はなんて謙虚なんだろう。なぜ私は君への愛に気がつくのに、こんなに時間がかかってしまったのだろう、愛しい人」


「こんなにとは? いつからでしょう? 私を愛してくださったのは」

「君はこんな時でも真面目だね」

 フェリクスは苦笑交じりの声で言った。


「私が君を愛し始めたのは……」

 そのまま滑らかに続けようとした言葉がふと止まる。

 フェリクスの瞳から光が消え、表情が無くなり、呼応するように庭園の風が、鳥のさえずりが止まった。

 音を失くした庭園は、一枚の絵画のようだった。

 私はその絵画の鑑賞者となる。


 その絵のタイトルは――『偽りの王子』とでも名付けようか。

 何度目かの回帰で、私はフェリクスの秘密を知った。彼は王の子ではない。

 そして、偽りの聖女と王子同士、心を通わせた――

 しかし、そのエピソードは分岐した枝の一つで、未来につながらなかった。

 無い記憶が庭園の時間を止め、フェリクスの時間を止めている。

 私が回帰を繰り返すたび、現実が不安定になっていく。


 パーツの抜け落ちたモザイクのようになっていく世界を、私は俯瞰している。


「フェリクス!!」

 その時、時が動いた。女の金切り声が響いた。止まっていた庭園の風が吹き、鳥が羽ばたいた。

 カミーラの声だった。彼女の美しい黄金の髪は乱れ、走ってきたせいか、肩で息をしていた。


「どうして、こんなこんな女と! 私の方がいいって言ってたじゃない!」

 カミーラはフェリクスにつかみかかろうとした。が、護衛の騎士がさっと間に入り、子どもを扱うように簡単に彼女を押し留めた。


 激昂しているカミーラの肌から、薔薇の香りが立ちのぼっている。庭園の生花より、濃く艶やかに。


「カミーラ、無粋ではないか」

 フェリクスはうっとうしそうにそう言い、騎士にカミーラを連れて行くよう命じた。


「フェリクス! エリアナ……!」

 風が吹き、カミーラの悲痛な声と薔薇の香りが庭園に散じていった。


「彼女にも困ったものだ」

 フェリクスは肩をすくめ、苦笑した。

 メイドが、よく訓練された動きで、冷めてしまった茶を取り替えた。


 ――私は、なぜあなたから愛されたいなどと思っていたのでしょう。


 私は声に出さず、心の中でつぶやいた。


「エリアナ、絶対に許さない!」

 風に消えたカミーラの絶叫が、いつまでも耳に残っていた。


 私にはもう全ては茶番としか感じることができない。感情を昂らせることができるカミーラに、かすかに羨望を覚えた。


 そして、ついに断罪の日がやって来た。



 5


 私が国家反逆罪で捕らえられる日がやって来た。


「エリアナ様、お支度をさせていただいてよろしいでしょうか。本日は王城で夜会がございますので」

 ドアの向こうから、マリアンヌがびくびくしながら告げた。

 フェリクスに寵愛されるようになり、私の扱いは変わった。ゴードンの横領の証拠をつかみ、脅しているせいもあるだろう。


 マリアンヌの本心は分からない。分かる必要も感じない。以前の私は、できれば彼女とも親しみたいと考えていたのに。


 下の者はただ従わせ、使えればいい。その考え方は貴族的ともいえた。

 私は貴族を見限ったが、そのために貴族のふるまいを理解したのは皮肉なことだ。


「化粧は自分でするからいいわ。できたら呼ぶからあなたは下がって」

 マリアンヌは何か言いたそうだったが、気にしない。


 鏡に映る私は透けて、椅子の背もたれが見えている。私は白粉を塗って、透明な身体を塗りつぶす。


 それからマリアンヌを呼んでドレスを着た。

「フェリクス殿下から贈られたドレスはお召しにならないのですか?」

 今日も私は首元まであるドレスを着ている。

「ええ」

 そのドレスは漆黒だっだ。まるで喪服だが、地模様が織り込まれている。

 夜会の魔道灯の下ではそれが良く見えるだろう。アクセサリーもいらない。

 今日はこれを着ると決めていた。


 私を迎えに来たフェリクスは、私を見て目をみはった。

「そのドレスは……」

 フェリクスは、私のドレスの非常識な色について指摘すべきか迷っているようだった。

「今の私にぴったりだと思いますの」

 私はフェリクスの碧眼にひたりと視線を合わせた。彼は少し頬を赤らめた。

「そうだな、個性的だが、君に似合っている。気取った老人たちが驚いたら面白いな」

 フェリクスは破顔した。平穏に飽きた傲慢な王子の笑みだった。


 ――――――


 ホールに入場すると、やはり私の姿は人目を引いた。

 カミーラさえ、驚きに目をみはっていた。

「いい気なものね」

 取り巻きの令嬢にそう言い捨てるが、いつものように私に絡んでくることは無かった。


 夜会の場で、突然、衛兵たちが私を取り囲んだ。衛兵の中で隊長だろうと思われる男が、よく通る声で言った。

「エリアナ・ヴェルモント、貴女は隣国への機密情報漏洩を行った。国家反逆罪で逮捕する」

 会場がどよめく。

「エリアナ、どういうことだ?」

 私をエスコートしていたフェリクスが、私の腕を解いて一歩分の間を開けた。

 カミーラが、勝ち誇ったように微笑んでいた。


 国王が手を振って、貴族たちを静かにさせる。

「聖女エリアナ・ヴェルモントよ。ここに、おまえが隣国へ送った書類がある。我が国の国境警備隊の配置についての情報が書かれている。お前の筆跡であることは、ヴェルモントに確認済みだ」


 王の手には、偽造された証拠の書類があった。

 私の筆跡を真似た、スパイへの手紙。


 白いドレスのカミーラが進み出た。今日の彼女はまるで聖女のような装いだった。

「私の手の者が見つけましたの。何て恐ろしいことでしょう、仮にも聖女だというのに――」

 カミーラが震える声で、しかしホールに響くことを計算した音量で言った。

「何ということだ」

「カミーラ様……さぞ驚かれたでしょう……」

 人々が、肩をふるわせて怯えるカミーラの様子を、痛ましげに見つめている。


「違います」

 私はただ、事実を述べた。カミーラが今日、私を冤罪で断罪しようとしていたのは知っていた。

 そんな私を、義父ヴェルモント伯が忌々しそうに見ている。


「エリアナ・ヴェルモント」

 国王が重々しく宣言した。

「お前を国家反逆罪で断罪する。婚約は破棄。即刻、聖女牢へ投獄せよ」

 会場が静まり返った。

 フェリクスが、私の名を呼んだ。でも、彼は何もできない。

 衛兵たちが私を連行する。

 カミーラの勝利の微笑が、視界の端に見えた。


 しかし私にはもうどうでもいいことだ。私が死んだあと、この世界がどうなるかはわからない。しかし、不安定につぎはぎされた世界に、もう一度私が衝撃を与えたらどうなるだろう?


 これから私がやろうとしていることは賭けだ。


 私は、描かれた絵のように生気の無い夜会の会場を背にして、警備隊に引きたてられた。


 ――――


 私は神殿の聖女牢につながれた。


 地下へと続く石段は、松明の間隔が広く、踏み出すたびに足元が闇に沈んだ。

 扉は白い石でできていた。清浄な印象を与えながら、その実、聖力を封じる術式が幾重にも刻み込まれている。

 床は冷たく、素足で立てば数秒で感覚が消えるだろう。


 壁の各所に鎖の跡が残っている。石に染み込んだ黒ずみは血か、あるいは長年の汚れか。天井には、放射状に線が刻まれていた。要石へと聖力を誘導するための溝だ。それが蜘蛛の巣のように広がり、中央の一点に収束している。


 足首に嵌められた枷は白銀色で、鎖は床の石に埋め込まれた輪に繋がれている。重さはそれほどでもないが、枷の内側にも術式が刻まれていた。

 松明はない。燐光だけが、壁を薄く濡らしている。

 最後の一滴まで聖力を吸い取るための専用の牢だ。


 代々の聖女の怨嗟が溜まっている。

 初代の聖女が作った堅牢な国の守りを維持するための装置だ。

 ずっと私を苦しめてきた、個々の聖女の能力など本当は必要ではなかった。


 私は聖力を神殿の要石に向けてどんどん放った。もう痛みを失っていたはずの私の体に激痛が走る。体が引きちぎられ、細かく刻まれるような果ての無い痛み。

 魂から引きずり出される痛みだった。


 私の命が尽きる瞬間、要石にひびが入った。

 要石に貯められていた力が私に逆流した。

 初代の聖女がかけた力の制限が、私から外れた。

 聖女の結界の中で歴史を重ねていた王国の歴史が崩れていくのを視た。

 私は時間を飛んだ。最後の飛翔だった。



 ――――――



「――エリ」

 懐かしい声がして、私は水の底から浮かび上がるように覚醒した。

 朝の光が窓から差し込んでいた。木枠の古い窓で、桟のところに塗料が剥げた跡がある。薄いカーテンが風にわずかに揺れ、光の筋が壁を横切っていた。壁には漆喰が塗られ、一か所だけ小さなひびが入っている。天井は低く、梁が剥き出しになっていた。

 私より少し年上の女性が私をのぞき込んでいる。


 寝台は木製で、きしみの癖があった。掛け布団は薄手の綿で、端がほつれている。枕は麦の殻が詰まったもので、頭を動かすとかさかさと音がした。窓の外では鳥が鳴いており、遠くで誰かが井戸を使う音がした。


「……ママ」

 私は子どもの頃住んでいた家の寝台に横たわっていた。私は涙を流していた。頭がぼんやりする。

 母は私の小さな手をそっと握った。その手は透き通っていない、子供の手だった。


「怖い夢を見ていたのね。もう朝だから起きよう。今日はエリの五歳の誕生日よ」

「五歳? 私、神殿に行くの?」

 私は跳び起きた。

「シンデン? それはなに?」


 母は不思議そうに首を傾げた。首にはうっすらと鱗があり、瞬きしたとき目に瞬膜があるのが見えた。

 ここは私の知っている世界で、少し違った世界だった。


 私は最後の時、どれくらい分岐を飛んだのだろう。


 私が聖女の結界を破壊した、あの世界はどうなったのだろう。

 昨日の私は、もう思い出せない。


 けれど、それでいいのだと思った。私はもう、昨日を生きる存在ではないのだから。


 もうどうでもいいか、と思い、私は寝台から降りて、父の待つ台所に向かった。

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