第5話 「連合艦隊」は何故に変質したのか
色々と私の想いが溢れてしまい、支離滅裂の文章になっていませんか、と言われそうですが。
本当にこの辺りは、それこそ色々と考えざるを得ないことなのです。
こういった太平洋戦争期の連合艦隊司令部の暴走を見ると、結果的に連合艦隊司令部を常設化したことが、後知恵が入りますが、禍根を招いたと私は考えざるを得ません。
日米戦争を想定して、常に準備を調える必要がある。
そうなると連合艦隊司令部を常設化して、日米戦争に備えた作戦研究等を常に行うべきだ、という発想から連合艦隊司令部が常設化されたのでしょうが。
これはある意味では屋上屋を架するような代物です。
それこそ陸軍参謀本部と海軍軍令部が協力して、日本の国防を担うのが基本なのです。
そうしたことからすれば、陸軍参謀本部と海軍軍令部で、日米戦争の作戦研究等を行うのが筋です。
ですが、海軍内の一部門に過ぎない、連合艦隊司令部が常に日米戦争に備えた作戦研究等をしては、それこそ陸海軍が協調して、日米戦争の研究をするのは困難になる事ではないでしょうか。
「治にいて乱を忘れず」の精神から、連合艦隊を常設化することの何処が悪い、と叩かれそうですが。
連合艦隊が、それこそ全ての軍艦、艦隊を統括するのならまだしも、主力艦を集めて連合艦隊を編制し、それによって日米戦争の勝利を目的として戦う組織を常設化までする必要があるでしょうか。
戦時に連合艦隊を編制して戦うのは、それこそ戦時の戦力運用の観点からすれば当然でしょうが、平時に日米戦争に備えた連合艦隊を常設化したのは、やり過ぎ、禍根を招くことでは無かったか、と私は考えざるを得ないのです。
更に言えば、連合艦隊は、結果的に日米戦争に勝利するとなると艦隊決戦しかない、として艦隊決戦による勝利を追い求めることになりました。
これについては、そもそも日本海軍の艦隊決戦主義が悪かった、と言われることが多い気がしますが、私の目からすれば、確かに否定できないが、連合艦隊を常設化したことが、艦隊決戦主義を更に高めてしまい、実戦、太平洋戦争において、様々な弊害、海上護衛戦の軽視や潜水艦を艦隊攻撃にひたすら使おうとする弊害、を更に強めてしまったのでは、と勘繰らざるを得ないのです。
何しろ連合艦隊司令部としては、その立場や職責からすれば、艦隊決戦を第一に考えて、日米戦争の準備を調えざるを得ないからです。
勿論、実際には真珠湾空襲が行われる等、艦隊決戦以外のことをしていない訳ではありません。
ですが、真珠湾空襲にしても、そもそもの発端は、それまでの日米戦争で研究され続けたマーシャル沖での艦隊決戦では、常に日本海軍の勝利が図上演習で収められてきた訳では無かったこと。
更に言えば、これまでの日米戦争の想定では、日米双方が単独で日米戦争に突入するのが大前提で、英蘭まで日本に敵対することを全く想定していなかったのに、史実の太平洋戦争では英蘭が敵に回っており、英蘭の領土、植民地占領まで行わねばならない状況だったことが背景にあります。
その為に、いわゆる南方作戦を日本陸海軍は展開せざるを得なくなり、そうなると、そちらに艦隊戦力を割かざるを得ず、そういった状況下で、米太平洋艦隊による比島救援作戦を阻止する為のマーシャル沖艦隊決戦等、日本に全く勝算が立たない、という状況があっては。
連合艦隊司令部が、こういった状況を少しでも打破しようと真珠湾空襲を提起し、又、軍令部もそれを承認したのは、ある意味では必然的な流れの気が、私はしてなりません。
私が考える限りですが、結局のところ、連合艦隊司令部は作戦を立てる部署で、戦略を立てる部署では無いのです。
しかし、軍事、戦争は、戦略、作戦、戦術を絡めた上で遂行されるモノではないでしょうか。
そうしたことからすれば、作戦だけを立てる部署、連合艦隊は必要なのでしょうか。
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